高階春帆は幕末から明治を生きた高槻藩士で、藤井竹外の弟子の有名な漢詩人!

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高階春帆

前に幕末期の高槻藩士で有名な漢詩人の「藤井竹外」の記事を書きましたが、その弟子の高階春帆も有名な漢詩人です。

よく似た名前の幕末の兵学者・砲術家の高島秋帆(1798年~1866年)は全国的に有名ですが、高階春帆の方は全国的には知名度は低いかもしれません。

今回は高階春帆について、簡単にご紹介したいと思います。

1.高階春帆(たかしなしゅんぱん)とは

高階春帆(1825年~1906年)は、高槻藩士で漢詩人です。名は秀民、通称は民太郎です。別号に天衣道人があります。

藤井竹外(1807年~1866年)に漢詩を学び、師が亡くなった明治維新後は自ら私塾を開いて竹外の門下生を集め、「竹外吟社」を作りました。

彼の師の藤井竹外は、幕末の動乱期に生き、明治維新を見ることなく亡くなりましたが、彼は「明治維新・文明開化・富国強兵・殖産興業・欧化政策・日清戦争・日露戦争」とその後の時代の変転を見届けました。

個々の人間にはそれぞれの寿命という限界がありますので、「一つの時代の物語の結末を見ることができずに終わる」人もいれば、「時代の変転の物語を最後まで見届けることができる人」もいます。彼は後者と言えるでしょう。

彼は明治39年に81歳で亡くなっています。墓は高槻市の古曽部にある曹洞宗の「伊勢寺」にあります。この「伊勢寺」には歌人伊勢を祀った「伊勢廟堂」があります。

また「伊勢寺」の近くには歌人伊勢に私淑した歌人能因法師の隠棲地と伝えられる場所があります。その旧居跡に「少林窟道場」(正林庵、松林庵)があり、曹洞宗系の座禅道場となっています。その下には彼の墓と伝えられる「能因塚」があります。

2.高階春帆の代表作

彼も、師の藤井竹外と同様に「七言絶句」を得意としていました。

68歳の時に刊行した詩集「春帆楼百絶」があります。

伊勢寺には、彼の「七言絶句」の漢詩「伊勢櫻」の碑があります。(上の写真)

芳樹依然無古今 風流緬想美人心 珊瑚瑇琩妾何愛 愛此櫻花瓔珞簪

なお「七言絶句」とは、漢詩の形式の一つで、1句に7語、全部で4句28語からなっています。「五言絶句」(1句に5語、全部で4句20語)に次いで短い漢詩です。

ちなみに「五言律詩」は1句に5語、全部で8句40語、「七言律詩」は1句に7語、全部で8句56語と、「絶句」のそれぞれ2倍の語数がある漢詩形式です。

3.高階家文書

高階家は、高槻藩で中老や家老を務めた家禄120石の家柄です。高階家は、永井氏初代藩主の永井直清の代から仕えています。

「高階家文書」という古文書が残っており、漢詩人として活躍した春帆の文書も多数伝わっています。「高階家文書」の内訳は、高階家の経歴に関する史料、砲術関係の史料、漢詩・和歌・歌稿などです。

春帆の交友関係を示す史料としては、高槻藩茶頭の堀内宗完が彼に原稿の批評を求めた書状や、幕末から明治期にかけて活躍した漢詩人の大沼枕山(1818年~1891年)や小野湖山(1814年~1910年)に関する史料があります。

また、同じく竹外の門人であった市村水香(1842年~1899年)から持病のリウマチの病状を告げる書状もあります。市村水香は高槻藩士で藩校「青莪堂」の世話方にもなった儒学者で漢詩人です。

このように彼は広い交友関係を持ってたことが窺えます。



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