鎌倉時代前期に成立したとされる説話物語集に「宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)」(編著者は不詳)があります。
この中に上の謎かけの逸話があります。
1.「無悪善」の謎かけ
この逸話は、嵯峨天皇(786年~842年、在位:809年~823年)が宮廷の柱に「無悪善」と落書きがしてあるのを見つけたことに始まります。
臣下は誰一人として読めないので、歌人でもあり漢詩の名人でもあった「小野篁(おののたかむら)」(802年~853年)が召されました。
彼はすぐに「悪(さが)無ければ善(よ)からまし」という「(嵯峨)天皇を呪詛(じゅそ)する文句」だということを説明しました。
「嵯峨(さが)がいなけれは良いのに」と言われた天皇は、無論いい気持ちはしません。
天皇は、「スラスラ読めるところを見ると、そちが書いたのであろう」と言い、篁は「そう仰せられるだろうと思ったので、読みたくなかったのです。しかし臣(私)にとっては、こんな字を読むくらい、雑作(ぞうさ)もござりません」と答えました。
2.「子子子子子子子子子子子子」の謎かけ
そこで天皇は、「しからば何でも読めると申すか?」篁「読めますとも」
「しからば・・・」と書道の名手で、空海・橘逸勢と合わせて「三筆」の一人と言われた天皇は、筆を取って子の字を六つずつ十二書きました。
天皇「さあ、読んでみよ」、篁「かしこまりました。ねこのここねこ(子子子子子子) ししのここじし(子子子子子子)」(猫の子、子猫、獅子の子、子獅子)
天皇は苦笑して、「その通りじゃ」と言ったという話です。
3.小野篁とは
余談ですが、この小野篁は、柳の枝に飛びつく蛙の話で有名な「小野道風(おののとうふう)」(894年~967年)の祖父です。小野道風も書の名人で、藤原佐里・藤原行成と合わせて「三跡(さんせき)」と称されます。
小野篁は、「小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし)」を著して、漢字の覚え方を歌で人々に教えました。
江戸初期に作られ、版を重ねた「小野篁歌字尽」という漢字学習のための教科書があります。この教科書にある歌は、全部が小野篁とは言えないそうですが、偏や旁の共通する漢字をいくつか並べ、それらをまとめて覚える歌を添えたものです。「ゲシュタルト崩壊」を利用したような覚え方ですね。
「椿榎楸柊桐」:はるつばき、なつはえのきに、あきひさぎ、ふゆはひひらぎ、おなじくはきり
「汀灯釘町打」:水みぎは、火はともしびに、金はくぎ、田はまちなれば、手をうつとよむ
「鱒鱈鯛鮓鯉」:尊はます、雪たらなれば、周はたい、すしは乍らに、里はこいなり
「狸貉狐猫狼」:里たぬき、各(おのおの)むじな、瓜きつね、苗はねこなり、良はおおかみ
「鶉鶫鴻時鳥」:享(きょう)はうずら、束はつぐみに、江はこうよ、時の鳥こそ ほととぎすなり