「檀家制度」の歴史と檀家減少の実態。高額離檀料問題も発生!

フォローする



檀家制度

最近、檀家(だんか)がどんどん減って、お寺が困っているという話を聞いたことがあります。

1.「檀家」とは何か

「檀家」とは、「寺院から見て、その寺に属し布施をする家、あるいは信者」のことです。檀は、布施を意味するサンスクリット語のdānaの音写です。

布施をする家あるいは信者の方から言うと、「一定の寺に属し、寺に金品を寄進してその寺を維持・護持していく一般の家」という意味になります。

2.「檀家制度」とは何か

「檀家制度」とは、「寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行うことを条件に結ばれた寺と檀家との関係」を言います。「寺請(てらうけ)制度」あるいは「寺檀(じだん)制度」とも呼ばれます。

これは、江戸幕府の「宗教統制政策」から生まれた制度で、「家制度」や「祖先崇拝」の側面も持っています。

仏教が伝来した飛鳥時代においては、仏教は有力者の信仰対象となりました。彼らは飛鳥寺(蘇我氏)や広隆寺(秦氏)などの寺院(これを氏寺と呼びました)を建立し、「檀越(だんえつ)」と呼ばれる「寺や僧を援助する庇護者」となって、葬祭供養も行いました。これが「檀家」の源流です。

やがて「仏教勢力」の寺院は「所領」を持つようになり、「荘園領主」的な側面を帯びます。有力寺院の主要な収入源は、「布施」から「荘園収入」に変わり、政治的な権力・権威を持つようになり、「檀越」に依存しない寺院経営となります。しかし、応仁の乱以降、荘園制度は崩壊して行きます。

一方、新しく登場した宗派は、「一般民衆」を対象として勢力を広げて行きます。その過程で仏教は出家的なものから在家的なものに移行します。臨済宗や曹洞宗の禅語録も、15世紀以降、座禅関係から葬祭関係に重点を移します。

江戸幕府は、1612年にキリスト教禁止令を出し、以後キリスト教の弾圧を進めますが、その際に「転びキリシタン(キリスト教からの改宗者)」に「寺請証文」(寺手形)を書かせたのが、「檀家制度」の始まりです。

このように、元々は「キリスト教からの改宗者」を対象としたものでしたが、次第に「キリスト教徒ではないという証」として広く民衆に「寺請」が行われるようになります。

寺請制度は、事実上国民全員が仏教徒になることを義務付けるもので、仏教を「国教」化するに等しい政策でした。

「寺請制度」や1631年の「新寺建立禁止令」などを通じて、檀那寺は檀家を強く固定化することに成功します。檀家になるとは、すなわち経済的支援を強いられるということであり、寺院伽藍新築・改築費用、祠堂金、本山上納金など様々な名目で経済的負担を背負います。

1687年の幕府の法は、「檀家の責務」を明示し、「檀那寺への参詣や年忌法要のほか、寺への付け届けも義務」とされました。

1700年ごろには、寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、「常時の参詣、年忌命日法要の実施、祖師忌・釈迦の誕生日・盆・春秋の彼岸の寺参り(墓参り)」を挙げています。

檀家がこれらの責務を拒否すると、寺は寺請を拒否するので、檀家は社会的地位を失いました。遠方に移住する場合を除いて、別の寺院の檀家になることもできませんでした。

このように寺と檀家には圧倒的な力関係が生じ、江戸時代における檀家は、寺の経営を支える組織として完全に寺院に組み込まれたものになりました。

なお、檀家を持つ寺院は、「回向寺(えこうでら)」となり、檀家を持たない寺院は、現世利益を旨とする「祈祷寺(きとうでら)」に分かれて行きました。

「檀家制度」によって生じた寺院の強権的な立場は、僧侶の乱行など様々な問題を生じさせました。どのような名目にせよ、その立場を利用して檀家から際限ない収奪が可能となった寺院には、当然批判が起こりました。

その批判者は、儒学者・神道学者・国学者など幅広く、江戸時代初期から明治維新の「廃仏毀釈運動」まで続きました。

私も、寺院の住職が本堂の再建や修理を「寄進」で賄う一方、立派な自宅を建てたり、家族で贅沢な暮らしをしているのを見ると、上記の批判は的を射ていると思います。

3.檀家減少の実態

現代でも檀家制度は「葬式仏教」として続いていますが、経済成長に伴った農村から都市部への人口移動で農村人口が減り、「廃寺」となるケースが目立っています。

最近の都会の家、特に世帯主が長男でない人の家には「仏壇」がないことも珍しくありません。その場合は、当然のことながら「祥月命日」「月命日」や「年忌法要」に僧侶の「読経」を依頼することもありません。

世帯主が長男の場合でも、仏教を信仰していないしお墓もいらないという人も多数あります。末寺に毎月の「お布施」や「年忌法要」の「お礼」として金銭を渡したり、高額な「戒名料」を払ったりすることに疑問を持っている人は多いと思います。いわば「坊主ぎらい」「僧侶アレルギー」です。

団塊世代の私は、そういう疑問を持っている一人です。戦前生まれの人は別として、戦後生まれの人は、このような不合理な「檀家制度」を出来れば脱退したいと思っている人は少なくないのではないかと思います。

ただ、世間体や従来からの習慣・惰性で続けている家が多いと思いますが、今後は「檀家制度」を脱退する家も増えて来るのではないでしょうか?

極論かも知れませんが、今や「檀家制度」はその存在意義を失っており、消滅すべき(あるいは消滅させるべき)制度だと私は思います。

ところで、最近「離檀料」という気になる言葉を聞きました。近年、墓所の引っ越しなど改葬に伴って檀家を離れようとする場合に、寺側から檀家に数百万円~1000万円以上もの高額な「離檀料」を請求する例が増えているそうです。改葬手続きにおいて、「改葬許可申請書」に引っ越し元の墓の管理者(宗教法人)の署名・捺印が必要なため、寺側が強気に出るようです。しかし、「判つき料」としてはあまりにも高額で、「詐欺・恐喝まがい」だと思います。

「離檀料」には、「寺と檀家の契約書があり、かつその中に「離檀料」が明記されている場合(こんな例は滅多にないと思いますが)」以外は全く法的根拠のないものです。

今後このようなケースが増えてくれば「社会問題化」するのではないかと思います。


廃仏毀釈とその前史 檀家制度・民間信仰・排仏論 [ 圭室諦成 ]

葬式と檀家 (歴史文化ライブラリー) [ 圭室文雄 ]

お寺の収支報告書 (祥伝社新書) [ 橋本英樹 ]

お寺の経済学【電子書籍】[ 中島隆信 ]