(「風と共に去りぬ」の一場面)
石川啄木の歌集「一握の砂」の中に「ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場(ていしゃば)の 人ごみの中に そを聴きにゆく」という短歌がありますが、「訛りは国の手形」と言われるように各地方には「方言」や「訛り」があります。
この「お国訛り」は日本の東北地方や関西地方、九州地方などそれぞれの地方にあるだけでなく、イギリスにも「コックニー(cockney)」と呼ばれる「ロンドン訛り」があり、アメリカの南部には「南部訛り」があります。
今回はこれについてご紹介したいと思います。
1.日本の各地方の「訛り」と「標準語」
(1)江戸弁(東京弁)
私が高校時代に生まれも育ちも東京の「ちゃきちゃきの江戸っ子」先生がいました。江戸っ子は「ヒ」と「シ」があいまい(「ヒ」がうまく言えない)で、コーヒーは「コーシー」に聞こえるし、「日比谷(ヒビヤ)」と「渋谷(シブヤ)」が曖昧でよく聞き間違えるという話でした。
(2)山形弁
山形弁丸出しの変な外人にダニエル・カールさんがいます。彼は「山形弁の人から日本語を習ったので山形弁になった」のではなく、独学で「標準語の日本語」を学んだ後、大学生の時に来日し、関西や佐渡島に住んだこともあるそうです。そして大学卒業後、「文部省英語指導主事助手」として山形県に赴任して3年間、県内の中学・高校で英語を教えました。その時同僚の教員から山形弁を教わり、今はそれが彼のトレードマークとなっています。
しかし彼は、標準語をもちろん話せますし、関西弁、佐渡弁もわかるそうです。言葉や訛りに対する好奇心が旺盛な性格なのかもしれませんが、外国語の訛りをこれほど知っている人は珍しいのではないかと思います。
(3)京都弁
祇園の舞妓さんは京都以外の出身者が多く、京都弁を習得するのに苦労するそうです。
2014年に公開された周防正行監督の映画「舞妓はレディー」では、きつい訛りの鹿児島弁と津軽弁をしゃべる主人公の少女が、苦労を重ねながら舞妓を目指す成長物語でした。
この「舞妓はレディー」は、オードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディー」をもじったものです。ストーリーも「少女の訛りを矯正していく」という点で似ています。
(4)大阪弁
明石家さんまや笑福亭鶴瓶、ダウンタウンなどが全国ネットで活躍するようになってから、大阪弁は広く認知されるようになりましたが、昔は東京へ行っても肩身が狭く、他の地方出身者と同じように無理して標準語をしゃべろうとしていたのではないかと思います。
私が小学生の頃、東京からの転校生の言葉が気取っているようで同級生たちが冷やかしたところ、先生から「東京へ行って大阪弁をしゃべったら『(花菱)アチャコ』と馬鹿にされるぞ」と諭されたのが印象に残っています。
かつて文楽の人形遣いと結婚してすぐ離婚したイーデス・ハンソンさんは、来日して大阪に長く住んでいたため、「大阪弁」の日本語が身についてしまったようで、テレビでも平気で大阪弁でしゃべっていました。ただそもそも十分に日本語が習得できていなかったようで、「みかんの皮をむく」ことを「みかんの皮、さよなら」と言っていたことを覚えています。
(6)標準語
明治中期から昭和前期にかけて、おもに東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進されました。そのうち代表的なものが小学校の国語教科書です。これに文壇の「言文一致運動」が大きな影響を与えて、現在の標準語の基礎が築かれました。
2.外国での「訛り」の具体例
(1)イギリスの「ロンドン訛り」
「コックニー(cockney)」はロンドンの労働者階級で話される英語のことです。イギリスでも多様な英語が話されていますが、コックニーは特に「汚い英語」だと上流階級から非難されることが多かったそうです。
1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディー」は、言語学が専門のヒギンズ教授がロンドンの下町生まれの「粗野で下品な言葉遣い」の「ロンドン訛り」(コックニー)の花売り娘イライザを立派なレディーに仕立て上げる物語でした。
(2)アメリカの「南部訛り」
1939年に公開された映画「風と共に去りぬ」(マーガレット・ミッチェル原作)は、南北戦争下のジョージア州アトランタ市を舞台に、アイルランド系移民の父とアメリカ南部のフランス系名家出身の母を持つ気性の激しい南部の女スカーレット・オハラの半生を、彼女を取り巻く人々とともに描いた壮大な作品です。
私には判別する能力はありませんが、この映画でスカーレット・オハラなどが話していた言葉は「南部訛り」だと思います。
蛇足ですが、「風と共に去りぬ」というタイトルは、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部の白人たちの貴族文化社会が消え「去った(去りぬ)」という意味です。