私は、堺屋太一氏が命名した「団塊世代」のひとりです。
その前後の世代とは、人数に格段の差があるため、公立中学校の新設が間に合わず、私の中学の校舎は「旧工兵隊の兵舎」で、クラスは17組もありました。
1クラスの人数も、50人を超えていました。
公立高校の入試の競争率も高く、国公立大学の進学も、極めて「狭き門」でした。
1.小学校入学時は優等生
私は、小学校の入学前は、特に準備の勉強はしていなかったのですが、入学時のテスト(知能テストのようなもの?)が良かったのか、1年生と2年生はずっと学級委員(級長)をさせられました。
しかし、内向的な性格で、リーダーにはあまり向いていなかったように思います。
3年生になると、隣席の悪ガキが、授業中にいろいろ話しかけてくるので、気が散って授業に集中できず、家に帰っても特に勉強をしなかったため、次第に授業にも付いて行けなくなり、学級委員にも選ばれなくなりました。
担任の先生からは、「授業中の態度が良くない」とか、「毎日の学習をきちんとするように」との注意を受けたこともあったように思います。
2.高学年になると劣等生に転落し落ちこぼれに
3年生から4年生は、同じ担任・クラスメートの持ち上がりなので、その悪い状況は4年生まで続き、次第に成績が下がって行きました。特に算数がだめでした。
5年生と6年生は、担任・クラスメートともに変わりましたが、相変わらず授業中にひそひそ話しかけてくる別の悪ガキがいて、なかなか授業に集中できず、成績も低迷を続けました。
小学校入学時の「優等生」が、「劣等生」に転落してしまったわけです。
3.外で遊ぶようになって体は丈夫に
ただ、このころ、私の母が近所の同級生(クラスは別でした)の母親に、「一緒に遊んでやってほしい」と頼んでくれたおかげで、「サザエさん」のカツオ君よろしく、学校から帰ると、その同級生たちと毎日のように、外で遊ぶようになりました。
その結果、学校の成績はパッとしないままながら、体は随分丈夫になりました。
しかし、やがてその同級生たちとの遊びにも飽きてくるようになりました。
その原因は、外で遊ぶことが少なくなり、私の家に来るとその同級生たちは、私をそっちのけで家にある少年雑誌(「少年画報」など)の漫画をひたすら読むばかりになったからです。
これでは、私としては全く面白くありません。
今風にいえば、私の家の「ゲーム機」に夢中になって、私そっちのけで彼らはゲーム機遊びを続けるだけというようなものでした。