2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始してから3ヵ月近くなります。当初ロシアは「短期決戦」で制圧できると目論んでいた東部2州の占領もいまだに実現せず、ウクライナ軍の必死の抵抗と欧米諸国からのウクライナへの軍事支援が奏功して、ロシア軍を押し戻しつつあるようです。
ところで春秋・戦国時代の古代中国に現れた思想家・墨子は、「人を愛すれば、必ず人からも愛される」という「非攻」と「兼愛」の思想を説きましたが、果たして成功したのでしょうか?
現在の国際情勢を考える上でも、墨子の思想を理解することは無駄ではないと私は思います。
1.墨子とは
墨子(ぼくし)(B.C.470年頃~B.C.390年頃)(「墨翟(ぼくてき)」の尊称)は、春秋・戦国時代に活躍した思想家で、「諸子百家(しょしひゃっか)」の「墨家(ぼくか/ぼっか)」の創始者です。平和主義・博愛主義を説き、中国の科学技術史の先駆者ともされます。
魯の国で生まれ、技術に巧みであったところから、手工業者の階層の出身と考えられていますが、入れ墨を施された罪人だった、あるいは褐色の肌だったなど諸説あります。
一説によれば、「墨」とは古代の王侯に隷属した技能集団であり、墨子はその統率者であったと言われています。
春秋時代から戦国時代にかけては、周王朝の築き上げた封建制(天子の血族を地方の王に封じて国家を運営する方法)が崩壊し、中央から独立して力関係と国同士の戦争が顕著に表れる時期でした。大国が小国を併呑する下克上の戦国時代となり、各地には浪人が溢れます。その中に治国用兵の術を説く知識人がいました。
彼らは諸国を遊説し、諸国も戦国時代を勝ち抜くために彼らを食客として優遇しました。これを「諸子百家」と言います。墨子もこの例に漏れず、世を治める独自の主張を行いました。
『墨子』という書物の中に、耕柱・貴義・公孟・魯問の四篇が収められており、墨子の言行や墨家の成り立ちを知ることができます。
墨子の思想は、「大国による侵略と併合によって周の封建体制が破壊される事態を阻止して天下の諸国家が相互に領土を保全し合いながら、安寧に共存する体制を再建しようとすること」が目的でした。そのため、墨子の思想は、自他の区別なく人々が平等に愛し合う「兼愛」と戦争を否定する「非攻」(非戦)を説いています。
ただし「自衛の戦争」は否定しませんでした。墨子は思想家であると同時に、自衛の戦争を助ける武装家集団でもありました。
墨子は自己の理念を実現すべく、魯に「墨家」というグループ(思想家集団兼武装集団)を創設しました。多数の門下生を教育して、一人前の墨者に仕立て上げ、官僚として諸国に送り、自己の思想を世界中に広めようとしました。墨家は各地で思想を広める布教グループ、グループ内で教本の整備や教育を担当する読書グループ、食料生産や雑役、守城兵器の製作、防御戦闘に携わる勤労グループの三つに別れており、非常に大きな組織として動いていたようです。
墨子は、当初は儒学を学びましたが、儒学の仁の思想を差別的な愛であるとして満足しませんでした。そこで、無差別的な愛を説く独自の思想を切り拓き、一つの学派を築くまでに至りました。一方その平和主義的な思想は、軍備拡張に躍起になっていた諸侯とは相容れず、敬遠されがちでした。
墨子の死後、墨家は禽滑釐・孟勝・田譲に導かれて一大勢力となりましたが、秦の始皇帝(B.C.259年~B.C.210年)による中国史上初の天下統一で存在意義を失い、墨家の活動は一気に下火になりました。
そして、秦の時代に「焚書」に端を発する撲滅などで墨家は歴史上から姿を消し、その学統を継ぐ者も現れず最終的には消滅したといわれています。。
墨子(墨翟)については、『墨子』公輸篇に次のようなエピソードが残っています。
あるとき楚の王は、伝説的な大工公輸盤の開発した新兵器雲梯(攻城用のはしご)を用いて、宋を併呑しようと画策しました。
それを聞きつけた墨翟は急遽楚に赴いて、公輸盤と楚王に宋を攻めないように迫りました。宋を攻めることの非を責められ困った楚王は、「墨翟が公輸盤と机上において模擬攻城戦を行い、墨翟がそれで守りきったなら宋を攻めるのは白紙にしよう」と提案しました。
机上模擬戦の結果、墨翟は公輸盤の攻撃をことごとく撃退し、しかも手駒にはまだまだ余裕が有りました。王の面前で面子を潰された公輸盤は、「自分には更なる秘策が有るが、ここでは言わないでおきましょう」と意味深長な言葉を口にしました。そこですかさず墨翟は「秘策とは、私をこの場で殺してしまおうということでしょうが、すでに秘策を授けた弟子300人を宋に派遣してあるので、私が殺されても弟子達が必ず宋を守ってみせます」と答え、再び公輸盤をやりこめました。
一連のやりとりを見て感嘆した楚王は、宋を攻めないことを墨翟に誓いました。こうして墨翟は宋を亡国の危機から救いました。それにもかかわらず、楚からの帰り道、宋の城門の軒先で雨宿りをしていた墨翟は、乞食と勘違いされて城兵に追い払われてしまいました。
2.墨子の思想
墨子の考えとしては、大きく「十論」(*)が挙げられます。なお、墨子の死後に増えたなど、諸説あります。
(*)「十論」とは次の通りです。
尚賢・・・能力主義
尚同・・・各段階の統治者に従え
兼愛・・・自己と他者を等しく愛さなければならない。
非攻・・・侵略戦争の否定
節用・・・節約
節葬・・・節約
天志・・・天帝や鬼神に従え
明鬼・・・天帝や鬼神に従え
非楽・・・音楽への耽溺を戒める
非命・・・宿命を否定する
墨子はこの十論を「相手の国情において使い分けよ。」とし、十論の最終目的がいずれも諸国家の安定化のために用いられました。
(1)兼愛
兼愛とは、自他を区別なく、また身分や血綠にかかわらず、平等に全ての人を愛さなければならないという教えです。非常に人間愛的な考え方で、肉親を重視する儒教の教えは別愛(差別的な愛)だと批判しました。
世界中の人々が広く互いに愛し合えば、国同士、家同士の争いごとはなく、泥棒や傷害もなくなり、君臣父子全てが慎み従う。こうであれば世界は平和に治まるので、聖人は憎しみを禁止し愛するべきである。
人を愛すれば、必ず人からも愛され、人を憎めば、必ず人からも憎まれる。
兼愛が他者を愛すれば相手もまた自分を愛し、お互いの利益になるという交利のもと実現し、博愛平等の社会が生まれる(兼愛交利説)と説きました。
兼愛によって諸国が安定し、諸国の対立を防ぐ役割を果たすことができるというわけです。
(2)非攻
墨子は、強国の侵略行為を否定する非戦論、非攻を説きました。戦争は全体から見れば大きな損失であるとして、侵略行為を正義に反するものとして否定し、次のように説きました。
人を一人殺せば不義であり死刑になるのに、他国を侵略して多くの人を殺せば誉れとするのは矛盾である。君主が戦争で領土を拡大することは、他国の領土が奪われることであり、略奪や破壊を生む戦争は全体からみれば、大きな損害と浪費でしかない。従って、各国は非戦に、優れた防御技術を備えた部隊を組織して攻撃を受けた小国の防御に務めなければならない。
(3)尚賢
尚賢とは、賢者を尚ぶという意味で、墨子は、身分・縁故・財産にかかわらず、能力や人格のすぐれた者を政治の役職に採用するべきだと説きました。
庶民階級の出身であった墨子は、政治の要職を貴族が占める世襲的な身分制を批判し、戦乱の続く社会を救うため、有能な者を広く求める能力主義の人材登用を唱えました。
(4)尚同
賢者の考えに天子から庶民までの共同体全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させることです。
(5)節用
無駄をなくし倹約せよという教えです。
(6)節葬
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐことです。儒家のような祭礼重視の考えとは対立します。
(7)天志
上帝(天)を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制するものです。
(8)明鬼
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制するものです。鬼神について語ろうとしなかった儒家とは対立します。
(9)非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきだということです。楽を重視する儒家とは対立します。但し、感情の発露としての音楽自体は肯定も否定もしていません。
(10)非命
人々を無気力にする宿命論を否定するものです。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説きます。
なお、2004年に、当時の小泉純一郎首相が、「イラクへの自衛隊派遣」に関する国会論争において『墨子』の「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非ず」(正義を行うということは、世間から嫌われず好かれるように振る舞う、ということではない)という言葉を引用して自説を主張しました。
3.墨子の言葉
(1)倉庫に武器の蓄えが無ければ、仮にこちらに正義があったとしても、不義を討つことはできない。城郭の備えが万全でなければ、守り切ることはできない。心に警戒を怠ったのでは、急場の事態に対処することはできない。
(2)人は自分の長所によって身を滅ぼすことが多い。
(3)強弓は引き絞るのが難しい。しかし、一旦矢を放てば、高い所まで届いて深く突き刺さる。駿馬は乗りこなすのが難しい。だが、一旦乗りこなせば、重い荷物を載せて遠くまで駆けていく。すぐれた人材は使いこなすのが難しい。しかし、一旦使いこなせば、君主を導いて輝かしい栄光をもたらす。
(4)みなが相愛し、互いに相利する。自分のことのように相手を考えよ。
(5)道義を行うのは名誉を得るためではない。人として当然のことである。
(6)不足している者からさらにものをとり、その分を有り余る者に重ねるようなやりかたをすれば国は亡びる。
(7)源が濁ればその流れは清くならない。行いの根本に信義がなければ必ず亡びる。
(8)乱はそれが起こる理由の根本を知ってはじめてよく収めることができる。
(9)役人には賢才を高位につけるのがよいが、同じ人間が永久に貴い位置にあるのはよくない。民は努力する人間が栄えるべきで、同じ人間がいつまでも賤しい地位にあるのはよくない。
(10)弓を張ったままゆるめることをしないと弓は役に立たなくなる。人にも適当なくつろぎが必要だ。