「熟年」の「運転免許取得体験記」

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自動車教習所

1.51歳で「AT車限定」の運転免許を取得

私は、2001年(平成13年)6月に「AT車限定」の運転免許をめでたく取得しました。もう熟年の51歳になっていました。

実は、大学を卒業間際の1972年(昭和47年)春に、高槻自動車教習所に少し通ったことがあります。その頃は今と違って、自動車が若者に大変人気があり、殆どの男性が運転免許を取る時代でしたので、学科の授業も実技の授業も順番待ちで、毎日連続して効率的に授業を受けることが出来ませんでした。その結果、入社前の研修開始までに修了できなかったのです。

免許取得を断念する旨を教習所の事務員に告げると、「そういう事情だったら、言ってもらえば無理して都合をつけることも出来たのに。」と言われましたが、後の祭りです。1ケ月以内なら継続受講も可能だと言われましたが、もう意欲が失せていました。

もともと、運動神経が良くない上、運転免許を取りたいという気持ちも強くなかったこと、実技の授業で「クラッチ」の操作が下手で「ノッキング」を繰り返して嫌気がさしていたこともあり、諦めることにしました。当時の教習所の教官の態度は、今と違って横柄で、教習生の私が運転ミスをするとぼろくそに怒られるので嫌になったということもあります。

入社後、会社で営業担当者向けに期間限定で「運転免許を持っていない人を対象に運転免許取得費用を会社が全額負担する」制度が出来たのですが、応募しませんでした。今考えれば大変魅力的な制度ですが・・・

その後、1991年(平成3年)に「AT車限定普通免許」制度が創設され、会社の上司からも熱心に免許取得を勧められましたが、心が動きませんでした。

2.長男が運転免許を取得したことで一念発起

ところが、長男が大学4年になって運転免許を取得し、我が家で初めて「マイカー」を買ったことがきっかけで、自分も車を運転したいという気持ちが湧いてきました。

私は、一念発起して、再び高槻自動車教習所の門を叩きました。そこで最初に聞いた教習所長の話は、今までの教習所のイメージを一変させるものだったので、特に印象に残っています。それは、「昔は態度の悪い教官がいましたが、今はそういう教官はいません。もし、不愉快な思いをされたら、その教官の名前を申し出て下さい。また、そりが合わないとかの嫌な教官がいたら教官の交代希望を申し出て下さい」という大変良心的なものでした。まさに「教習生ファースト」です。

私は、一回目の時の苦い経験から、「再履修」を必要とする場合が多いのではないかと思い、料金は割高ですが、再履修しても追加料金がかからない「中高年向けコース」を選択しました。「再履修し放題」とでもいうのでしょうか?

3.実技の授業の後、「運転操作の復習」を必ず行って体に覚えさせた

しかし、実技の授業の後、家に帰っても「運転操作のシミュレーション」を必ず行って体に覚えさせるように努力し、学科の授業の後は、家で必ず教科書を読み返して復習するとともに、気を付けるべき点をメモに残すなどの工夫をしました。また「仮免許テスト」の前は、自転車でテストコースを走ってみて、信号などを再確認すると共に、運転操作の再チェックを行いました。門真での学科試験の直前には、模擬テスト機器で何度も練習をしました。

その結果、再履修は「S字クランク」の1回だけで実技はパスし、門真での学科試験も無事に1回で合格できました。免許証をもらった時は、「これでやっと自分もクルマ社会の仲間入りが出来た」と感慨も一入(ひとしお)でした。

教習所に通っている時、毎日帰宅後に復習しているのを見て、妻は、「運転免許で、家に帰ってまで勉強している人は聞いたことがない」と呆れられましたが、私は必死だったのです。それに二回目の教習所通いは、一回目とは反対に楽しかったのです。教官の対応が良くなったこともありますし、私の運転免許取得への意欲も全然違っていたのでしょう。

「マニュアル車」免許は、「クラッチ操作」という難物があるので難しいと思いますが、「AT車限定」なら中高年でも楽勝です。もし、中高年の方で免許を持っていない方やこれから免許を取ろうかなと思っている若い方はぜひ教習所の門を叩いてください。楽しいですよ。

ただ、私も69歳になりましたので、次の免許更新時には「認知症検査」が課せられます。「免許返上」という言葉もちらつきます。「歳月人を待たず」ですね。