前に「狂気の独裁者アドルフ・ヒトラーとはどんな人物だったのか?プーチンも似ている!?」という記事を書きました。
ところで、ヒトラーの側近で「宣伝相」を務めたゲッベルスは「プロパガンダの天才」として有名ですが、どのような人物だったのでしょうか?
1.ゲッベルスとは
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels )(1897年~1945年)は、ナチス・ドイツの政治家です。
第一次世界大戦後に政治活動を開始し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)における左派の中心人物の一人となりましたが、その後はアドルフ・ヒトラーに接近し、第3代宣伝全国指導者を務めてナチスのプロパガンダを積極的に広め、ナチ党の勢力拡大に貢献しました。
ナチ党政権下では「国民啓蒙・宣伝大臣」(宣伝相)を務め、強制的同一化を推進しました。
第二次世界大戦の敗戦の直前、ヒトラーの遺書によってドイツ国首相に任命されましたが、自らの意志でそれに背き、ヒトラーの後を追って家族とともに自殺しました。
2.ゲッベルスの生涯
彼は足に障害を抱えながら宣伝担当として党のプロパガンダを広め、大きな成功を収めました。
ナチスの功罪はさておき、現在ではゲッベルスの宣伝手法の有効性が再評価されつつあります。
(1)生い立ちと少年時代
ゲッベルスは1897年、プロイセン王国(現在のドイツ北東部)の小都市ライトの貧しい職人の息子として生まれました。
両親は敬虔なカトリックで、本人もカトリックを信仰していました。カトリックはプロテスタントが多数を占めていたプロイセンでは少数派でした。
ゲッベルスは、4歳のときに小児麻痺を患い、後遺症で足に障害が残りました。生涯右足を引きずって歩くことを余儀なくされ、病気のために外で他の子供たちと一緒に遊べませんでした。
そのため、彼は一層勉学に励みましたが、障害は大きなコンプレックスとなって一生涯彼を苦しめました。
(2)青年時代
ゲッベルスは病気を抱えながらも名門ボン大学へと進みました。歴史と文学を中心に学び、1922年にはハイデルベルク大学で念願の博士号を取得しています。
学者の道を歩み始めたゲッベルスでしたが、そこに待っていたのは大きな壁でした。当時のドイツは第一次世界大戦の敗戦国で、大不況のまっただ中でした。
苦労して得た職も病気と障害のこともあってすぐに解雇され、ゲッベルスは政治活動へと傾いていきます。
(3)ヒトラーの側近として活動
世の中に不満をもったゲッベルスは社会主義者や国家社会主義者の政治活動に関与するようになり、やがてナチスに入党します。当時面接をした幹部のシュラッサーは、ゲッベルスの演説に大きな感銘を受けたといいます。
ナチスでは巧みな演説で党の宣伝に大きな功績を残し、「演説の天才」とも言われました。名言を数多く残し、病気を抱えながらも党の発展に大きく貢献しました。
(4)悲劇的な最期
1945年、ドイツの敗戦が決定的になり、ヒトラーがついに自殺します。ヒトラーの遺言でゲッペルスは首相に就任しますが、直後の1945年5月1日、総統府の地下壕で自分の妻や子供たちとともに命を絶ちました。47年の生涯でした。
後に、ゲッベルスと妻、子供たちの遺体は、1970年にヒトラー夫妻の遺体と共に掘り起こされ、遺言により火葬・散骨が行われました。
3.ゲッベルスの宣伝手法について
(1)宣伝の天才
ゲッベルスは「宣伝の天才」として知られています。彼の手法には現在の広告や宣伝の手法と共通するものもあり、障害を抱えつつ成功した彼から学ぶべき部分もあるので、近年再評価が進んでいます。
ゲッベルスはヒトラーはもちろん他国の手法からも熱心に学び、誰でもわかる言葉で無意識に刷り込む手法を用いました。
(2)ヒトラーやソ連のボリシェヴィキからも学ぶ
天才的な宣伝手法で知られるゲッベルスですが、ナチスの党首であり、最もゲッベルスに信頼を置いていたというヒトラーは、彼自身演説の天才であり、ゲッベルスにも多大な影響を与えました。
実益を重視したゲッベルスは、当時は国家ぐるみで対立していたソ連のボリシェヴィキからも宣伝の手法を学んだと言われています。
(3)無意識に働きかける巧妙な宣伝
ゲッベルスは、党の宣伝を行うにあたり、さまざまな戦略を練りました。中でも重要なものの一つが、無意識に刷り込む宣伝です。人は宣伝と気づくと構えて見てしまい、素直に受け取れない場合があります。
ゲッベルスはイベントや映画といった大衆向けの娯楽を通じて、相手に宣伝と気づかれないように宣伝する手法をとり、大きな成功を収めました。
(4)誰にでもわかる言い回しを使う
ゲッベルスは「もっとも速度の遅い船に船団全体の速度を合わせる護送船団の如く、知識レベルの低い階層に合わせた宣伝」を心掛けました。つまり、誰にでもわかりやすい言葉や表現を使うことで、相手に当事者意識をもたせるよう仕向けたのです。
博士号も取った知的階級であるゲッベルスですが、自分の意識やプライドを上手く転換したことで成功したのでした。
これは、子供にでもわかるような易しい言葉で何度も繰り返し訴えたアメリカのトランプ大統領の演説の手法と似ていますね。
(5)ゲッベルスの手掛けた式典
①保守派も取り込んだ「ポツダムの日」
「ポツダムの日」はヒトラーがドイツの首相となったあと、国民感情の発揚のために、国会開催に先立って開催された祝典でした。1933年3月21日にポツダムで行われた式典は、ほぼ全ての国会議員が参加した盛大なものでした。
プロイセン王国の伝統を意識した演出によってヒンデンブルク大統領らの保守派も支持層に取り込むことに成功し、ゲッベルスはナチスの独裁を後押ししました。
②党の重要な祭典「国民労働の日」
ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」です。したがって、メーデーは非常に重視され、ナチス政権下で「国民労働の日」として特別なイベントへと転換されました。1933年の5月1日は、ベルリンのテンペルホフ広場で盛大な祝典が催されました。
大衆向けの娯楽が提供され、多くの人がナチスを身近で親しみやすいものとして認識するように、人々の意識が変化しました。
③ヒトラーも満足した「ベルリンオリンピック」
ゲッベルスの最大の功績は「ベルリンオリンピック」でした。ヒトラー政権下で開催された「ベルリンオリンピック」では、近代オリンピック史上初めて「聖火リレー」が行われ、オリンピックの伝統の再興者としてドイツを位置づけることに成功しました。
反ユダヤ主義は徹底的に隠蔽され、海外から来る旅行者にドイツに対する悪印象を与えることを防ぎました。
4.ゲッベルスの言葉
(1)ジタバタするな!だが旗を手放すな!
語録の1つ目「ジタバタするな!だが旗を手放すな!」は1925年の日記に書かれたもので、第一次世界大戦の敗戦国だったドイツの弱腰の外交姿勢を批判しています。
「間もなく僕らは牢獄に入れられるだろう。だが気にすることはない。」ともあり、自分の信念を旗に例えて、逃げ隠れせず覚悟を決めて、自分の考えを貫くという心構えが見て取れます。
(2)プロパガンダなき良い政府はない
語録の2つ目、「プロパガンダなき良い政府はない」という言葉が意味するのは、政府と政府のプロパガンダは不可分であるということです。つまり、どのような良い政府であってもプロパガンダなしには民衆に政府の意図が正確に伝わらず無意味であるという意味で、彼が宣伝の効果を重視していたことがわかる名言です。
プロパガンダ映画を次々に制作したことにも彼の考えが表れています。
(3)宣伝とは自分と同じ心理を認める人を探し求めようとする行為である
語録の3つ目「宣伝とは自分と同じ心理を認める人を探し求めようとする行為である」は、ゲッベルスの宣伝に対する考え方を最もよく表した名言です。共感こそが効果的な宣伝であると考えた彼は、人々が心を一つにして共感できるような宣伝を次々に打ち出しました。
彼は民衆の不満や欲望を遠まわしに刺激する要素を映画や祝典の中に巧みに混ぜ込み巧妙に人々の心を誘導したのでした。
(4)嘘も100回言えば真実になる
語録の4つ目「嘘も100回言えば真実になる」は、彼の言葉として有名ですが、実は彼はこのようには言っていないようです。
彼は「プロパガンダ」について、次のように述べています。
優れたプロパガンダは嘘をつく必要がない。むしろ嘘をついてはいけない。真実を恐れる必要はないのだ。大衆は真実を受け入れることが出来ないというのは誤りだ。彼らにはできる。大事なことは大衆が理解しやすいようにプレゼンテーションしてやることだ。
大衆が怒るのは「騙されるから」であり、政府の説明で大衆が抱いたイメージと、実際起こったこととのギャップがイメージよりも大きいからこそ、「騙されたと感じる」のです。
納得できれば多少の怒りはあっても大衆のイメージの向こうには「希望」があるため暴動までには発展しません。
彼はまた、嘘をついてはいけない理由を次のように述べています。
政治家は時には不人気な政策を実行しなければならない。しかし不人気な政策は入念に準備し、大衆を納得させてから実行しなければならない。なぜならばそれによって一番被害を受けるのは彼らだからだ。彼らにはなぜそうしなければならないのかを知る権利がある。
プロパガンダの役割はここにある。国民を啓蒙し、政策実行の地ならしをする。そうすると不人気な政策もやがて評価を得るようになり、国民の断固とした支持の下、政府は難しい決定を下し、実行できるようになるのだ。
(5)大衆は小さな嘘よりも大きな嘘に騙される
語録の5つ目「大衆は小さな嘘よりも大きな嘘に騙される」も、誤解されているようです。
この言葉は1938年の演説記録に残っていますが、「共産主義という大きな嘘に大衆は騙されてドイツ革命が起こり、第一次大戦に敗れ、国民が分断されたのだ」というのがゲッベルスの真意だったようです。
余談ですが、現在世界中で「地球温暖化問題」が叫ばれ、それを前提とした「脱炭素化(カーボンニュートラル)による化石燃料の使用抑制」、「太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー推進」、「SDGs」、「循環型社会」、「プラスチックごみ削減のための使用抑制(レジ袋有料化・プラスチック製スプーン有料化・ペットボトルの自販機からの排除など)」「電気自動車の推進」が強力に進められています。
しかし、これは「大きな嘘」だと私は思っています。これについては「温暖化対策で日本は100兆円をどぶに捨てる?効果なき税金の無駄遣いに警鐘!」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧ください。
5.ゲッベルスの警告
第一次世界大戦後、ドイツでは「ドイツ革命」(*)が起きて、皇帝が退位し、議会制民主主義を旨とするワイマール共和国が樹立され、ワイマール憲法が制定されました。
(*)「ドイツ革命」とは、第一次世界大戦末期、1918年 11月3日のキール軍港の水兵の反乱に端を発した大衆的蜂起と、その帰結としてドイツ皇帝 ヴィルヘルム2世が廃位され、帝政ドイツが打倒された革命のことです。ドイツでは「11月革命」とも言います。
革命の指導者のクルト・アイスナー、ローザ・ルクセンブルク、エルンスト・トラー、オイゲン・レヴィーネ、 カール・リープクネヒトらがユダヤ人であったことから、ドイツ革命に反発した民族主義の右翼は、共産主義者とユダヤ人による「背後の一突き」でドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のドイツでは反ユダヤ主義が高まっていきました。
ゲッベルスは「反ユダヤ主義者」で、「ワイマール憲法による以下のような社会的動向」を「ユダヤ人による国家転覆の謀略」と考えました。
彼は1934年に「わが国として気をつけねばならないことは、わが国に向けられている人間獣化計画(愚民化政策)という数々の企てである」として以下のことを国民に伝えました。
愛国心の消滅・悪平等主義・拝金主義・過度の自由追求・道徳軽視
3S(スポーツ・セックス・スクリーン)の奨励・ことなかれ主義の政策
無気力や無信念・義理人情の抹殺・俗吏属僚の横行・否定消極主義
自然主義・刹那主義・尖端主義・国粋主義の否定・享楽主義・恋愛至上主義
家族制度の破壊・民族的歴史観の否定
これらは、我が国に対するGHQの占領政策で、原爆を平和にすり替えた日本人洗脳プログラムである「WGIP」と極めてよく似ています。
彼がこれらの社会的動向を「ユダヤ人による国家転覆の謀略」と考えたのは誤りだと思いますが、多くの日本人は今でもGHQによる洗脳・呪縛から抜け出せていないのではないかと私は思います。