1.言語の起源
人類の言語の起源については、「約40万年前に出現し3万年前に絶滅したネアンデルタール人は言葉を話したか?」というテーマで19世紀からしばしば議論の的になっています。
1866年にはパリ言語学協会が、言語の起源に関する討論を禁止したほどです。それだけ人々の関心が高かったということでしょう。
「ホモサピエンス」は、我々現生人類を表す人類学上の学名ですが、「知恵ある人」という意味で「新人」とも呼ばれます。これに対して「ネアンデルタール人」は「旧人」です。
ホモサピエンスは、約20万年前にアフリカに出現し、約10万年前にアフリカからユーラシア大陸各地に拡散していったようです。
ネアンデルタール人とホモサピエンスは共存している期間が数万年ありますが、やがてネアンデルタール人だけが絶滅したというのですから、謎めいています。
これが、ネアンデルタール人が言語(現代の言語のような)を持っていなかったためではないかという疑問に結びつくのだと思います。
いずれにしても、現時点では、はっきりした言語の起源はわかりません。しかし人間は言語を持つことによって、感情・意思・思想を伝達する手段として使用するとともに、知識や思考を深めるようになったのだと思います。
現在世界各地に数千とも言われる多数の言語があります。アメリカのグレイは2796言語、ドイツのマイヤーは4200~5600言語と唱え、三省堂の言語学大辞典では8000超としています。この差は、方言など地域によって差異のある言語をどう捉えるかの違いではないかと思います。
2.「バベルの塔」の話
「バベルの塔」は、旧約聖書の創世記にある話で、人間が実現不可能な天に届く塔を建設しようとして、崩れてしまった塔です。空想的で実現不可能な計画の比喩によく用いられます。
大洪水の後、同じ言葉を話していたノアの子孫たちは、東方のシナル(シュメール)の平野に移住した時、民族の分散を免れるために、ユーフラテス川河畔のバビロンに煉瓦と瀝青を用いた町と、天に達するような高い塔とを建設することを計画しました。神ヤハウェ(エホバ)はこれを見て、同一言語を有する民の強力な結束と能力を危惧して、彼らの言葉を混乱させ、互いに相手の言葉を理解できないようにして、その企てを阻んだという話です。
これは、神が天地創造をし、人間も作ったという神話をもとに、多くの言語が存在する理由を説明するための「後解釈」というか「辻褄合わせ」のような話です。
3.スウィフトのガリバー旅行記の多言語習得の話
イギリスの風刺作家ジョナサン・スウィフト(1667年~1745年)の「ガリバー旅行記」の中でガリバーは、リリパット国やブロブディンナグ国、フウイヌム国など様々な国を訪れます。最初その国の言語がわからなくても、やがて言語学者の教えを受けたり、人々と接するうちにその国の言葉を習得し理解できるようになります。フウイヌムの「馬語」も含めて・・・
4.ザメンホフの万国共通語「エスペラント語」の話
私が大学に入学した時、いろいろなクラブやサークルがありましたが、その中に「エスペラント語同好会」というものもありました。
エスペラント語とは、ポーランド人の眼科医・言語学者のルドヴィコ・ザメンホフ(1859年~1917年)が考案した人工言語の「万国共通語(国際語)」です。
彼は「バベルの塔」以前のように全人類が共通の言葉を使ってお互いの意思疎通ができるようにしたいという理想があったのかもしれません。
しかし、多くの言語がそれぞれの国や地域に既に定着し、進化や変化を遂げてていますので、エスペラント語が普及しないことは容易に想像がつきます。私も、「エスペラント語同好会」は即スルーしました。
5.日本語の変遷と方言の話
英語にも「古英語」があるように、日本語にも「古語」があります。また現代語でも時代とともに意味の変遷があったり、方言があったりと言語は複雑なものです。
日本語も、地方によって方言で物の呼び名が変わったりすることはありますが、大部分において共通の言葉です。現代のように情報通信の発達した時代ならわかりますが、人の往来がさほど盛んでない古代や中世においても共通の言語・言葉があるというのも不思議な感じがします。
私の想像では、大和朝廷によって、基礎固めが行われ、江戸時代の幕藩体制と参勤交代によって日本全国共通の日本語が確立したのではないかと思います。
古代においては、各地域にばらばらの言葉(方言)があったけれども、大和朝廷という中央集権国家の地方組織によって、北海道や東北奥地までは無理としても、ある程度「公式の日本語」のようなものが地方にも浸透します。それが、江戸時代に入って参勤交代制度が実施されることになり、さらに「完全に統一された日本語」となり、わずかに「方言」だけが地方に残ったという推理です。