毛沢東(1893年~1976年)が劉少奇(1898年~1969年)らの政敵を倒し、政権奪還の目的で主導した権力闘争である「文化大革命」の嵐が1966年から1976年まで10年間にわたって吹き荒れました。
この毛沢東思想に洗脳された「紅衛兵」や労働者たちの掲げたスローガンが「造反有理・革命無罪」です。
「造反有理」というスローガンは、1960年代末の学生運動・大学紛争の時にもよく見かけられました。
1.造反有理・革命無罪
(1)造反有理
「造反有理」とは、「造反に理有り」ということで、「謀反にこそ正しい道理がある」「体制に逆らうのには、それなりの道理がある」の意です。
「革命無罪」と並んで「文化大革命」で「紅衛兵」たちが掲げたスローガンです。
「造反有理」は、1939年に毛沢東が演説で初めて用いた言葉です。
マルクス主義の道理はいろいろあるが、要するに一言でいえば、謀反には道理があるということである。
「造反」は元来、農民蜂起などの場合に用いられた伝統的な言葉です。封建時代に言われた「造反無道」(謀反は人間の道に反する)という言葉を、毛沢東が「造反有理」と言い換えたのです。
「既成組織の破壊」や「幹部の吊るし上げ」などに使われましたが、日本の大学紛争でも「帝大解体・造反有理」などと用いられました。
習近平主席は毛沢東に似た独裁者の道を歩んでおり、中国国内でのチベット族やウイグル族への迫害、中国国民への「国家安全維持法」による締め付けのほか、香港の反体制的な民主派勢力を弾圧したり、台湾への圧力も強めています。
しかし習近平主席は今こそ「反体制派から批判され造反される運命にある。それは正しい」ということを知るべきだと私は思います。
(2)革命無罪
「革命無罪」とは、「革命に罪はない」ということで、「造反有理」と並んで「文化大革命」で「紅衛兵」たちが連呼したスローガンです。
なお、よく似た言葉に「愛国無罪」があります。これは、「国を愛することから行われるならば罪にはならない」という意味の中国の言葉です。
主として中国における反政府運動の際に用いられてきた言葉ですが、2005年4月に中国で起きた「反日デモ」で大々的に掲げられて、日本で注目されました。
しかし、韓国の「反日有理」や「反日無罪」と同様に、「革命運動」や「反日運動」をする側が、一方的に自己を正当化する手前勝手な屁理屈だと私は思います。
2.紅衛兵
「紅衛兵(こうえいへい)」(上の画像)とは、「文化大革命」時期に毛沢東によって動員された全国的な学生運動です。
学生が主体ですが、広義には工場労働者を含めた大衆運動と同じ意味で使われることもあります。紅衛兵の動きは、1966年の北京の「赤い八月」(*)の最中とその後に最高潮に達しました。
(*)「赤い八月」とは、もともと「文化大革命」の1966年8月の意味ですが、その期間中に起こった北京での一連の虐殺の意味でも使われます。
北京の紅衛兵は、「毛沢東語録」を掲げて「破四旧」(旧い思想・文化・風俗・習慣の打破)を叫んで街頭へ繰り出し、劉少奇や鄧小平に代表される実権派、反革命分子を攻撃しました。
「人民服」ではなく「ジーンズ」をはいた若者を「西洋的」であるとして取り囲んで服を切り刻んだり、貴重な文化財を片っ端から破壊し(文化浄化)、果ては多くの人々に暴行を加えて死傷させました。
毛沢東は紅衛兵たちに書簡を送って、「造反有理・革命無罪」としてその運動の支持を表明し、「資本主義の道を歩む実権派」を攻撃することを擁護し、紅衛兵運動は党に公認されました。
「紅衛兵」は、1966年から1968年にかけて実権派打倒に猛威を振るい、「文化大革命」期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人とも言われる)の一部の虐殺に加担したとも言われています。
また、当時は中華人民共和国の成立に貢献した政治家や知識人も弾圧を受けました。その一人である彭徳懐も逮捕されて拷問を受け、それが原因で死亡しました。
しかしその後、紅衛兵は派閥に分裂し、大規模な武力闘争を繰り返すようになり、毛沢東にも統制できなくなりました。
また、毛沢東の父親が富農だったことを批判する壁新聞まで出現し、もはや毛沢東すら紅衛兵をコントロールできないことが明らかになってしまいました。
毛沢東にとって、権力闘争に利用する価値を失った紅衛兵は、「農村部や辺境への下放」と「人民解放軍による弾圧・処刑」によって、最終的に消滅しました。
支配者が多くの若者を組織化して動員したという点では、ナチスドイツの「ヒトラーユーゲント(ヒトラー青年団)」(下の画像)を彷彿とさせるような若者集団ですね。
「ヒトラーユーゲント」は、1926年に設立され、1936年に国家唯一の青少年団体(10歳~18歳の青少年全員に加入を義務付け)となったナチスドイツの党青少年教化組織です。
彼らは人種差別を含むナチスのイデオロギーを教え込まれました。また武器の訓練や基本的な戦術の学習など軍事教練に重点が置かれました。これはナチスドイツのために兵士として忠実に戦うという意識を刷り込む目的で実施され、ナチスの掲げる理想のために犠牲を惜しまないという思想も含まれていました。