南方熊楠の「南方マンダラ(南方曼荼羅)」とは?わかりやすくご紹介します。

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南方熊楠和服

南方熊楠については、前に「南方熊楠は博覧強記の博物学者で語学の天才!」「知の巨人南方熊楠の面白い奇行・エピソードをご紹介します」「知の巨人南方熊楠と同じ慶応3年(1867年、1868年)生まれの有名人とは?」「南方熊楠の博物学・生物学・民俗学など多方面にわたる学問的業績とは?」という記事を書きました。

ところで南方熊楠を語る上で、もう一つ欠かせないものがあります。それは「南方マンダラ(南方曼荼羅)」と呼ばれるものです。

これは「自然科学と仏教哲学の融合によって切り拓かれる新たな学問・思想」のようですが、宗教的色彩を帯びていてなかなかわかりにくいものです。

錬金術やオカルト研究にのめり込んだ科学者ニュートンや、則天去私という禅的境地を開いた夏目漱石、神秘的な神がかりになった小説家の芹沢光治良のように、合理的な精神の持ち主でも晩年に不可思議な神秘的・宗教的境地に陥ることはよくあります。

それにしても南方熊楠の「南方マンダラ(南方曼荼羅)」は、晦渋で茫漠として捉えどころがなく難解です。「玄妙奥妙(げんみょうおくみょう)」というか「曖昧模糊」としています。

そこで今回は、「南方マンダラ(南方曼荼羅)」についてわかりやすくご紹介したいと思います。

なお、「曼荼羅」とは、「密教で修行や儀式の際に掛けた絵図」のことです。
梵語mandalaの音訳で「曼陀羅」とも書きます。元来は本質・心髄を有するものの意で、転じて道場・壇などと訳しました。密教では、大日如来を中心とし諸尊を一定の方式に基づいて図示したもので、金剛界・胎蔵界の両曼荼羅があります。

1.「南方マンダラ(南方曼荼羅)」とは

南方曼荼羅

彼は宇宙的思考をもとに「南方曼荼羅(みなかたまんだら)」を考案したそうです。

南方マンダラと呼ばれる図は、主に二つあり、いずれも後に高野山真言宗管長となる土宜法龍(どきほうりゅう)(1854年~1923年)に宛てた書簡の中に描かれている図です。

土宜法龍

土宜法龍宛て書簡

一つは、1903年7月18日付書簡の中に描かれており、真言密教のマンダラの思想をヒントにして、それを自身の思想に読みかえて絵図を交えて説明したものです。

熊楠はこの図について、「この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長、幅の外に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりでも、それを敷衍追及するときは、いかなることをもなしうるようになっておる」と解説しています。

もう一つは、1903年8月8日付書簡の中に描かれており、熊楠が「小生の曼荼羅」と呼んだ、真言密教でいわれる両界(金剛界・胎蔵界)マンダラの発想をもとに描かれた絵図です。

熊楠は、この両界マンダラを記し、金剛界大日如来の心より物が生じ、その心と物がお互いに反応し合うことで、さらに事が発生し、さらにはそれが名・印といったかたちに生成していく複雑な現象を説明しています。

この図において熊楠は多くの線を使って、この世界は因果関係が交錯し、更にそれがお互いに連鎖して世界の現象になって現れると説明しています。

<南方熊楠の考案した「南方曼荼羅」についての解説>

南方マンダラ

わたしたちの生きるこの世界は、物理学などによって知ることのできる「物不思議」という領域、心理学などによって研究可能な領域である「心不思議」、そして両者が交わるところである「事不思議」という領域、更に推論・予知、いわば第六感で知ることができるような領域である「理不思議」で成り立ってる。そして、これらは人智を超えて、もはや知ることが不可能な「大日如来の大不思議」によって包まれている。「大不思議」には内も外もなく区別も対立もない。それは「完全」であるとともに「無」である。この図の中心に当たる部分(イ)を熊楠は「萃点(すいてん)」と名付けている。それは様々な因果が交錯する一点である熊楠によると、「萃点」からものごとを考えることが、問題解決の最も近道であるという

熊楠の考えるマンダラとは「森羅万象」を指すのである。それは決して観念的なものではない。今ここにありのままに実体として展開している世界そのものにある。                       (Wikipedia)

2.「南方マンダラ(南方曼荼羅)」についての私の理解

ただし、上のWikipediaの解説は難解で、私も正直よくわかりません。

「南方マンダラ(南方曼荼羅)」は、熊楠が「粘菌」という植物とも動物ともつかない得体の知れない不思議な生物の研究を続けていたことと深い関係があると私は思います。

「粘菌」は湿気の多い時期には、枯木の肌に取り付いて、アメーバとなって移動しながら捕食活動を行います。たくさんのアメーバが集合して大きな個体を形成するのは、乾燥期の到来が予測されるからです。「粘菌」は植物のように動かなくなり、胞子をいっぱいにためた美しい色の茎を伸ばします。そして時を見計らって、胞子を空中に飛散させます。一つ一つの胞子の中には、動物性のアメーバが収まっていて、湿気の多い季節の到来を待ちます。

この「粘菌」の生態を見て、熊楠は「生命現象にあっては、生と死を分離できないこと」、つまり「不生不滅(ふしょうふめつ)が実相であること」を認識しました。

「粘菌」は分類学上の植物でもなく動物でもなく、生存において生でもなく死でもなく、生死が重なり合う全体運動を続けており、自然科学の土台に据えられた「ロゴス(論理)の法則」に従っていません。

「ロゴス」は、「同一律」「矛盾律」「排中律」という3つの法則に従って動きます。

「同一律」とは、「AはAである」あるいは「AならばAである」ということです。

「矛盾律」とは、「Aは非Aでない」あるいは「AはBかつ非Bであることはできない」ということです。

「排中律」とは、「あるものについて、その肯定と否定とがある場合、一方が真ならば他方は偽、他方が真ならば一方は偽であり、その両方のどちらでもない中間的第三者は認められない」ということです。

しかし「粘菌」は、「同一律」「矛盾律」はもちろん、「排中律」さえも破っています。(「排中律」に従えば、生と死は分離されており、植物と動物は重なり合いません)

つまり熊楠は、「生命はロゴスに従って活動していない。生命現象の実相を捉えるためには、ロゴスを拡張した別種の論理を土台に据えた科学が必要になる」と考えたのでしょう。

そしてもう一つ、あまり知られていませんが熊楠が「ふたなり(二形/双成)」の研究にも没頭していたことも関係があるように思います。

「ふたなり(二形/双成)」とは、生物学的な男女の性の象徴を二つとも併せ持っている(両性具有)人のことです。彼はどこそこにそういう人がいると聞くと、遠い道のりも厭わず、出かけて行って観察させてほしいと頼み込んでいたそうです。

「粘菌」という生物は生物学的な分類からはみ出してしまう多くの特徴を持っていますが、「ふたなり(二形/双成)」も性の分類を逸脱した特徴を示している人たちです。

余談ですが、 日本神話の女神天照大神(あまてらすおおみかみ)は中世の書物『日諱貴本紀』では両性具有神として描かれています。

3.南方熊楠と土宜法龍との出会い

ロンドン時代に出会った重要な人物の一人が、後の真言宗・高野山管長となる土宜法龍でした。

二人が出会ったのは、熊楠がフランクスを助けて大英博物館(東洋図書目録編纂係として勤務)の仏像・仏具を整理していた頃のことです。土宜法龍はアメリカ・シカゴでの万国宗教会議に出席し、パリへ向かう途中ロンドンに立ち寄ったところでした。

意気投合した二人は、ロンドンにおいて連日、宗教上の談義を交わしています。法龍がパリへ渡った後に文通が始まり、生涯にわたって膨大な量の往復書簡が交わされることとなりました。

文通初期のロンドン時代には、「小生の事の学」と称する独自の思想を法龍に伝えようとしました。

帰国後の那智時代には、真言密教の曼荼羅や粘菌の生活史を用いて森羅万象を表した「南方マンダラ」を示しました。

西洋の近代自然科学の因果律に対し、仏教思想の偶然性を取り入れたこれら土宜法龍宛ての書簡集は、熊楠の最も重要な学問論といわれています。

4.「森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-」

「南方曼荼羅」の内容を詳しく知るために、小林泰紘氏のブログ「BEYOND THE NEXUS」の記事「森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-」をぜひご覧下さい

「南方曼荼羅」の理解の一助となれば幸いです。ただし、かえって迷路に迷い込む恐れもありますので、中沢新一氏の『森のバロック』という本の一つの解説として、意味不明な所は読み飛ばしながら気楽に読まれることをお勧めします


森のバロック (講談社学術文庫) [ 中沢 新一 ]

以下に『森のバロック』(中沢新一著)からの引用部分のみをご紹介します。

第二章:南方マンダラの来歴:
・「事」は「心」と「物」がまじわるところに生まれる。

・例えば建築なども「事」であり、自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントなどを使って現実化する。建築物そのものは「物」だけれども、それは「心界」でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされたひとつの「事」として、あるいはいく中にも重ね合わされた「事」の連鎖として、「心」と「物」があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならない

・今の学者、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何卒心とものとがまじわりて生ずる事(人界の現象とみて可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相違に、いかにして相同じき所にあるかを知りたきなり。
(明治26年12月21日-24日「往復書簡」)

・熊楠の考えでは、純粋なただ「心」だけとか「物」だけというのは、人間の世界にとっては意味を持たず、あらゆるものが「心」と「物」のまじわりあうところに生まれる「事」として、現象している。

・しかも「心界」における運動は「物界」の運動をつかさどっているものとは、違う流れと原理にしたがっている。このために、「物界」では、因果応報ということが確実におこるのに、純粋な「心界」でも因果応報がおこるとは限らない。

・たとえ、その人の心に悪い考えがおこったとしても、それの考えが「物界」と出会って、そこに確かな「事」の痕跡をつくりだし、「物界」の流れの中に巻き込まれてしまうことがなかったとしたら、決して将来に報いを作り出すとは限らない。

・「事」は異質なものの出会いのうちに、生成される。そしてその「事」が、ふたたび「心」や「物」にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとっての意味ある世界は作り出されてくる

・熊楠はこの「事」の連鎖の中から、ひとつの原則が見出せるはずだと考えた。そして、そのヒントは、どうやら仏教の説く哲理の中に潜んでいそうだ、と直観したのである。

・熊楠の考えは現代的な意味を持っている。まず彼は、「事」は対象として分離することができない構造を持っていると言っている。 「心界」におこる動きが、それとは異質な「物界」に出会った時、そこに「事」の痕跡がつくりだされる。しかし、その「事」はもともと「心界」の動きにつながっているものだから、「心界」の働きである知性には、「事」を「物」のように対象化して扱うことはできないのだ。★★★

・しかし、その分離不可能、対象化不可能なダイナミック運動である「事」を扱うことができなければ、どんな学問でも、自分は世界を扱っていると言えなくなってしまう。

・ここには20世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点がはっきりと先取りされている

「心界」から独立した純粋な「物界」というものは存在できない。観測が行われる時には必ず人の意識の働きが関与している。つまり、どんな物質現象でもそれが人間にとって意味を持つ時にはすでに「物」ではなく「心界」と「物界」の境界面に起こる「事」として現象しているために、決定不能の事態に陥ってしまうのだ。

・量子論が生まれる30年も前にそれを捉えていた熊楠は、その後「南方曼荼羅」の思想に結晶する。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教の曼荼羅の思想の中に潜んでいることを直観的に理解していた。

「ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり…今日の科学は、物不思議をばあらかた片付け、その順序だけをざっと立てならべ得たることと思う。心理学といえども、物不思議を離れず
(明治36年7月18日「往復書簡」)

・それまで世界とか現象とか呼んでいたものを「不思議」という言葉を使うことで、存在世界にはそこがないという彼の直観を強調しようとした

・知性は森羅万象の中に秩序を探し求めようとするが、ところが森羅万象は底無しの玉ねぎ状の重層性を備えている。そこで知性が「物」や「心」や「事」のしめす、現象のあるレベルに何らかの秩序を見出したとしても、その途端に知性はその秩序の底にさらに深いレベルの実在が動いていることを発見してしまう。

ものごとの理解が深まれば深まるほどに、人間の知性の前にはつぎつぎと未知の実在があらわれてくる。存在の世界には底がないのだ。那智の森で南方が実感しつつあった、その世界の成り立ちを「不思議」と呼んだのである。

もう一つの理由は、この「不思議」という言葉で世界は全体運動を行なっているということを表現しようとしているのだ。その全体構造は大日如来の大不思議からはじまって、現象をつくりなす「諸不思議」にいたるまでを包摂する。複雑で大きな運動体である。そこでは、実在のどんなに小さい部分でも、常に運動し変化する全体とのつながりを失っていない。そのため、どんな微小部分であってもそれだけを独立させて理解することはできない。★★

南方マンダラのモデル図

・熊楠は「心」や「物」や「事」や「理」の「諸不思議」が、複合しながらも、多元的な全体構造を作りなしていることを表そうとしているのである。この宇宙では、いっさいの事理が、全体構造の中で、運動を行い変化を起こしている。

・知性はその全体構造をつくりだしている「理のすじみち」をとらえることのできる能力を与えられている。なぜなら、人の知性自体がこの全体運動の中から生み出されてきた物であるからだ。

・人間の知性は、たがいに異質な不思議同士が出会ったり、結び合ったりしているところだと、関心を引きつけられ、そこに集合している事理の数がおおければ多いほど、より早く、より簡単に、すじみちを認識できるような仕組みになっている。

・「理不思議」には、認識したり記述したりする力だけでなく、未知のものの存在を予言したり、予測したりする力もある。人間の知性には、可知の世界の表面に顕在化されてこないものまでも、推論の力によってとらえることができ、その推論が表現にまで達すると、今まで世界の表面からは隠されていた何かの実在があらわに浮上してくることになる。

・π中間子の発見プロセスが良い例で、そこでは推論の力が、未知の素粒子をこの世に引き出した。湯川秀樹はその時に働いていた力を「存在の理法」と呼んでいるが、熊楠に言わせれば、その「理法」は「物不思議」である物質的実在に内在しているだけではなく、物質と知性の両方を巻き込みながら活動をつつける、宇宙の全体的ロゴスそのものにほかならない。

・人間はいかにして自分の生きている世界を生きるのか。熊楠は巨人の足取りで一歩一歩ことの中心に近づいていく。

・熊楠はまず、宇宙の全体運動そのものである「大日如来の大不思議」からいかにして「心」や「物」が発生してくるのか、そのプロセスを描こうとしている。

・それによると「心」と「物」はこの宇宙にもともと別のものとして発生してくるのではなく、・宇宙の全体運動である「大日如来の心」から「物界」と全く同時に「心界」が生まれてくる。

・「大日如来の大不思議」をあらわす「心」というのは、ここでは人間の「心界」と「物界」を、ともどもに巻き込んで全体運動を行う、高次元の叡智的な実在を示している。だから、「大日如来」をあらわす「心」と、アーラヤ識を土台にしてその上に複雑な構造をつくりだしている、人間をはじめとする有情の「心界」とは、本質的に異質なものなのだ

・現代の宇宙論は空間も時間もない初期宇宙に起こる「量子ゆらぎ」から、空間としての宇宙とその中の物質がつくりだされていると説明している。同じことが、意識を持った生き物の心界にもおこるのだ。

・金剛大日の中にわきあがる否定性の「ゆらぎ」によって、アーラヤ識がひろがりとしてつくりだされてくる。そこしてこのアーラヤ識を土台として心的宇宙が生まれてくる(人間のように複雑な意識を持った生き物の場合、アーラヤ識は無意識の土台をかたちづくる)。これが、熊楠の言っている「大日滅心の作用」なのだ。

南方マンダラ図

・「事」は「心界」の働きが、「物界」のプロセスと出会い、まじわり、接触しあうところに生み出されてくる。それは、発生したり、消滅したりする。「心」と「物」は耐えることがない。それは金剛大日の「心」から、たえまなくわきあがる力の変転として、あらわれるものだから、瞬時として止まることがないのである。

・ところが「事」については、そうではない。心界と物界のまじわりがほどけるとき、その境界面上にいったんうまれた「事」は絶えることになる。そして、「事」は絶えて「名」を残すのだ。

・「事」は発生したり、消滅したりするが、それ自体に力を内在させている。そしてその力は世界に何らかの痕跡をつくりだし、それが「名」として残ると熊楠は語っている。しかも彼のいう「名」とは、単なる物の名前ではなく、言語や習慣のような無意識の深層構造のことをさしている。

民族とか共同体の習慣や無意識の原則として、くりかえし起こる「事」は、アーラヤ識の中に、エクリチュールとして痕跡を残していく(熊楠は「名」の発生が、アーラヤ識におこるということを強調するため、それは、胎蔵界の大日如来中におこるプロセスだ、と書いているのだろう)。そして、これが習俗のラング(言語体)を形成するものになっていくのだ★

言語や習慣のような「ラング(言語体)」は、集合的な無意識に構造を与える。その構造はさらに個人のアーラヤ識にフィードバックして、そこに社会化された個人の深層構造を作り出す★★★

・ラングというのは、もともと実態を持っている物ではなく、アーラヤ識の中に内臓されている抽象的な構造だ。言語にとってのラングだって、それが声や文字による言葉としてあらわさない限り、無意識の中に潜在したままである。それについては「名」の場合も、全く同じだ。それはアーラヤ織に刻み込まれた、具体的な実態をもたない痕跡なのである。

・それはもう一度「心」にうつしだされることによって、「印」を生み出す。「名」が抽象的な構造だとすると、「印」はまたそれにイメージの物質性を付与した、具体的な象徴を表している。

人間は音楽を聴いて、そこにはない抽象的な構造を理解して、音の流れを音楽として楽しんでいる。音楽にも「名」のレベルがあるが、その構造を時間の流れの中で展開して、実際の曲として作曲し演奏する具体的な音楽がなければ人間はそのような「名」の実在を感じ取ることもできない。

・熊楠によれば、こういうものについては、西洋の科学でも哲学でもなんとも解釈のしようものない不思議な実体だという扱いを受けているが、それは心物事の作用力がアーラヤ識の中につくりだす、エクリチュールの痕跡がもとになっている「無意識の深層構造」にほかならない。

・だから、それは哲学や科学によって、探求することのできる現実なのだ。西洋的エピスメーデーの内部にとどまる限り、なかなかこういうレベルをひらくのは難しい。ところが、真言密教によれば、それは実践哲学の鍵を握る重要なポイントとして、すでに古くから探究が進められていた問題なのだ。★

・南方熊楠の発想は、現代の構造人類学と同じ視点に立っているどころか、それを超えている。アーラヤ識に刻み込まれる「名」の痕跡を出発点しており、つまり、エクリチュールに出発し、エクリチュールに帰着する。そのため構造主義には、そのような「名」が発生してくる前に存在している空間の様子を捉えることができないのだ。★★

・南方曼荼羅は、来たるべき人類の学問の土台は、エクリチュールの前空間にすえなければならない、と提案しているのだ。そこは、空間や物質が生成され、「心」が生まれ、「事」の世界が形成され、その「事」の中からエクリチュールである「名」が生まれてくる、全てのプロセスを包摂している。そこではせせこましい学問のジャンルというのは吹っ飛んでしまっている

・熊楠の考えでは、この「南方マンダラ」にしめされているような全体構造をもつことがないような学問は、人間にこの世界の実相についての不十分な知識と認識しか与えることができない。たとえば、西欧の学問では「物」や「事」は論じられていても、エクリチュールの論である「名」や、それをもとにした抽象活動である「印」をめぐる全体理論が欠如しているので、結局必要以上に問題は難しくこんがらがってしまっているようにみえてしまうというのである。

・熊楠がこれをかいているのは1903年。まだ構造言語学も精神分析理論も知られていない時代に、未来の学問の全体像を透視しようとしていたのだ。

・そういう学問は、まだ本当にはつくりだされていない。あらゆるものが、いまだにあたらしいものに向かっての変化の過程にある。だが、「南方マンダラ」は、その変化の過程に、進むべき方向をしめす海図を提供してくれる。

「縁の論理」は、この曼荼羅の世界の内部に入った時に、そこで起こっていることを解読するための特別な論理の方法であり、またマンダラのあらゆる部分がこの論理によって動かされている。

高速度で動く世界では、相対論のやり方を使わなければそこで起こっていることを理解することができないように、南方曼荼羅の内部で起こっていることは縁の論理によらなければ理解できない。

縁の論理

「因はそれなくては果がおこらず。また因異なればそれに伴って果も異なるもの、縁は一因果の継続中に他因果の継続がざん入し来たるもの、それが多少の影響を加えうる時は起、故にわれわれは諸多の因果をこの身に継続しおる。

縁に至りては、一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体にふれようで事をおこし、それより今まで続けて来れる因果の行動が、起動をはずれゆき、またはずれた物が、軌道に復しゆくなり」

「故に、今日の科学、因果は分かるが、縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、署員が総体の一層上の因果を求むる」
(明治36年8月8日「往復書簡」)

・マンダラは力の構造体なのだと言えるかもしれない。その力は曼荼羅のいたるところで変化を作り出すのである。因と果はその変化の容態を示す概念なのだ。

・しかし、南方マンダラで起こる全てのプロセスは単純な因果の関係におさまることがめったにない。様々な力が出会い、交差し、入り交じりながら、「心物名事」の4つを複雑に組織して、森羅万象の現実ができあがっている

ひとつの因果の継続の中に、別の因果の継続が入り込んできて、そのために「縁」と呼ばれるもっと高度な変態が発生してくるようなやり方で、曼荼羅の全体構造は動き、変化していることになる。夥しい因果の系列からは、つづけざまに縁の系列が生まれ、縁の連なりの中から、宇宙の変化が絶え間なく起こり続けている。

・つまり、「縁の論理」というのは、マンダラ構造体の全体を動かしている力の流れそのものを、関係のセリーとして表現しようとしたものなのである。


南方マンダラ (河出文庫河出文庫 南方熊楠コレクション【全5巻】) [ 南方 熊楠 ]