前に「江戸時代も実は『高齢化社会』だった!?江戸のご隠居の生き方に学ぶ」という記事を書きましたが、前回に引き続いて江戸時代の長寿の老人(長寿者)の老後の過ごし方・生き方を具体的に辿ってみたいと思います。
第2回は「加賀千代女」です。
1.加賀千代女の老後の過ごし方
前に書いた「トンボ(蜻蛉)にまつわる思い出話」という記事の中で、「蜻蛉釣り 今日はどこまで行ったやら」という俳句をご紹介しました。
これは江戸時代の女性俳人の加賀千代女の俳句です。彼女の息子は幼い頃に死んでしまいます。いなくなってしまった息子は、きっと遠くまで蜻蛉を捕りに出掛けたのだろう。早く帰ってこないかなあ。あるいは天国で蜻蛉釣りをしながら楽しく暮らしているのかしら・・・と子供を偲ぶ句です。
彼女には「朝顔につるべ取られてもらひ水」という有名な俳句もありますね。下の画像は、この俳句と加賀千代女を描いた歌川国芳の浮世絵です。
(1)加賀千代女の前半生
加賀千代女(かがのちよじょ)(1703年~1775年)は、加賀国松任(今の白山市)で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれました。松尾芭蕉の『奥の細道』が刊行された翌年です。
幼名はつ、号は素園、草風。一般庶民にもかかわらず、幼い頃から俳諧をたしなんでいたということです。
12歳の頃、奉公した本吉の北潟屋主人の岸弥左衛門(俳号・半睡、後に大睡)から俳諧を学ぶための弟子となりました。16歳の頃には女流俳人として頭角を現しています。
17歳の頃、諸国行脚をしていた俳諧師・各務支考(かがみしこう)(蕉門十哲の一人)(1665年~1731年)が地元に来ていると聞き、宿に赴き弟子にしてくださいと頼むと、「さらば一句せよ」と、ホトトギスを題にした俳句を詠むよう求められました。
千代女は俳句を夜通し言い続け、「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明けにけり」という句で遂に支考に才能を認められ、指導を受けました。そのことから名を一気に全国に広めることになりました。
結婚したか否かについては説が分かれていますが、「蜻蛉釣り 今日はどこまで行ったやら」や「破る子の なくて障子の 寒さかな」のような俳句を見ると、子供を生んだもののその子が夭折したことは間違いなさそうです。
通説によると彼女は1720年(享保5年)、17歳のとき金沢藩の福岡某(一説に金沢大衆免大組足軽福岡弥八)に嫁ぎ男の子を生みましたが、20歳の時、夫に死別し子も早世して松任の実家に帰ったということです。結婚に際して、「しぶかろかしらねど柿の初ちぎり」という句を残したという伝もあります。
彼女は生まれつき身体が弱く、その後結婚することはありませんでしたが、街道沿いの千代女の家には、次々と各地の俳人が立ち寄って句を交わし、また、頻繁な書簡の交換によって多くの俳書に入集して行きます。
(2)加賀千代女の後半生
30歳の時、京都で伊勢派の俳諧師・中川乙由(なかがわおつゆう)(1675年~1739年)(*)に会ってその才能を認められ、当時としては珍しい女流俳人として名声をほしいままにしています。また画を五十嵐浚明(いがらししゅんめい)(1700年~1781年)に学んでいます。
(*)中川乙由は、伊勢国船江の新屋と号する豪商でしたが、風雅遊興を好んだため、一代で家業を傾けた人物です。
年を経るに従い、父母や兄など家族に不幸が続いたことから、家業に従事せねばならず、俳諧を続けることが困難になります。しかし、この期間に千代女の内面の充実があったと考えられます。
40歳代後半から、加賀の俳人達の書画軸制作が流行し始め、それと共に千代女の俳諧活動は再開されます。
1754年(宝暦4年)51歳で剃髪した後の10年余りはめざましい活躍を見せ、1763年(宝暦13年)には、藩命によって朝鮮通信使献上の句軸・扇を書き上げ、翌年には既白編『千代尼句集』を上梓しています。
こうした活動は地方俳壇に大きな刺激を与えており、加賀では蕉風復帰が叫ばれ、やがて全国的な俳諧中興の機運を醸成するのに寄与していったと考えられます。
71歳の時、与謝蕪村の『玉藻集』の序文を書いています。
1775年(安永4年)9月8日、彼女は長く続いた病のあと72歳で亡くなりました。1,700余の句を残したといわれています。
辞世の句は、「月も見て我はこの世をかしく哉」です。
彼女は若くして後家になり、子供も夭折しましたが、その後再婚もせず俳句を生きがいとして、生涯の大半を北国の小さな在郷町で過ごし、非常にストイックな生活を送ったようです。
建礼門院(けんれいもんいん)(1155年~1213年)のように、平家滅亡後、生き永らえて京・大原の里に隠棲して、仏に救いを求め平氏一門の菩提を弔う仏道一筋に生きた女性もいますが、彼女の場合は俳句が救いとなったようです。
夫が若くして亡くなったり、離婚してシングルマザーになった女性が、「苦労しながらも子供の成長が生きがいで何とかやってこられた」という話はよく聞きます。そういう意味では、子供も幼くして亡くした彼女は不幸だったと思いますが、彼女は朝顔などの花や自然を愛し、それらを優しく俳句に詠み込んだり、時には子供や夫への追憶も俳句に託すことで、72年の生涯を生き抜けたのでしょう。
2.加賀千代女の俳句
作風は概して平易・通俗的であり、とくに気のきいた理知の働きを含んだ風調が、当時世の人々に喜ばれました。
・ほととぎす 郭公(ほととぎす)とて 明けにけり
・蜻蛉釣り 今日はどこまで行ったやら
・朝顔に つるべ取られて もらひ水
ただし、この句は35歳の頃に「朝顔や」に詠み直しています。
・渋かろか 知らねど柿の 初ちぎり
・あさ顔や 蝶のあゆみも 夢うつゝ
・朝顔や 宵から見ゆる 花のかず
・起きて見つ 寝て見つ蚊屋の 広さかな
・破る子の なくて障子の 寒さかな
・髪を結ふ 手の隙(ひま)明て 炬燵哉
・仰向いて 梅をながめる 蛙かな
・うくひすや はてなき空を おもひ切
・鶯や わが聞くをまづ わが初音
・たんぽぽや 折々さます 蝶の夢
・里の子の はだまだ白し ももの花
・春雨や 土の笑ひも 野にあまり
・蝶々や 何を夢見て 羽づかひ
・花に針 心知りたき 茨かな
・あじさいに しずくあつめて 朝日かな
・夕顔や 女子の肌の 見ゆる時
・松の葉も よみつくすほど すずみけり
・紅さいた 口もわするる しみづかな
・蝉の音の 秋へこぼれて 暑さかな
・百なりや つるひとすじの 心より
・ほしあいを 何とかおもふ 女郎花
・月の夜や 石に出てなく きりぎりす
・朝あさの 露にもはげず 菊の花
・又咲ふ とはおもはれぬ 枯野かな
・はつ雪や 子どもの持て ありくほど
・水仙は 香をながめけり 今朝の雪
・雪の夜や ひとりつるべの 落つる音
・独り寝の さめて霜夜を さとりけり
・冬枯や ひとり牡丹の あたたまり
・叩かれて寝 夜や雪の 降るけしき
・鉢たたき 夜毎に竹を 起しけり
・ころぶ人を 笑ふてころぶ 雪見哉
・福わらや ちりさへ今朝の うつくしさ
・福寿草 まだ手もおけぬ ところより
・わかみづや 流るるうちに 去年(こぞ)ことし
・うつくしい 夢見直すや 花の春
・来たといふ までも胡蝶の 余寒(よさむ)かな
・よき事の 目にもあまるや 花の春
・手折(たお)らるる 人に薫るや 梅の花
・水ぬるむ 小川の岸や さざれ蟹
・花の香に うしろ見せてや 更衣(ころもがえ)
・音なしに 風もしのぶや 軒あやめ
・ぬれ色の 笠は若葉の 雫にて
・風さけて 入口涼し 菖蒲哉
・しばらくは 風のちからや 今年竹
・釣竿の 糸にさはるや 夏の月
・秋たつや 寺から染て 高燈籠
・京へ出て 目にたつ雲や 初時雨
・似た事の 三つ四つはなし 小六月
・墨染で 初日うかがふ 柳かな
・ともかくも 風にまかせて かれ尾花
・蝶は夢の 名残(なごり)わけ入(る)花野哉(かな)
・月も見て 我はこの世を かしく哉(辞世の句)
「かしく」(【恐・畏・可祝】)は挨拶言葉で、ここでは「この世におさらばする」という意味です。「かしく」は「かしこ」(*)が転じたものです。
(*)「かしこ」(【恐・畏・賢】)は手紙の末尾に書く語で「かしく」とも言い、主に女性が用います。
千代女は、「八月十五日の中秋の名月はもちろん、世の中の有様を十分に見尽くしたので思い残すことはない」。そして、「かしく」という言葉に、「この世でお世話になりました。ありがとう、さようなら」という意味を込めたのでしょう。
3.落語「加賀の千代」
三代目桂三木助の噺、「加賀の千代」
暮れも押し詰まって大晦日。それなのに金策が出来ていない甚兵衛亭主の尻をたたく女房。無いものはないとケロッとしている亭主に、ご隠居さんの所で借りておいでとけしかける。
「ご隠居さんはお前が可愛くてしょうがないから、貸してくれるよ」、「子供でもないのにかい」、「犬や猫を可愛がる人は膝に乗せたり胸に入れたり子供以上だ。生き物だけでなく植物だって同じで、朝顔だって同じだよ」、「植木鉢を膝に乗せたり胸に入れたり?」、「昔、加賀に千代という歌の上手い女性が居た。お殿様の耳に入り伺候(しこう)する事になった」、「四光は難しいぞ」、「花札と違うよ。殿中に上がりお殿様と対面したら、着物の紋が目に入った。紋は梅鉢であったので句を詠んだ『見やぐれば匂いも高き梅の花』。たいそうお褒めの言葉をいただいた。そのぐらい歌が上手かった」、「朝顔は何処に」、「ある朝、水を汲みに入ったら、井戸端に朝顔が巻き付いて花を咲かせていた。水が汲めないので近所に水をもらいに行った、その時に詠んだ句が『朝顔につるべ取られてもらい水』、朝顔だって可愛がる人が居る。ご隠居さんがお前を可愛がるのに不思議があるか」、「俺は朝顔か」。
「どれだけ借りてくれば良いんだ」、「20円」、「20円もか。ホントはいくらあれば良いんだ」、「8円5~60銭有れば良いんだが、20円と言って『そんなには貸せないから半分』と言われても何とかなるだろが、それを10円貸してくれと言って半分の5円では”帯に短しタスキに長し”だろ。特に今日は手土産の饅頭を持っていかないとね。手土産を持ってこられたら手ぶらでは帰せないだろ」。出来た女房に追い出されて、ご隠居の所に。
待っていたから上がれ、上がれと歓待するご隠居さんです。「様子を見れば分かる。いくら欲しい」、「今月はいつもと違うので、ビックリするな、20円」、「ビックリするなと言うと120円か」、「話の分からないご隠居さんだな」、「では、220円か」、「怒りますよ」、「足りなければ本家に電話するから。で、本当はいくらなんだ」、「8円5~60銭」、「バカ野郎。それなら最初から8円5~60銭と言いなさい」、「それは素人。最初から8円5~60銭と言って半額の5円になったら”帯に短しタスキに長し”になってしまう」、「では10円」、「アリガトウ。やっぱり朝顔だ」、「その朝顔とは何だ」、「『朝顔につるべ取られてもらい水』だ」、「チョと待ちなさい。『朝顔につるべ取られてもらい水』?解った。加賀の千代か」、
「う~~ん、嬶(かか)の知恵」。