「みぎ」と「ひだり」の語源は?古語の「めて」と「ゆんで」の語源も紹介

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右の語源

私たちが当たり前のように使っている「右(みぎ)」と「左(ひだり)」ですが、「語源は何だろう?」と聞かれると、すぐに答えられる人は少ないと思います。

ところで咄嗟に「右」とか「左」と言われて、わからずに「どっちが右だった?」と戸惑う(あるいは間違える)人が時々います。人間ドックでバリウムを飲んで体の位置を変える指示をされた時や、歯医者で「痛かったら左手を挙げてください」と言われて一瞬どちらかわからなくなる人です。

左右の方向を判断するのに時間がかかってしまうことや人のことを「左右盲」(左右失認)といいます。「お箸は右、お茶碗は左」と教えられても、左右の判断ができないのが特徴です。何度教えても左右の判断ができない子どもは、左右盲かも知れません。一般的に左右盲は左利きを矯正された人に多いと言われています。

私も子供の時にどのように覚えたのかはっきりしませんが、「箸を持つ方が右」と覚えたのかもしれません。ただし、左利きの人は「箸を持つ方が左」と覚えたのでしょう。

1.「みぎ」と「ひだり」の語源

(1)「みぎ(右)」の語源

「みぎ(右)」とは、相対的な位置のひとつで、「北を向いた時に東にあたる方のこと」です。「ひだり(左)」の対です。

「右」の語源は、手で物を握る方なので「にぎり(握り)」が「みぎり」から「みぎ」に転じたとする説が有力とされています。

そのほかに、右の方が力が強いことから、「もちきり(持切)」の意味とする説、
右は南を向いた時に西にあたり、日の沈む方なので「みきる(見限)」の意味とする説、
かばうようにして物を持つ手なので、「みふせぎ(身防)」の意味とする説などがあります。

右を古くは「みぎり(右り)」とも言いいましたが、「みぎり」が略され「みぎ」になったものか、「ひだり(左)」に合わせて「みぎ」を「みぎり」と言ったものか分かっていません。

また、『名義抄』の「右 ミキ」のように濁音化されていない例も見られ、語源の特定は非常に難しいものです。

(2)「ひだり(左)」の語源

「ひだり(左)」とは、正面を南に向けたときの東側にあたる側です。人体を座標軸にして言います。人体では心臓の通常ある側で、東西に二分した時の東方です。

「左」の語源は、南を向いて立ったときに東、つまり朝日の出る方向なので「日出り」から「ひだり」になったそうです。

2.古語の「めて」と「ゆんで」の語源

めて(馬手)」とは、右手、右の方、右側を表す古語です。

ゆんで(弓手)」とは、左手、左の方、左側を表す古語です。「ゆんで」は「ゆみて」の撥音便です。

「馬手」と「弓手」の語源は、馬を走らせつつ矢を射る場合、右手で手綱を取り、左手で弓を持つことが多いため、右手を「馬手」、左手を「弓手」と言うようになりました。

そこから、左右それぞれの方向を示すようにもなりました。

古式弓馬術(伝統的騎射術)である「流鏑馬(やぶさめ)」(流鏑馬神事)では、手綱から手を放して、右手で矢を番(つが)え、左手に弓を持って的を射ますが、矢を射る時以外は、右手で手綱を握り、左手に鞭を持っています。

流鏑馬神事流鏑馬

余談ですが、流鏑馬(やぶさめ)は、古代においては、「馬的射(むまゆみいさせ)」「騎射(むまゆみ)」「矢馳せ馬(やはせむま)」と呼ばれていました。

これが「矢馳せ馬(やばせめ、やばせうま)」と変化し、さらに「やぶさめ」へと転訛し、その音変化に対して当て字されたのが「流鏑馬」および「鏑流馬」であったと考えられています。

3.左近の桜・右近の橘(さこんのさくらうこんのたちばな)

左近の桜右近の橘

上の画像にもあるように、雛人形の左右にも置かれていますね。

本来は、平安宮内裏の紫宸殿(南殿ともいう)前庭に植えられている桜と橘(タチバナ)のことです。

左近・右近は左近衛府・右近衛府の略称です。左近は紫宸殿の東方に、右近は西方に陣を敷きますが、ちょうどその陣頭の辺に植えられているのでこの名があります。

ところで、「これは左右逆ではないか?」と感じた方もおられるのではないでしょうか?

実は「左近・右近」は、「天子南面(てんしなんめん)」(*)の御所・天皇から見た左右なのです。京都市の「左京区・右京区」も同様です。

平安京は中国の都をお手本にして作られたと言われています。中国には、君主は北を背にして南に向かって座して政務を行うしきたりがありましたが、それに従って、古代中国の都市は都の北の中央に王様が暮らす宮城を置き、そこから南に向かって整然とした区画を拡げていき、都市のカタチを造りました。

平安京も同様に都の北にある内裏から南に向かって座す天皇を基準に、都の中央を南北に通る朱雀大路より左手を左京、右手を右京と呼ぶようになったのです。

京都市左京区・右京区

(*)「天子南面」とは、天から統治者として認められた「天子」「皇帝」「天帝」が、北を背にして南を向くという意味です。つまり天皇は北を背にしています。ですから、天皇から見て「左」が優位になります。なぜかというと太陽が昇る東が「左」になるからです。左大臣と右大臣ならば左大臣の方が偉いのです。

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