「一」から「万」の数字を含むことわざ・慣用句(その11)「十三」「十五」「十六」「十七」

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十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人

数字を含むことわざ・慣用句と言えば、「三人寄れば文殊の知恵」とか「三つ子の魂百まで」などたくさんあります。

前回は「人数・年齢・回数・年月や時間・距離・寸法」を表す数字を含むことわざ・慣用句を紹介しました。そこで今回は、その他の「一」から「万」までの数字を含むことわざ・慣用句をまとめてご紹介したいと思います。

なお面白い数字の単位についての話は、前に「数字の単位は摩訶不思議。数字の不思議なマジック・数字の大字も紹介!」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。

11.「十三」「十五」「十六」「十七」を含むことわざ・慣用句

(1)十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと):いくら幼少の頃が天才だろうと、成長してしまえばただの人になるという戒め。

幼少の頃に天才的な才能を発揮し周囲から神童ともてはやされても、その能力は幼少期だからこそ評価されるレベルであり、成長するにつれ神童と言われた能力は年齢に追いつき、ただの平凡と化してしまうことから。

十歳の頃に「神童」と称され、十五歳になって「才子」と言われるような、才知ある子供でも、成長するにつれてごく平凡な人間になってしまうことはよくあります。

自分の子を神童と思い込んでいる人に対しては戒めの意味で、かつて神童と称された人は自嘲の気持ちを込めて使うことが多いことわざです。

<類義語>

・六歳の神童十六歳の才子二十歳の凡人

(2)二九の十六(にくのじゅうろく):計算が合わないことや見込み違いのたとえ。

(3)親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ):親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。

完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。

(4)姑の十七、見た者ない(しゅうとめのじゅうしち、みたものない):姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。

(5)十三日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび):西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。

キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろあります。

(6)十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから):男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。

(7)総領の十五は貧乏の世盛り(そうりょうのじゅうごはびんぼうのよざかり):長男が一人前になる一歩手前の十五歳の頃が、家計がもっとも苦しい時期だというたとえ。

「総領子の十五の時は囲炉裏の灰も溜まらぬ」とも言います。