「兵役逃れ」(徴兵逃れ)にまつわる面白い話。夏目漱石・鈴木梅太郎・西田幾多郎・南方熊楠も兵役逃れ!?

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徴兵逃れ

私の父も妻の父も太平洋戦争に従軍しましたので、当時20代前後の若者には、病気の人を除いて全員に「召集令状」(赤紙)が来て戦争に駆り出されたものと思っていました。

しかし必ずしもそうではなく、「兵役逃れ」(徴兵逃れ)も結構あったようです。

召集令状赤紙

この「兵役逃れ」は太平洋戦争当時だけでなく明治時代にもあり、また日本以外のアメリカや韓国でもあったようです。

1.「兵役逃れ」(徴兵逃れ)とは

「兵役逃れ」(徴兵逃れ)とは、「各国の法律による兵役(徴兵制度)を逃れる行為で、一般に兵役に初めから参加しないで済ませる行為」のことです。「徴兵忌避」とも言います。

「人を殺傷すべきでない」などの倫理や道徳、宗教などに基づいて公然と兵役を拒むのは、「良心的兵役拒否」と呼ばれますが、国と時代によってはこれも「兵役逃れ」の一種として扱われます。

2.日本での「兵役逃れ」

(1)日本の徴兵制度

1873年の「徴兵令」発布により、原則として「国民皆兵」となりました。徴兵令では、満20歳の男子から抽選で3年の兵役(常備軍)とすることを定め、常備軍終了後は後備軍(予備役)としました。

しかし「家(いえ)制度保持」「租税負担者確保」「専門的技術者養成」などのために例外も設けられました。

徴兵免除されたのは次のような場合です。

①「体格が基準に達しない者」または「病気の者」

②「一家の主人たる者」「家の跡を継ぐ者」「嗣子ならびに承祖の孫」(承継者)

③「代人料を支払った者」

④「官省府県の役人、兵学寮生徒、官立学校生徒」

⑤「養家に住む養子」

このため「徴兵逃れ」のために養子になる者が続出し、「徴兵免役心得(ちょうへいのがれのこころえ)」という「徴兵制度や徴兵免除の条件をわかりやすく説明した解説書」まで出版され、ベストセラーになったそうです。

その結果、20歳以上の男子の3%~4%くらいしか徴兵できませんでした。また各地で「徴兵令反対の一揆」が起こりました。

このように、当初は国民の抵抗の強かった徴兵制度ですが、軍人勅諭や教育勅語による国防思想の普及、日清戦争・日露戦争の勝利、さらには軍隊での良質な食事や兵隊の待遇改善などによって、組織的な抵抗はなくなりました。

ただし個人レベルでは、さまざまな徴兵忌避対策が行われたようです。

1927年(昭和2年)に徴兵令を全部改正して制定された「兵役法」では、「兵役を免れるために逃亡し、または身体を毀傷し、詐病、その他詐りの行為をなす者は3年以下の懲役」などと規定されました。

しかし太平洋戦争中、理工系の旧制大学・旧制専門学校の学生は兵役が免除されたため、進路を理工系に変更する人もいたそうです。

また政治的有力者の子弟などは、兵役を逃れるために賄賂その他のさまざまな手段を用いる者があり、「軍属」となることで兵役を逃れたり、前線に比べて安全な内地勤務に配属される者がいたそうです。

(2)日本での有名人の「兵役逃れ」の具体例

①夏目漱石・鈴木梅太郎

徴兵令の適用年代には地域差がありました。本土では1873年(明治6年)ですが、小笠原諸島・北海道では1887年(明治20年)、沖縄本島では1898年(明治31年)まで徴兵はありませんでした。この地域差を利用した兵役逃れも行われていました。

夏目漱石(1867年~1916年)は、北海道に戸籍を移しています。ビタミン発見の先駆者の鈴木梅太郎(1874年~1943年)は、沖縄に戸籍を移しています。これはいずれも「兵役逃れ」のためであったと言われています。

②西田幾多郎

有名な哲学者の西田幾多郎(1870年~1945年)の父は、「1868年生まれの長男は兵役免除になる」という当時の徴兵令の規定を悪用して、1870年生まれの幾多郎を「1868年生まれ」と年齢を2歳多く詐称し、幾多郎の兵役を免れさせたそうです。

③南方熊楠

「知の巨人」と呼ばれる博物学者・生物学者・民俗学者の南方熊楠(1867年~1941年)のアメリカ留学は、徴兵で子供を失うことを危惧していた父と、徴兵による画一的な指導を嫌った熊楠との間で利害の一致を見たために実現したと考えられています。

(3)徴兵検査での「誤診」にまつわるエピソード

徴兵検査の診察を行うのは基本的に「軍医」ですが、戦局の悪化により、経験の浅い新米医師や臨時招集された民間医師も担当するようになり、「誤診」が多くなったそうです。

①三島由紀夫

小説家の三島由紀夫(1925年~1970年)は徴兵検査には合格したものの、入営検査の時に「気管支炎」を「肺浸潤」と誤診されて即日帰郷となりました。その負い目が彼にはずっとあったようで、それが彼をボディビルによる肉体改造や剣道、さらには「三島事件」へと駆り立てたのかもしれません。

②鶴見俊輔

哲学者・評論家の鶴見俊輔(1922年~2015年)は「結核」にもかかわらず、誤診によって徴兵検査に合格したため、「軍属」になって兵役を逃れるしかなかったそうです。

3.外国での「兵役逃れ」

(1)アメリカ

アメリカの3人の元大統領と現職の大統領に「兵役逃れ」疑惑があります。

それはクリントン元大統領(1946年~ )やブッシュ元大統領(1946年~ )、トランプ大統領(1946年~ )のことです。

クリントン元大統領の若い頃と言えば、ベトナム戦争が泥沼化していた時だと思いますが、イギリスに留学して徴兵逃れをしたそうです。

ブッシュ元大統領も同世代ですが、彼は「テキサス州軍」に入って兵役を逃れたそうです。要するに地元の「州兵」となっただけで、ベトナム戦争には従軍していません。

ニューヨークタイムズの報道によれば、トランプ大統領は、学業を理由に合計4回の徴兵免除を受けた後、22歳だった1968年、父親と関係がある医師の配慮で、「足の病気の診断書」をもらい、ベトナム戦争への徴兵を回避していた可能性があるそうです。

余談ですがケネディ大統領は第二次世界大戦に従軍し、魚雷艇の艦長となり日本軍の駆逐艦と衝突して、九死に一生を得た話は有名です。駐英大使だった父親の配慮で、最初は安全なワシントンの情報局勤務に就きました。しかし彼が敵国のスパイの可能性もあるスウェーデン人女性と恋愛関係に陥り、FBIの警告にもかかわらず別れないため、父親がその恋人と別れさせるために彼を海上勤務に移した結果でした。

(2)韓国

韓国の兵役逃れ

韓国では、男性タレント・スポーツ選手・政治的有力者の子弟といった著名人でも例外なく兵役の対象となるため、「身体的な不都合」などを捏造して、兵役逃れを行っていた例があるようです。

韓国では「兵役逃れは大罪」です。過去には人気韓流スターのソン・スンホンも「兵役逃れ」が発覚して国民から批判を受け、慌てて入隊しました。

「江南スタイル」が世界的にヒットしたPSY(サイ)もお灸を据えられています。「兵役特例」で企業に勤務していましたが、後に「不正な勤務」だったことが発覚し、兵務庁の命令で再入隊となりました。

後にPSYは「軍隊に二度も入隊した伝説の男」となり、ネタにしています。

元祖KーPOPアイドルのユ・スンジュンは、90年代に韓国で圧倒的な人気を誇り一世を風靡しましたが、2002年に「兵役逃れ」の烙印を押されて国外追放となり「入国禁止措置」が取られました。

先日、韓国のチュ法相の息子について、「兵役中の病気休暇からの未復帰疑惑」や「部隊配属や通訳兵選抜を巡る請託疑惑」があり、検察が今年1月から捜査中との報道がありました。野党からは法相辞任を求める声も出ています。

<2020/10/11追記>「兵役特例」で話題の「BTS(防弾少年団)」が議論に

米ビルボードのシングルチャートで1位を獲得した韓国の男性7人グループ「BTS(防弾少年団)」については、韓国国内で「兵役免除」を求める声が強まり、9月には「入隊の延期を認める法案」が提出されるなど話題になっています。ただし10月9日に兵務庁は、「公正と公平に合わない」と反対の立場を明らかにしています。

10月11日の「そこまで言って委員会NP」では、「BTSの最大の功績は」をテーマに議論されました。

田嶋陽子氏(元法政大学教授、元参議院議員)「平和的手段でアメリカに打ち勝った」

豊田真由子氏(元衆議院議員、元厚生官僚)「韓国の暗部を歌い、若者に自己受容の精神を広めた」

舛添要一氏(前東京都知事、元参議院議員)「現代韓国の魅力を世界に発信」

竹田恒泰氏(政治評論家、竹田恒和前JOC会長の三男)「ない」

他の3人が肯定的評価だったのに対し、竹田氏一人が「功績はない」と全面否定でしたが、竹田氏の発言はオンエアされませんでした。

竹田氏はツイッターで、「私があまりBTSをぼろくそに言ったせいか、一言もオンエアで使われなかった」と述べています。

BTSについては、2018年にメンバーのジミンが、「原爆きのこ雲韓国万歳」と書いたTシャツを着て批判が殺到した過去があります。

今回、竹田氏がどのような発言をしたのか聞きたかったところです。テレビ局が「何かに忖度」してカットしたのでしょうか?そうだとすれば残念です。

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