日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.麦藁蜻蛉(むぎわらとんぼ)
「ムギワラトンボ」とは、「シオカラトンボの雌の呼称」です。
メスのシオカラトンボは、腹部に黄色い縞模様があり、麦わらを連想されることから「ムギワラトンボ」と呼ばれます。
成熟したオスの腹部は灰青色ですが、未成熟時は黄色いため、若いオスのシオカラトンボが「ムギワラトンボ」と呼ばれることもあります。
なお、トンボについては「トンボ(蜻蛉)にまつわる思い出話」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。
2.貉藻(むじなも)
「ムジナモ」とは「モウセンゴケ科の食虫植物」です。静かな沼地の水面に浮かび、根はありません。葉身はハマグリ状に開閉し、虫が触れると閉じて捕らえます。埼玉県羽生市の宝蔵寺沼のものは国の天然記念物です。
ムジナモは、全草をムジナの尾にたとえた名で、ムジナはタヌキやアナグマの別名です。
1890年(明治23年)、「日本植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎博士が、東京郊外の小岩村(現在の東京都江戸川区小岩)で発見し「ムジナモ」と命名しました。
なお、「食虫植物」については「食虫植物とは?なぜ虫を食べるようになったのか?驚くべき植物の生存戦略」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。
3.木槿(むくげ)
「ムクゲ」とは、「夏から秋にかけ、紅紫色や白色の五弁花をつける中国原産のアオイ科フヨウ属の落葉低木」です。韓国の国花。
ムクゲは奈良時代に渡来した植物で、漢名の「木槿」に由来します。
漢字の「木」の字音は「ボク」「モク」、「槿」は「キン」「コン」「ゴン」なので、「モクキン(モッキン)」が訛って「ムクゲ」になったと思われます。
韓国語では「ムグンファ(무궁화、無窮花)」と言うため、「モクキン(モッキン)」から「ムクゲ」に変化する過程で、韓国語の影響を受けた可能性も考えられます。
「木槿」は秋の季語で、次のような俳句があります。
・道のべの 木槿は馬に 食はれけり(松尾芭蕉)
・手をかけて 折らで過ぎ行く 木槿哉(杉山杉風)
・川音や 木槿咲く戸は まだ起きず(立花北枝)
・修理寮の 雨にくれゆく 木槿かな(与謝蕪村)
4.無鉄砲(むてっぽう)
「無鉄砲」とは、「是非や前後をよく考えもせずに行動すること。また、そのさまや、そのような人」です。
鉄砲を持たず戦いを挑むことに由来しそうな言葉ですが、無鉄砲は当て字で、「無点法(むてんぽう)」もしくは「無手法(むてほう)」が変化した語といわれます。
無点は漢文に訓点が付けていないことで、訓点が付されていない漢文は読みにくいところから、物事がはっきりしていないことを「無点法」といいます。
無手は手に何も持っていないことや、特別な技芸を身につけずに物事に当たることを意味します。
無点法の説は、不明確で理解できないところから、無茶苦茶なことの意味。さらに、無鉄砲の意味に転じたというものですが、理解しづらいことが、前後をよく考えずに行動する意味となるか疑問です。
無手の方法や考えなしに行動するところは、無鉄砲の意味に通じるため有力ですが、「無手法」の形で使われた例が見られないため、断定は困難です。
「むてほう(無手法)」よりも「むてんぽう(無点法)」の方が、「むてっぽう(無鉄砲)」に変化しやすいため、意味の面では「無手」、音の面では「無点法」に由来するとも考えられます。
5.無駄/徒(むだ)
「無駄」とは、「役に立たないこと。効果がないこと」です。
無駄の「駄」は荷役に使う馬のことで、馬に荷物を乗せずに歩くのは何の役にも立たないところから、「無駄」と言うようになったという説が流布されていますが、これは「お駄賃」の語源をヒントに作られた俗説です。
「無駄」は比較的新しい当て字で、それ以前に使われていた「徒」も当て字であり、漢字を元に「むだ」の語源を考えるほど無駄なことはありません。
むだは、何もないさまを表す「むな(空)」の転といわれ、「むな」から生じた「むなしい」には「無利益である」の意味もあり、有力な説です。
また、無分別に事を行なうさまを表わす「むたむた」の「むた」という説もあります。
「むたむた」は「むだむだ」の形でも使われていますが、「むた」が単独で使われたのは「むたとして」という形のため、やや説得力に欠けます。
6.無病息災(むびょうそくさい)
「無病息災」とは、「病気をせず健康であること」です。
「無病」も「息災」も、病気をしないこと、何事もなく達者なことを意味します。
「息災」は仏教語で、仏の力で災害や病気などの災いを防ぎとめることをいいました。
息災の「息」は、「とどめる」の意味です。
「息」が「とどめる」を意味するのは、「休息」や「息をつく」という語があるように、静かに息づく意味から転じたものです。
鎌倉時代の随筆『徒然草』に「息災なる人も、目の前に大事の病者となりて」とあるように、古くは形容動詞としても「息災」は用いられました。
7.無頓着(むとんちゃく)
「無頓着」とは、「物事を気にかけず平気なこと。また、そのさま」です。
無頓着は、「頓着」の否定形です。
「無頓着」が用いられる以前の否定形は、「頓着無い」「頓着せず」と言っていました。
頓着は「貪着」や「貪著」と表記し、「トンヂャク(トンジャク)」といいました。
「貪」はいくら求めても満足しないこと。「着(著)」は執着することで、「貪着(貪著)」はむさぼり求めて執着すること、物事にとらわれることを意味します。
「貪着(貪著)」が「トンチャク」ともいわれるようになった頃から、「頓着」の表記も多くなり、「こだわること」「気にすること」「懸念」「心配」といった、広い意味で用いられるようになりました。