日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.撫子(なでしこ)
「ナデシコ」とは、「山野、特に日当たりの良い河原に自生するナデシコ科の多年草」です。夏から秋にかけて、淡紅色の花をつけます。秋の七草のひとつ。
ナデシコは花が小さく、色も愛すべきところから、愛児に擬した「撫でし子」が有力です。
『万葉集』の和歌には、撫でるようにしてかわいがる子(女性)と掛けて詠んだものが見られますが、それは現代で言う「カワラナデシコ(河原撫子)」を指しました。
古くは、夏から秋にかけて花をつけることにちなみ、「トコナツ(常夏)」とも言いました。
「撫子」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上(松尾芭蕉)
・かさねとは 八重撫子の 名なるべし(河合曾良)
・撫子の 節々にさす 夕日かな(成美)
・撫子や 堤ともなく 草の原(高浜虚子)
2.斜め(ななめ)
「斜め」とは、「垂直・水平・正面などの方向に対し傾いていること。また、そのさまのこと」です。はす。はすかい。
斜めは、平安後期より漢文訓読文で見られるようになりますが和文には見られず、当時は「なのめ(斜め)」が多く用いられました。
中世に入って「なのめ」の使用が減少したのに伴ない、「ななめ」の使用が増えており、「なのめ」が転じて「ななめ」になったと思われます。
「なのめ」の「なの」は、「なのか(七日)」の「なの」と同じ「七」のことで、七つ時が日の傾く頃であるところからといわれます。
ただし、「なのめ」は「傾く」の意味よりも、ありきたりなさまや、平凡なさま、いい加減なさまの意味で用いられているため断定は困難です。
山の上り下りを10とし、そのうち中間の5、6を峠とすると、7は下りで斜めになるところからといった説もありますが、斜めになっているのは下りだけでなく、他の数でも斜めと言えるので考え難いものです。
3.梨(なし)
「梨」とは、「バラ科ナシ属の落葉高木」です。花は白い五弁。秋、果皮に斑点のある実を結びます。
梨の語源には、果肉が白いことから「なかしろ(中白)」、略されて「ナシ」になったとする説。
梨は風があると実らないことから「かぜなし(風無し)」で、「ナシ」になったとする説。
果実の中心が酸っぱいことから「なす(中酸)」が転じたとする説。
梨は次の年まで色が変わらないことから「なましき」が転じたとする説。
「あまし(甘し)」や「ねしろみ(性白実)」から、「ナシ」になったとする説。
奈良時代当時、ナシとリンゴの原種となったカラナシ以外に、果実の底が著しくくぼんだものが見当たらないことから、「つまなし(端無し)」の「つま(端)」が脱落したなど、諸説ありますが未詳です。
平安時代には、「ナシ」が「無し」に通じることを忌んで「ありのみ(有の実)」と呼ばれたり、「無し」に掛けた言葉や歌は多く見られますが、語源と結びつくものはありません。
「梨」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・物干に のびたつ梨の 片枝かな(広瀬惟然)
・梨むくや 甘き雫の 刃を垂るる(正岡子規)
・水に湧く 雲あつまれる 梨畑(原裕)
・古傘に 梢の梨を 包みたる(寺田寅彦)
4.七竈(ななかまど)
「ナナカマド」とは、「山地に自生し、秋に紅葉するバラ科の落葉高木」です。葉は羽状複葉。
ナナカマドは、7度かまどに入れても燃え残ることからとする説が定説となっています。
しかし、燃え残るというのは、この木をかまどに入れる目的が火をおこすところにあるため、木炭の原木として使用される視点で考えた方が良いようです。
ナナカマドは燃えにくい木で、7日間、かまどに入れることで極上の炭を得ることができるため「七日竈」と呼ぶようになり、「ナナカマド(七竈)」になったと考えられます。
「七日」は「なぬか」「なのか」なので、「ナヌカマド」や「ナノカマド」でない点で疑問はありますが、「七」という数だけを重視したとすれば「ナナカマド」でも通じます。
ナナカマドの木は食器にも利用され、堅くて腐朽しにくい木なので、かまどを7回換えるくらいの期間、使用できることからとする説もありますが、かまどと食器を比較することは、かまどと炭の関係ほど密接ではなく考え難いものです。
「七竃」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・石仏 石に還りぬ 七竃(古津降次郎)
・病癒え 山にふたたび 七竃(大屋達治)
・ななかまど 実も葉も赤い あから貌(和知喜八)
・ななかまど 燃えて湯疲れ 何のその(高澤良一)
5.膾(なます)
「なます」とは、「魚介類や野菜、獣の生肉を細かく刻み、調味酢であえた料理」です。
なますは、『日本書紀』や『万葉集』に「膾」の表記で見られ、生肉を細かく刻んだものを指しました。
生肉は「なま(生)」+「しし(肉)」で「なましし」と言っていたため、「なましし(生肉)」が転じて「なます」になったと考えられます。
「なま(生)」+「すく(剥く)」の意味とも考えられますが、「生」に付く語という点から見て、「剥く」よりも「肉」の方が妥当です。
調味した酢にあえることから、なますは「なま(生)」+「す(酢)」とも言われますが、なますに酢が用いられるようになったのは室町時代以降なので、「生酢」の意味ではありません。
野菜や果物だけで作ったものは「精進なます」と呼ばれます。
精進なますは、魚介類を入れないことや、本来の漢字が「膾」であることから、漢字では「精進膾」と表記されます。
漢字の「膾」は、肉を細かく刻んであわせた刺身を表す字なので「月(肉月)」が用いられています。
その後、魚肉を使うようになり、魚偏の「鱠」が用いられるようになりました。
「菊膾」「裂膾(さきなます)」は秋の季語、「鮒膾(ふななます)」「胡葱膾(あさつきなます)」は春の季語で、次のような俳句があります。
・草の戸の 酢徳利ふるや 菊膾(黒柳召波)
・鮒膾 草津の駅は 荒れにけり(正岡子規)
6.生半可(なまはんか)
昔、「違いがわかる男のゴールドブレンド」というキャッチコピーのコーヒーのCMがありましたね。
「生半可」とは、「中途半端なこと。十分でないこと。また、そのさま」です。
生半可の「半可」は、よく知らないのに通人ぶる人や、そのさまを表す「半可通」の「通」が略された言葉です。
江戸時代の洒落本では、粋に見せようと流行や遊里の習慣などに通じているよう振る舞う人や、そのようなさまを「半可通」と言って軽蔑し、嘲笑の対象としていました。
「通」を略して「半可」とも言い、その「半可」に未熟や不十分の意味がある「生」が加えられ、「生半可」という言葉が生まれました。
7.軟派/ナンパ(なんぱ)
戦前の流行歌に「煙草屋の娘」というコミックソングがありましたね。
「ナンパ」とは、「街頭などで見知らぬ異性に声をかけ、交際を求めること。特に、男性が女性を誘うこと」です。ガールハント。
ナンパは明治時代には既に使われていた言葉で、漢字では「軟派」と書き、「硬派」の対義語です。
軟派は、本来、強硬な意見や主義をもたない一派を指す語ですが、そこから軟弱と思われる態度や、そのような態度をする者ついても「軟派」が用いられるようになり、新聞では社会面や文化面を担当する記者を「軟派」、政治面や経済面を担当する記者を「硬派」などと呼ぶようになりました。
また、女性との交際や、おしゃれに気を使ったりする若者は「軟派」と呼ばれ、腕力や男らしさを強調する者は「硬派」と呼ばれるようになりました。
この変化からしばらくは、女性に声をかけて誘うことも「軟派な態度をすること」のひとつでした。
1980年頃から「ナンパする」といった表現が用いられるようになったことで、カタカナ表記の「ナンパ」は単独の意味を持つようになっていきました。
このような流れから、特に男性が女性に声をかけることを「ナンパ」と言い、女性が男性に声をかける場合は「逆ナン(逆ナンパの略)」と言われるようになりました。
8.南無三(なむさん)
「南無三」とは、「驚いた時や失敗した時などに発する語」です。しまった。大変だ。
南無三は、仏教語「南無三宝(なむさんぼう)」の略です。
「南無」はサンスクリット語「namas(ナマス)」や、仏典に用いたパーリ語「namo(ナモ)」の音訳で、「帰命」「帰依」「信じてよりすがる」を意味します。
「三宝」は「仏」と、仏の教えである「法」、その教えを広める「僧」のことで、仏教ではもっとも敬うべきとされるものです。
つまり、「南無三宝」は「仏」「法」「僧」の三宝の救いを請うという意味です。
三宝の救いを請うことから、失敗した時などに「南無三宝」や略した「南無三」と言うようになり、「しまった」「大変だ」といった感動詞として「なむさんだ」と言うようになりました。
9.懐かしい(なつかしい)
路地裏で遊ぶ昭和の子供たちの写真や、日本の原風景のような絵を見ると、なぜか懐かしい気持ちになり、ほっとします。
「懐かしい」とは、「過去の事柄が思い出されて心がひかれる。昔に戻ったようで楽しい」ことです。
懐かしいは、慣れ親しむ意味の動詞「なつく(懐く)」が形容詞化された語です。
本来、「慣れ親しみたい」「身近に置いておきたい」といった感情表現で用いられ、「かわいらしい」「手放したくない」といった意味でも「懐かしい」は用いられました。
過去のものや離れているものに対して心が惹かれるといった、現在と同じ用法の「懐かしい」は中世頃から用いられています。