日本語の面白い語源・由来(と-⑧)虎の子・床の間・蜻蛉・冬瓜・泥鰌・時計・トトカルチョ・頭取

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虎の子

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.虎の子(とらのこ)

虎の子

虎の子」とは、「大切に持ち続けて手放さないもの。秘蔵の金品」のことです。

虎の子は、母虎の性質から出た言葉です。

虎は自分の子を大事に守り、非常にかわいがって育てるといわれています。

そのことから、大切にして手放さない物や、秘蔵品のたとえとして「虎の子」と言うようになりました。

江戸時代の川柳『誹風柳多留』には、「虎の子を どらな子に母 してやられ(「どらな子」は「ドラ息子」の意)」の例があります。

2.床の間(とこのま)

床の間

床の間」とは、「日本建築で座敷の床を一段高くした所」のことです。掛け軸・壺・花などを飾り、上座とします。

床の間の「床(とこ)」は、人が座る「座」や「寝床」の意味として、奈良時代から用いられていました。

室町時代、他の部屋より一段高くした押し板がつけられ、主君や家臣が会うときに用いた「上段の間(ま)」を「床(とこ)」と言い、一段高くなったところを「床の間」と言うようになりました。

今日でいう「床の間」の形は、茶室が造られるようになり、上段と押し板が縮小されて、ひとつとなったことによるものです。

3.蜻蛉(とんぼ)

オニヤンマ

トンボ」とは、「胴は細長く、大きな複眼と二対の透明な翅を持つトンボ目の昆虫の総称」です。幼虫はヤゴと呼び、水中に棲むが不完全変態で、成虫・幼虫ともに害虫を捕食するため益虫とされます。

トンボの最も古い呼称は、奈良時代の「アキヅ(秋津)」で、その後「セイレイ・カゲロフ(蜻蛉)」、「ヱンバ(恵無波)」の語が現れます。

古くは「トンバウ」の語形で、平安末期には「トウバウ」「トバウ」などが見え、江戸時代から「トンボ」と呼ばれています。

語源は「トン」が「飛ぶ」、「バウ」が「棒」の意味で、「飛ぶ棒」が変化したという説が多く、この虫の印象から正しいように思えます。

しかし、「バウ(棒)」は漢語、「飛ぶ」は和語で、漢語と和語が結び付けられることは、時代的に早すぎるため考え難い説です。

「トン」は「飛ぶ」の意味ですが、「バウ」は「バウ(棒)」ではなく、和語である「ハ(羽)」の変形と考える方が妥当です。

「蜻蛉」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・蜻蛉(とんぼう)や とりつきかねし 草の上(松尾芭蕉

・行く水に おのが影追ふ 蜻蛉かな(加賀千代女

・蜻蛉や 杭を離るる 事二寸(夏目漱石

・蜻蛉行く うしろ姿の 大きさよ(中村草田男

4.冬瓜(とうがん/とうが)

冬瓜

冬瓜」とは、「熱帯アジア原産のウリ科の蔓性一年草」です。果実は大きく、球形から長楕円形です。カモウリ。

冬瓜は古く中国経由で渡来したもので、漢語「冬瓜」を音読みした「トウグヮ」が訛って「トウガン」となりました。

ただし、「トウグヮ」は江戸時代頃からの呼称で、はじめは「カモウリ」と呼び、奈良時代の書物でも「冬瓜」を「カモウリ(加茂瓜・鴨瓜)」としています。

中国でこれが「冬瓜」となった由来は、果皮にできる粉を雪に見立てたという説もありますが、他のウリに比べて晩熟なので、秋に収穫して冬まで保存が効くからか、冬にわたって熟したものが良いからといった説が有力とされています。

「冬瓜」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・冬瓜や たがひにかはる 顔の形(松尾芭蕉)

・冬瓜の ころげて荒るる 畠かな(村上鬼城)

・冬瓜は 石の枕の ごとくあり(長谷川櫂)

・透けるとも なく冬瓜の 煮上がりし(高田正子)

5.泥鰌/鰌(どじょう)

鰌

どじょう」とは、「円筒形で五対の口ひげがあるコイ目ドジョウ科の魚」です。柳川鍋や蒲焼きなどの食用にします。

どじょうの歴史的仮名遣いを「どぜう」とするものもありますが、「どぜう」は江戸時代に、どじょう屋の暖簾や看板に書かれたもので、どちらかと言えば俗的な表記です。

室町時代の文献に「土長」「ドヂャウ」の表記が見られ、どじょうの歴史的仮名遣いは「ドヂャウ」であるため、「どぜう」にどじょうの語源を求めることは意味がありません。

泥土から生まれる意味で「土生(どじゃう)」を語源とする説もありますが、第二音節が「ジ」と「ヂ」で異なります。

第一音節の「ド」、もしくは第二音節も含めた「ドヂ」は、どじょうの泥に潜る性質から「どろ」や「土(つち)」の語幹が関連することは間違いありません。

「ウ」が「魚(ウヲ)」のことで、「ドヂ」+「ウヲ」から「ドヂャウ」とも考えられないことはありませんが、変化の過程を決定づけるものがなく、どじょうの語源は未詳です。

「泥鰌鍋」は冬の季語と思われるかもしれませんが、夏の季語で、次のような俳句があります。

・更くる夜を 上ぬるみけり 泥鰌汁(芥川龍之介)

・くらくらと 煮えかへりけり 鰌汁(村上鬼城)

・灯を入れて 葭戸(よしど)透くなり 泥鰌鍋(石田波郷)

6.時計(とけい)

置き時計

時計」とは、「時刻を示したり、時間を計る機械」です。

とけいの漢字「時計」は当て字で、本来は「土圭」と表記しました。

「土圭」は中国周代で方角や日影を測る磁針のことで、平安時代以前に日本に伝えられました。

機械時計の無かった時代は、「日時計」の意味で「土圭」が用いられていました。
機械時計は14世紀にヨーロッパで作られ、日本に初めて伝来したのは、1551年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に献上したものとされます。

中国では、機械時計を「土圭」ではなく「自鳴鐘」と表記し、日本でも「自鳴鐘」が用いられた例はあります。

しかし、漢字表記は「時計(ときはかり)」が多く用いられていました。

漢語が重視された幕末から明治初期にかけては、「時計」が字音的表記でないため、「時器」や「土計」「時辰儀」「時辰表」「斗景」「斗鶏」などが使用されたこともありました。

これらの漢字にも「とけい」の振り仮名がされており、機械時計と日時計の区別なく、「土圭」を継いで「とけい」と呼ばれていたことがわかります。

のちに、「ときはかり」の漢字「時計」が再び使用されるようになり、「時計」が一般的な表記となりました。

7.トトカルチョ/totocalcio

トトカルチョ

トトカルチョ」とは、「プロサッカーの試合を対象とする賭博」のことです。日本では「サッカーくじ」とも呼ばれます。

トトカルチョは、イタリア語「totocalcio」からの外来語です。

「totocalcio」は、イタリア語で「賭け金の合計」を意味する「totalizzatore(英語の「total(合計)」と同源)」と、「サッカー」を意味する「calcio」の合成語で、「totalizzatore del calcio」の略称です。

「totocalcio」から、「toto(トト)」には「籤(くじ)」の意味が派生しました。

日本では「toto(トト)」が、独立行政法人日本スポーツ振興センターが運営する「スポーツ振興くじ」の愛称となっています。

8.頭取(とうどり)

頭取

人気テレビドラマ「半沢直樹」にも、北大路欣也さんが銀行の頭取役を演じていましたね。

頭取」とは、「集団のかしら。銀行の代表者」のことです。

頭取は、雅楽で合奏する際に首席演奏する「音頭取り」の俗称で、特に、管楽器の首席演奏者のことをいいました。

やがて、能や歌舞伎の「翁(おきな)」「三番叟(さんばそう)」で、小鼓を奏する三人のうち、中央に座る主奏者も「頭取」と呼ぶようになりました。

「音頭を取る人」から「集団のかしら」に意味が派生し、劇場で楽屋を取り締まる者や、相撲で力士を取りまとめる人も「頭取」と呼ばれるようになりました。

明治に入り、銀行の前身となる「為替会社」が設けられた際、出資者の代表を「頭取」と呼んだことから、銀行の代表者として業務執行に当たる人を「頭取」と呼ぶようになり、以降、「集団のかしら」の中でも特に、銀行の代表者をいうようになりました。

ただし、全ての銀行において「頭取」という肩書きが使われているわけではなく、信託銀行などでは「社長」の称が用いられています。