教養を娯楽にしよう!知識を得るだけの勉強は面白くないが、遊びの学びは楽しい!

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教養

1.完全リタイア後の勉強

サラリーマン生活を完全リタイアして、人生の残り期間も少なくなった今、「知的好奇心を満たす楽しみのために学ぶ」ことが自由にできるようになりました。

これは言わば「教養を娯楽にする」もので、「楽しみながら学ぶ」「遊びの学び」です。

人は仕事で徹夜することは大変な苦痛ですが、遊びの「徹夜マージャン」をしたり、面白い小説を読みふけっていて明け方になったような場合は、楽しみでこそあれ苦痛ではありません。

楽しんで学んでいると、常識や先入観に囚われることなく、自由な発想をしたり、深く考えたりするので、洞察力を養うことができます。

「四字熟語」なども、知れば知るほど古代中国の賢者の知恵の結晶のようで、ありがたいものだと思います。

史記が出典の「日暮道遠(にちぼどうえん)」(「日暮れて途遠し」)というのが今の私の心境にぴったりです。

2.高校時代の勉強

(1)大学受験中心の勉強

高校時代に「勉強が趣味です」などと言ったら、「ガリ勉」とからかわれたり馬鹿にされたりするのが落ちだったでしょう。

やはり高校時代は、大学受験が控えていることもあり、否応なく各科目の知識を習得することが最優先で、自由にものを考えたりする余裕は、少なくとも私の場合はあまりなかったと思います。

英語一つとっても、当時から「英会話」の必要性は叫ばれていましたが、授業では「英文法」と「英文解釈」「英作文」が中心で、「speaking」や「hearing」の勉強は度外視でした。

このように必要に迫られてする勉強なので、自分では自発的に勉強しているつもりでも、どうしても受け身になりがちでした。

ただ中には、数学の得意な人などは、「数学Ⅲ」から進んで数学オリンピックに出題されるような問題を解いたり、大学でやるような数学を勉強している人もいたと思います。

(2)病気をして勉強の楽しさを知る

私は高校2年の冬休みに、「若年性再発性網膜硝子体出血」という病気になり、3カ月くらいは本も新聞も一切読みませんでした。テレビも見ませんでした。目を使うとすぐに目が痛くなって、見ていられなくなるからです。

そして病気が小康状態になって、医師から「少しぐらいなら本を読んでもよい」と許可が出ました。春休みの時だったと思いますが、生物の教科書を流し読みしたのです。

その時、不思議なことに「本を読める喜び」というのか「勉強できる喜び」のようなものをしみじみと感じたのです。そして、さらに不思議なことに、「教科書に書いてある内容がスーッと頭に入ってきて、すぐに理解できる」「急に頭が良くなった?」ように感じたことです。

以前「ヨガの独習」という本を読んでいると、その著者が「」をした後「頭が冴えわたるような不思議な体験をした」と書いていましたが、私の体験も似たようなもので、「断」の効果だったのかもしれません。

出陣学徒の手記である「きけわだつみのこえ」に次のような文章があります。

新聞は如何なる新聞でも、例えば私物の泥靴を包んでおいたぼろぼろの新聞まで読み尽くしてしまった。・・・固い木の長椅子に座って、メンソレータムの効能書を裏表丁寧に読み返した時などは、文字に飢えるとは、これ程まで切実なことかとしみじみと感じた。

これは竹田喜義という東大文学部出身の学徒兵の手記で、彼は昭和20年4月済州島沖で戦死しています。22歳の若さでした。

兵隊に行った人から聞いた話ですが、「長い間新聞などの活字を読んでいなかった後、新聞が手に入ると皆が奪い合うように読んだ」そうです。また、外国通の人から「海外駐在員の人への土産に『文芸春秋』を持って行くと大変喜ばれる」という話を聞いたことがあります。

これなどは、「日本語に飢えている」人にとって、日本の新聞や雑誌は「干天の慈雨」のようなもので「随喜の涙を流す」ような貴重な読み物なのでしょう。

3.大学の一般教養課程と旧制高校との比較

(1)大学の一般教養課程

大学の一般教養課程の授業は、当時から「高校時代の勉強の焼き直し・延長」だとか「大教室でのマスプロ教育」だとか批判されていましたが、私も「中途半端」という印象を持っていました。

せっかく大学に入ったのだから、1年生から専門分野の勉強を始めてもよいのではないかと思ったのです。しかも教養課程は1年半もあり、専門課程の期間は2年半しかないので、じっくり専門分野の勉強をするには短すぎると感じていました。

私は一般教養課程時代に、教授から示された「参考図書」はかなり意欲的に読みましたが、何か違和感がありました。

その後「一般教養課程(教養部)」を廃止する大学が多くなったそうですが、今はどうなっているのでしょうか?

(2)旧制高校

戦前の旧制高校は、OBが異口同音に「良かった」と言います。エリート高校生たちが同じ寮で生活を共にして、哲学や人生を語り合い、切磋琢磨し、青春を謳歌したということでしょう。

しかし、現在のように大学が大衆化して、一概に「エリート教育」とは言い切れなくなった現状では、「旧制高校の夢よもう一度」は叶わぬ願いだと思います。



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