<ハーデースとケルベロス(犬の怪物)像 イラクリオン考古学博物館所蔵。>
『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第17回は「冥府の神ハーデースは閻魔様のようなもの!」です。
1.ハーデースとは
ハーデース(ハデス)は、ギリシア神話の冥府の神で、閻魔様のようなものです。クロノスとレアーの子で、ポセイドーンとゼウスの兄です。妻はペルセポネー。その象徴は豊穣の角及び水仙、糸杉です。ポセイドーンと同じく馬とも関連があります。
あまり知られていませんが、オリュンポス内でもゼウス、ポセイドーンに次ぐ実力を持ちます。後に冥府が地下にあるとされるようになったことから、「地下の神」ともされ、「ゼウス・クトニオス」(地下のゼウス)という別名を持っています。「縁の下の力持ち」のような存在ですね。
ハーデースは、「プルトン(Pluton)」(富める者の意)とも呼ばれますが、これは万物を生み育てる大地のもつ富の力を表し、地下の神としてその地下の富を所有することからハデスの別名となりました。またローマ神話では、「プルト(Pluto)」、「ディース(Dis)」(富の意)などとも呼ばれ、いずれもプルトンに由来します。
普段冥界に居てオリュンポスには来ないためオリュンポス十二神には入らないとされる場合が多いですが、例外的に一部の神話ではオリュンポス十二神の1柱としても伝えられてもいます。
また、さらに後には「豊穣神」(作物は地中から芽を出して成長する)としても崇められるようになりました。パウサニアースの伝えるところに依ればエーリスにその神殿があったといわれています。
生まれた直後、ガイアとウーラノスの「産まれた子に権力を奪われる」という予言を恐れた父クロノスに飲み込まれてしまいます。その後、末弟ゼウスに助けられクロノスらティーターン神族と戦い勝利しました。クロノスとの戦いに勝利した後、ゼウスやポセイドーンとくじ引きで自らの領域を決め、冥府と地底を割り当てられたとされます。
しかし、ホメーロスなどの古い時代の伝承によれば、ハーデースの国は、極西のオーケアノスの流れの彼方にあるとされていました。
神話中では女性の扱いに不慣れで、略奪する前のペルセポネーにどうアプローチしていいか悩むなど、無垢で純真な一面を見せます。
被ると姿が見えなくなる「隠れ兜」を所持しており、「ティーターノマキアー」ではこれを活用してクロノスと対決するゼウスに助力し、結果的にティーターン神族を打ち破っています。
「ギガントマキアー」においてもヘルメースがこれを用いて戦いました。また、この兜はペルセウスに貸与されメドゥーサ退治にも貢献しました。またハーデースは、二叉の槍バイデントを持った姿で描かれます。
2.ハーデースにまつわる神話
ハーデースはゼウスなどと異なり、神話や物語が多くありません。その中で唯一際だっているのが、后であるペルセポネーの略奪をめぐる話です。
ペルセポネーはゼウスと大地の豊穣の女神デーメーテールの娘であり、コレー(「娘・少女」の意)の異名を持ちます。ペルセポネーはまたデーメーテールと共に「2柱の女神」とも呼ばれます。
ペルセポネーは冥府の女王としてハーデースの傍らに座しており、夫婦で死者を裁くとされます。
(1)ペルセポネーの掠奪
<ペルセポネの略奪 ベルニーニ作>
<ペルセポネーの略奪 レンブラント画>
『ホメーロス風讃歌』中の『デーメーテール讃歌』によれば、ハーデースはペルセポネーに恋をして、ニューサで花を摘んでいたコレー(ペルセポネー)を略奪して、地中に連れ去りました。ニューサは山地と伝えられますが、具体的にはどこの山であったのか諸説があり、明確には分かりません。またハーデースがコレーを攫(さら)ったのはニューサ以外の土地であるとする伝説もあります。
ハーデースがペルセポネーに恋をしたのはアプロディーテーの策略であるとされています。ペルセポネーが、アテーナーやアルテミスにならって、アプロディーテーたち恋愛の神を疎んじるようになったことに対する報復として、冥府にさらわれるように仕向けたのです。
ある日ハーデースは大地の裂け目から地上を見上げ、その目にニュンペー達と花を摘んでいたペルセポネーが映ります。そこをアプロディーテーの息子エロースの矢によって射たれ、ハーデースはペルセポネーに恋をしました。
コレーに恋をしたハーデースはコレーの父親であるゼウスのもとへ求婚の許可をもらいに行きますが、ゼウスはコレーの母親であるデーメーテールに話をつけずに結婚を許しました。ハーデースは水仙の花を使ってコレーをおびき出し、大地を引き裂くという荒業を用いて地下の国へ攫っていきます。
しかし母と地上を恋しがって泣くコレーに対してそれ以上強引な行動に出ることが出来ずに事態は膠着状態に陥ってしまいました。デーメーテールが「心優しい彼がこのようなことをするはずがない」と考え、ゼウスの陰謀であると気付いたとも言われます。
余談ですが、ハーデースによるペルセポネーの略奪は、古代ギリシアにおいて行われた略奪婚の風習を表しています。これは夫となる男性は相手の女性を父親から奪うくらいの力強さがなければ娘を嫁にやることはできないという考え方に基くものであり、当時の倫理観からいえば必ずしも正義にもとるものではなかったようです。
(2)デーメーテールの地上彷徨
オリュンポスでは、ペルセポネーが行方知れずになったことを不審に思った母デーメーテールが、太陽神ヘーリオスから、ゼウスとハーデースがペルセポネーを冥府へと連れ去ったことを知ります。女神はゼウスの元へ抗議に行きますが、ゼウスは取り合わず「冥府の王であるハーデースであれば夫として不釣合いではない」と発言。
これを聞いたデーメーテールは娘の略奪をゼウスらが認めていることに怒り、オリュムポスを去って地上に姿を隠します。女神は地上で老女の姿となり、炬火を手にして、各地を放浪して娘の行方を探ります。
デーメーテールは地上を彷徨していた間に、各地で様々な伝承を残します。もっとも有名なものは、女神がエレウシースを訪れたときの物語で、「エレウシースの秘儀」はこの神話から始まっているとされます。
デーメーテールは大地の豊穣を管掌する大女神であったため、彼女がオリュンポスを去ったことによって、地上に大規模な不作や凶作をもたらしました。ゼウスはデーメーテールに娘の帰還を約束しますが、コレーが冥府にある間、食物を一切、口にしていないという条件をつけました。
(3)四季の始まり
ペルセポネーは冥府にあって、一口の食物も口にしませんでした。しかし、女神はヘルメースがゼウスからの使者として訪れ、彼女の地上への帰還を伝えに来たとき、うっかりしてハーデースの勧めを受け入れザクロの実を4粒(3粒ないし6粒ともいわれる)食べてしまいました。
<ペルセポネ ロセッティ画>
ハーデースの支配する冥府では、そこの食物を食べたものは客として扱われたことになりそこに留まらなければならない規則となっていましたが、ペルセポネーはこの禁を犯してしまったのです。
ハーデースはペルセポネーを地上に還し、母親デーメーテールに渡します。しかしペルセポネーがすでに冥府でザクロの実を食べていたことが分かったため、ペルセポネーは再び冥府へと戻らねばならない定めとなります。
デーメーテールの主張やオリュムポスの神々の意見を元に、神々の父ゼウスはこの問題に裁定を下し、ペルセポネーは1年の3分の1はハーデースの許で暮らし、残りの3分の2を神々の世界や地上に暮らすとしました。
この神話がエレウシースの秘儀で伝授される「神秘」ですが、これは植物の冬季における枯死と、春における再度の蘇りの神話です。またこの神話は、地上に四季が存在することの根拠譚でもあります。
つまり、このような経緯で母娘共に大地の豊穣を約束する女神(デーメーテールとペルセポネー)が、1年のある期間にあって不在となったため、冬が生まれ、四季が生じたとする起源譚となるのです。
(4)冥府の女王ペルセポネー
<ハーデースとペルセポネー>
ハーデースの略奪によって冥府に来たペルセポネーですが、女神は、英雄ヘーラクレースが冥府に降りてきた際、冥府の女王として、ハーデースの傍らの玉座にあり、あるいはオルペウスが亡き妻の帰還を求めて冥府くだりを行ったときにも、ハーデースと共に玉座にありました。
ペルセポネーは恐るべき「冥府の女王」ともされます。