「串田孫一」は私が憧憬し敬愛する哲学者・詩人・随筆家・画家です。

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串田孫一

私が好きな作家の筆頭は、何度も書いているように夏目漱石(1867年~1916年)ですが、人間として憧憬を持ち、敬愛している人物は串田孫一(1915年~2005年)です。ただし本を通じてしか知らないのですが・・・

彼の文章を読んでいると、なぜか「心が癒される」というか、「心が平静になる」ような気がします。独特の詩的な文章は、山の稜線でふと一息ついた時に見える景色のように美しく心が洗われるようです。山を歩きながら思索を巡らせ、深みのある言葉を紡ぎ出したのでしょう。

彼は多くの本を書いていますが、私は「わたしの博物誌」(みすず書房)をまず読まれることをお勧めします。これは1961年8月から1962年9月にかけて「週刊朝日」に連載された60話をまとめた本です。ぜひ一度お読みください。

1.串田孫一とは

串田孫一は、三菱銀行会長や明治生命保険会長を務めた銀行家の串田萬蔵の息子で、東大哲学科を卒業後、上智大学、旧制東京高校、東京外国語大学で教鞭を執る傍ら「パンセ(瞑想録)」で有名なパスカル(1623年~1662年)の研究を行いました。

中学時代から登山を始め、1938年には処女短編集「白椿」を刊行しています。1946年には「永遠の沈黙パスカル」を上梓し、「歴程」同人となっています。

1955年には、最初の山の本「若き日の山」を出版、1958年には尾崎喜八らと山の文芸誌「アルプ」を創刊し、1983年に終刊するまで責任編集者を務めました。

1965年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティーを務めています。

彼は漱石が亡くなる1年前の大正4年に生まれ、平成17年に亡くなっています。私の親世代より少し上ですが、ほぼ同世代です。

2.串田孫一の魅力の源泉

私にとって串田孫一の魅力は次のようなことです。

(1)動物や植物など自然全般が好きであること

「自然好き」というか「博物好き」と言った方がよいかもしれません。ちなみに昭和初期までの小学校・旧制中学には「博物学」という学科がありました。これは動物・植物・鉱物について学ぶもので、現在では「生物」と「地学」に相当するものでしょう。私が学んだ高校は前身が旧制中学だったので「博物学教室」があり、その廊下には、多くの動物のはく製や骨の標本が飾られていました。

(2)登山が好きであること

私は本格的な登山はしたことがありませんが、低山歩きや里山を歩くことは大好きなので、そこに共通点を見出しています。

(3)詩人であること

私は歴史や日本語についての興味が人一倍ありますが、石川啄木、北原白秋、三好達治、立原道造やゲーテ、キーツ、ブレイクなどの詩も好きなので、親近感を覚えます。

(4)思索家(哲学者)であること

「知識人」とか「読書家」というよりも、パスカルのパンセを研究していた人だけあって、この人の文章の底流には深い思索があるように感じられます。

「マルクス主義」や「社会主義」のような偏向した「思想家」ではなく、普遍的で内省的な「思索家」というのが魅力です。

3.串田孫一の著作

串田孫一わたしの博物誌わたしの博物誌

私は彼の著作のうち、「山のパンセ」「わたしの博物誌」「地球の天使たち」「記憶の道草」「思索の遊歩道」「ものの考え方」などを読みましたが、中でも辻まこと(1913年~1975年)の挿絵入りの「わたしの博物誌」が特に印象に残っています。どこか懐かしい心温まる楽しい読み物です。

余談ですが、「わたしの博物誌」の挿絵を描いた辻まことは、詩人・画家で、山岳・スキーなどをテーマにした画文や文明批評的なイラストで知られています。ちょっと意外ですが、彼の父親は日本における「ダダイズム」の中心的人物の辻潤(1884年~1944年)で、母親は婦人解放運動家で「甘粕事件」でアナキストの大杉栄とともに殺害された伊藤野枝(1895年~1923年)です。

そういう両親の血を受け継いだのか彼は戦後アナキスト連盟機関紙「平民新聞」に挿絵・風刺画文を寄稿したりしたそうですが、「わたしの博物誌」では思想的な偏向は見られず、純粋な博物好きによる挿絵になっています。

4.串田孫一の名言・言葉

・忍苦とは、晴れ晴れした日の予感を抱き、現在をその日のために、どうしても歩まねばならぬ当然の道として、黙って進むことである。

・裏切りがいやならば期待はしない方が賢明だ。だから裏切りの大きさは期待の熱意に正比例する。

・どうかしましたか。誰かにそう言われる時は、必ずどうかしている。

・怒るのは感情、叱るのは理性。

・若いうちは何かになりたいという夢を持つのもいい。しかし、もっと大切なのは、いかに生きるかである。日々の行いを選び積み重ねることが人生の行方を定める。

彼は「山歩きの詩人」です。彼は山歩きからもたらされた恵みを芸術以前の実験の場で忠実に記録しようとしたようです。

私の勝手な理解ですが、山歩きから得られる「達成感・充実感・爽快感・自然の偉大さと自分の卑小さの自覚」などを瞑想・省察といった思索を通じて昇華する行為が彼の詩作だったのではないかと思います。

・愛するものをもう一度考えてみること。くりかえし考えてみること。これは実験である。芸術以前の静かな実験である。

亡くなる直前の2005年6月24日付けの日本経済新聞夕刊のインタビュー記事「道草の効用」では、次のように述べています。少し長いですが引用します。

優しさや温かさが大切にされない時代になってきた感じがします。
日本人は元来、自然とうまく折り合いをつけながら暮らしてきた。その生き方こそが、今の時代に求められている。

新聞を読んでいても明るい話が少ない。勝ち組だ、負け組だとだんだんつらい世の中になってきました。

今の時代をどう語ったらいいか・・。日本人が利口になりすぎた気もします。これ以上は文句を言われるからやめておこうと、議論を避ける。

私の恩師である仏文学者の渡辺一夫先生は「敗戦日記」を書かれた方です。あの戦時下でも、国のあり方をしっかり問うていた勇気ある知識人がいたのです。

でも、この前、電車に乗って歯科医に出かけたときは、若い女性が、どこか、お体の具合が悪いのですか、と声をかけてくれた。道で転んだときも小学生の男の子が、おじちゃん、頭から血が出ているよ、とハンカチを貸してくれた。こういう経験をしてみると、この国もまだ捨てたものではないな、と思ったりもします。
そう、戦争末期に「金魚、金魚」という金魚屋の売り声を聞いたときに抱いたのと似た感じですね。


山のパンセ (ヤマケイ文庫) [ 串田孫一 ]



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