前に「江戸時代の公衆トイレ事情」の記事を書きましたが、今回は「立小便」と「小便小僧」にまつわる面白い話をご紹介します。
1.立小便にまつわる面白い話
立小便は、軽犯罪法第1条26号によって拘留または科料という刑罰が科せられます。
(1)夏目漱石の立小便
ジャーナリスト長谷川如是閑(はせがわにょぜかん)(1875年~1969年)の「犬・猫・人間」という本の中に、文豪夏目漱石(1867年~1916年)が立小便をした話が載っています。
夏目君は背広を着て洒落た変りチョッキを見せていた。其(その)日は天気が好く気候も好かったように覚えている。(中略)君はその時、君のいわゆる『是公』(中村是公のこと)に勧められて満州へ行った帰り途であったことなどを説明して、間もなく二人で何処か見物に歩くことになって外へ出た。外へ出ると夏目君は突然往来の反対の側に立って小便をした。
もし、長谷川如是閑が訴え出ていたら、漱石先生は罰金を科せられたかもしれません。しかし漱石本人は小説にも書いているように、「行屎送尿(こうしそうにょう)は出るにまかせる」というような「出物腫れ物所嫌わず」派であったらしいので、罰金ぐらいは屁とも思わなかったかもしれません。
漱石は、大正5年に亡くなっていますので、立小便を処罰対象とした明治41年発布の「警察犯罪処罰令」が適用されます。また明治5年に東京府が制定した「東京違式詿違(かいい)条例」でも立小便を禁止しています。
江戸時代と違って、文明開化の明治の世ではやはり「紳士は礼節を重んじなければならない」ということだったのでしょう。
(2)立小便裁判
1936年(昭和11年)7月4日の各新聞に珍しい裁判の記事が載りました。それは、東京帝国大学法学部の一学生が、立小便を巡って無罪を訴え、正式裁判で見事勝訴したというものです。
これは日本初の「立小便裁判」だったそうです。
事の経緯は、「往来で立小便をした」という罪状で巡査に咎められ、金1円(当時の)の科料に処せられたことを不服として、「身に覚えがない」と裁判所に訴え出たものです。
結局「した」「しない」の水掛け論に終始し、東京区裁判所は無罪の判決を下しました。新聞各紙は「さすがは帝大生なり」と一斉に絶賛記事を書いたそうです。
この年は「二・二六事件」が起きた暗い世相の時代で、他に大事件もなかったので、新聞各紙も現代の芸能雑誌かスポーツ新聞のように、このような「事件」を面白おかしく書き立てたのでしょう。
2.小便小僧
(1)小便小僧とは
「小便小僧」とは、「放尿する少年を模した像であり、噴水のこと」です。
現在、発祥地であるベルギーのブリュッセルに設置されている小便小僧は、1619年にフラマン人彫刻家ジェローム。デュケノワによって製作されたもののレプリカです。オリジナルの像は、1960年代に盗難防止のためブリュッセル市立博物館(王の家)に収蔵されました。
(2)起原・由来
起源・由来については次のような説があります。
①中世ネーデルランド公国の領主ブラバント公ゴドフロワ2世に関する伝説
1142年、当時2歳のゴドフロワ2世率いる軍は、「グリムベルゲンでの戦い」の際、戦場の兵士を鼓舞するため、ゆりかごに幼い支配者を入れて木に吊るしました。そこから幼い支配者ゴドフロワ2世は敵軍に向かって小便をし、味方軍を勝利に導いたという伝説です。
②ベルギーの反政府軍がブリュッセルを爆破しようと仕掛けた爆弾の導火線に小便をかけて消し、町を救ったジュリアンという少年がいたという武勇伝説
小便小僧の愛称「ジュリアン坊や」は、この伝説に由来すると言われています。
(3)衣装
様々な機会に、衣装が贈られることが慣習となっています。1000着もの衣装を持っているそうですが、大部分はブリュッセル市立博物館(王の家)に保管されています。
(4)水以外にビールが流れ出る時もある
ビール会社のイベントの際などにはビールになり、通行人に振舞われます。たとえば「デリリウムのお祭り」の際には、「デリリウム・トレメンス」というビールが流れ出ます。
(5)日本の小便小僧
①徳島県三好市の祖谷渓にある像
この小便小僧は、ベルギーのレプリカではなく、由来も異なる別物で容姿も日本人少年風です。約200mの深い谷を見下ろす岩の上に立っています。1968年に彫刻家河崎良行氏(1935年~ )によって制作されました。放水の設備はありません。
昔、旅人が度胸試しにここから放尿したという伝説にちなんでいます。なお実際にここで放尿しても、谷底に届く前に霧になってしまうということです。
②兵庫県伊丹市の荒牧バラ公園にある像
この小便小僧は、ベルギーのハッセルト市から贈呈されたレプリカ像です。
③東京都港区のJR浜松町駅構内にある像
この小便小僧は、1952年(昭和27年)に「鉄道開通80周年」を記念して、歯科医の小林光さんが寄贈したものです。
港区の芝消防署から港区のボランティア団体に「衣装づくり」の依頼があり、現在も「あじさい」というボランティア団体によって、毎月衣装が変えられているそうです。