「運命」「因果」「禍福」を表す四字熟語

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有為転変

「運命」「因果」「禍福」を表す四字熟語には、次のようなものがあります。

1.有為転変(ういてんぺん)

この世の全ての存在や現象は常に移り変わるものであり、少しの間もとどまっていないことです。また、この世が無常で、はかないものであるたとえです。

もと仏教語で、「有為」は因縁(原因)によって生じたこの世の一切の現象のことです。

「有為無常(ういむじょう)」とも言います。

「盛者必衰(しょうじゃひっすい/じょうしゃひっすい)」「諸行無常(しょぎょうむじょう)」も同様の意味です。

対義語は、「永遠不変」「永久不変」「万古不易(ばんこふえき)」です。

余談ですが、大学教養部時代に英語の副読本で読んだイギリスの小説家イーヴリン・ウォーの「Decline and Fall」(大転落/衰亡記)のタイトルを、教授が「有為転変」と訳していたのがなぜか記憶に残っています。

2.因果因縁(いんがいんねん)

物事を成り立たせる原因や条件のことです。

仏教語で、「因果」は物事の原因と結果で、「因縁」は物事を成り立たせる直接的な原因と間接的な原因・条件です。

物事はさまざまな「因果「因縁」によって成り立っているという考えを表すのに用いられ、具体的には、現在(今生)は過去(前世)の行為の結果であり、未来(来世)は現在(今生)の行為の結果であるという意味(「三世応報(さんぜおうほう)」「因果応報(いんがおうほう)」)で用いられることが多いようです。

3.因果覿面(いんがてきめん)

悪いことをした報いがすぐに目の前に現れることです。

「因果暦然(いんがれきぜん)」「応報覿面(おうほうてきめん)」「天罰覿面(てんばつてきめん)」「積悪之報(せきあくのむくい)」も同様の意味です。

「因果」は物事の原因と結果のことですが、ここでは特に悪い行いによる悪い報いの意です。

「覿面」は、目(ま)の当たりの意で、転じて目の前にはっきりした報いが速やかに現れることです。「効果覿面」などとよく言いますね。

4.陰徳陽報(いんとくようほう)

人知れず善行をする者には、必ず良い報いがはっきりと現れるということです。

「陰徳」は人に知られない善行で、「陽報」は表面にはっきり現れる良い報いのことです。

人に隠れた善行でも天が見ており、きっと良い報いがはっきりと現れ、名声をもたらすということです。

一般には「陰徳あれば必ず陽報あり」と訓読します。

「善因善果(ぜんいんぜんか)」「于公高門(うこうこうもん)」も同様の意味です。

5.于公高門(うこうこうもん)

ひそかに善行を積み重ねた家の子孫は繁栄することのたとえです。出典は「漢書」です。

「于公」は中国・漢代の丞相となった于定国(うていこく)の父のことです。

「于公門を高くす」と訓読します。

中国・漢の于定国の父は、裁判官として公平に裁判を処理して、人知れず善行を積んでいました。その村の門の修理の時、村人に、ひそかに善行を積む家の子孫には出世する者が出て反映するであろうと言い、その門を高大に造らせたという故事です。

6.陰徳恩賜(いんとくおんし)

人知れず善行をする者には、必ず良い報いがあり、恵み深い賜物(たまもの)を得るということです。

7.栄枯盛衰(えいこせいすい)

栄えることと衰えること、栄えたり衰えたりを繰り返す人の世のはかなさのことです。

「栄枯」は草木が茂ることと枯れることの意から、人・家・国などの勢いの盛衰を言います。

「盛衰栄枯」とも言います。

「栄枯休咎(えいこきゅうきゅう)」「栄枯窮達(えいこきゅうたつ)」「栄枯浮沈(えいこふちん)」「盛者必衰(しょうじゃひっすい)」「盛衰興亡(せいすいこうぼう)」も同様の意味です。

8.禍福倚伏(かふくいふく)

災いと幸せは順繰りに訪れるものだということです。出典は「老子」です。

福の中に禍が潜み、禍の中に福が潜むということです。「禍福」は災いと幸い、「倚伏」は禍福が互いに生じることです。

9.禍福糾縄(かふくきゅうじょう)

「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」ということわざの四字熟語です。

幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえです。出典は「史記」と「漢書」です。

災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものです。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりします。成功も失敗も縄のように表裏をなして、目まぐるしく変化するものだということのたとえです。

「史記」には「禍に因(よ)りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、「漢書」には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とあります。

「糾う」は、「糸をより合わせる」「縄をなう」ことです。

「禍福糾纆(かふくきゅうぼく)」も同様の意味です。「纆」は縄のことです。

10.禍福無門(かふくむもん)

「禍福門なし、只人の招く所(かふくもんなし、ただひとのまねくところ)」ということわざの四字熟語です。

わざわいや幸福のやってくる一定の門はないということです。出典は「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」です。

悪をなせばわざわいが、善をなせば福が来るのであって、結局はその人の所行が招くものだという意味です。

11.塞翁失馬(さいおうしつば)

「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま/じんかんばんじさいおうがうま)」ということわざの四字熟語です。出典は「淮南子(えなんじ)」です。

人生における幸不幸は予測しがたいということです。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではないというたとえです。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言いました。やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻って来ました。

人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言いました。すると胡の馬に乗った老人の息子が、落馬して足の骨を折ってしまいました。

人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言いました。1年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり、若者たちはほとんどが戦死しました。

しかし足の骨を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく言葉です。

「塞翁之馬(さいおうのうま)」とも言います。

12.自作自受(じさくじじゅ)

自分の行った悪事によって、自分が悪い結果を得ることです。

「自業自得(じごうじとく)」と同様の意味です。

13.墜茵落溷(ついいんらくこん)

人には運不運がつきものであることのたとえです。出典は「南史」です。

「墜」「落」はともに落ちる意で、「茵」はしとね・敷物、「溷」は便所の意です。

散った花が風に吹かれて、あるものは運よく敷物の上に落ち、あるものは運悪く便所に落ちる意です。

中国南朝・粱の范縝(はんしん)が「人間の富貴貴賤は因果応報によるものではない」ことを説くのに用いたたとえです。

「茵に墜(お)ち溷に落つ」と訓読します。

14.富貴在天(ふうきざいてん)

富や位を手に入れるのは天命によるので、人の思うようにはならないことです。出典は「論語」です。

「富貴天に在(あ)り」と訓読します。

15.福善禍淫(ふくぜんかいん)

天は、善なる者には幸福を与え、不善なる者には不幸を与えるということです。出典は「書経」です。

「善に福(さいわい)し淫に禍(わざわい)す」と訓読します。




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