よくマスコミなどで、「美談」として語られる出来事には、何か「裏話」があるものです。
1.忠犬ハチ公は本当に「忠犬」か?
渋谷駅前に銅像まである「忠犬ハチ公」は、「死去した飼い主の帰りを東京・渋谷駅の前で約10年間待ち続けた」という話です。
日本映画の「ハチ公物語」やリチャード・ギア主演のハリウッド映画「HACHI 約束の犬」などの人気もあって、海外でも人気が高まっているそうです。
ハチ公の犬種の「秋田犬(あきたいぬ)」は「天然記念物」に指定されており、動物好きで知られるロシアのプーチン大統領に贈られたり、同じくロシアの女子フィギュアスケート金メダリストのザキトア選手に贈られたりもしました。
「美談」の元ネタは、ある愛犬家が、主人の死後、渋谷駅周辺をうろついている老犬が、駅員や焼き鳥屋に追い払われたり、邪険に扱われているのを可哀そうに思い、朝日新聞に出した投書です。それが「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待つ七年間」という記事になったそうです。これでは「捏造(ねつぞう)記事」もいいところですね。
実際は、近所に住んでいた人の話によると、大学教授の主人の帰りは職業柄不規則で、ハチ公は、通勤時間帯以外にも渋谷駅周辺をうろついていたそうです。この記事は、戦時中多用された「忠義」という言葉の宣伝に利用されたようです。小学校の修身の教科書にも載ったことがあるそうです。
2.岸壁の母は本当に心優しい母親だったのか?
「岸壁の母」とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰って来る息子の帰りを待つ母親を、マスコミが取り上げた時の呼称です。その一人をモデルに流行歌や映画も作られました。
実際のところはどうだったのでしょうか?「岸壁の母」が昭和25年から5年間、ソ連からの引揚船が舞鶴に入港する度に、岸壁で待っていたのは事実のようです。昭和29年9月に「昭和20年に戦死」と公式に認定されました。昭和56年に「岸壁の母」は亡くなっています。
しかし、待たれた息子の方はどうだったのでしょうか?彼は「養子」で、養母のことはあまり好きではなかったようです。シベリア抑留後、満州に移され、中国共産党八路軍に従軍した後、レントゲン技師助手として上海に居住し、妻子もいるそうです。
彼は、養母が舞鶴で待っていることを知っていましたが、日本に帰ることも連絡することもありませんでした。養母の没後の平成12年に中国を訪れた「慰霊墓参団」のメンバーと会った彼は、「自分は死んだことになっており、今さら帰れない。」と語ったとのことですが、実際は「あの養母のもとへは帰りたくない。」というのが本心だったという話を聞いたことがあります。また、あの歌が流行することによって、ますます帰りづらくなったという話もあります。
この話とは全く別ですが、私の父から聞いた話をご紹介します。戦時中、海軍陸戦隊に所属し、中国の海南島の守備隊に居た父は、同僚兵士から、「日本に帰ると、私が嫌いな兄嫁(兄が戦死した為、未亡人となっている)と結婚させられる(居直られる)ので、帰りたくない。」という悩みを打ち明けられたそうです。その人がその後どうなったのかは聞いていませんが・・・
蛇足ですが、弟が兄嫁と結婚することは、日本では一般に「逆縁婚」「もらい婚」と言います。戦死者が多かった戦中・戦後には普通に行われていたようです。ユダヤ・モンゴル・チベット民族では一般的で「レビラト婚」と呼ばれているそうです。
話が脱線してしまいましたが、マスコミの記事、特に「美談」は「眉に唾を付けて」読む必要がありそうです。決して記事の内容を鵜呑みにしないよう、騙されないよう気を付けたいものです。「誇張された記事」「捏造記事」「フェイクニュース」もあることですから・・・