1.由緒正しい家柄
私が中学1年生の時、「天皇家の親戚」と称する同級生がいました。彼は、「親からは人にあまり喋るなと言われている」と言いながらも得意そうでした。
私は聞き流して、それ以上詳しくは聞きませんでした。今では、皇籍離脱した元皇族のように現存する宮家以外の親戚なら、居てもおかしくはないと思っています。
日本には、その他にも公家や大名家、宗家、財閥家などの「由緒正しい家柄」の末裔の方がいます。
しかし、負け惜しみではありませんが、「家系図」などは偽造も多くあまり当てにはなりません。それに、先祖が偉大であったとしても、「それがどうしたの?」という話です。「自分は自分」です。
「系図侍不包丁(けいずざむらいぶぼうちょう)」という言葉があります。自分の家系や出身を言い立てる侍に限って、武道の腕が大したものではないという意味です。なお「不包丁」は、刀を「人斬り包丁」ということから、武道の腕がないことです。
「乞食の系図話」という言葉もあります。これは乞食が落ちぶれる以前の自分の系図の自慢話をすることで、言っても甲斐のない愚痴をこぼすことのたとえです。
2.系図はなくても人には皆等しく先祖がいる
人には皆、遡れば何代にもわたって連綿と繋がる先祖がおられるのです。10代前の先祖は2の十乗で1,024人、20代前の先祖は2の二十乗で1,048,576人とどんどん増えて行きます。先祖に「重複」がなければ、そういう計算になります。
元衆議院議員で日本船舶振興会の会長だった笹川良一氏の「世界は一家、人類は皆兄弟」というスローガンを思い出して、「なるほどそうだ」と納得してしまいますね。そう言えば「四海兄弟」「四海同胞」という言葉もあります。
和歌の家で有名な冷泉家(上冷泉家)は、藤原定家の孫を始祖として現在の当主は25代目だそうです。上冷泉家の3代目の次男を始祖とする下冷泉家の現在の当主は20代目だそうです。
彼らは、いずれも誇り高い公家の末裔ですが、「歌道の伝統を継承して行く運命」を背負わされています。普通の「家業」を継ぐという問題の比ではありません。
3.一度限りの人生を大切に生きよう
その点、私も含めて大多数の人々は、現代では自由に職業を選び、「一度限りの人生」をどう生きるかを、「何の束縛もなく考える自由」を持っています。これは、大変有難い幸福なことだと私は思っています。
しかし、「お盆」を機に改めて思ったのですが、時には、遥か遠い昔に生きた多くのご先祖達にも思いを致し、自分の人生を大切にしたいものです。
時代は違っても、きっと自分のご先祖達も、自分の人生についてあれこれ考えていたのではないかと想像すると、少し楽しい気持ちになるのですが、これは私だけでしょうか?