日本語の面白い語源・由来(こ-⑩)牛蒡・鮗・小松菜・子・米・極楽・虎視眈々

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牛蒡

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.牛蒡(ごぼう)

牛蒡牛蒡の種

ごぼう」とは、ユーラシア大陸原産のキク科の多年草です。細長い根は、きんぴらごぼうや煮物など食用にします。種子は漢方で浮腫の治療薬や解熱薬にします。

ごぼうは、古く薬草として中国から伝来したもので、漢語の「牛蒡」が語源です。
ごぼうの歴史的仮名遣いは「ゴバウ」です。

古く、日本ではごぼうを「キタキス」「ウマフフキ(ウマフブキ)」ともいいました。

漢字の「牛蒡」の「牛」を「ゴ」と読むのは、呉音「グ」の慣用音「ゴ」で、中国では草木の大きなものに「牛」が冠されます

「牛蒡」の「」は、ごぼうに似た草の名前に使われた漢字で、それらの植物より大きいことから「牛」が冠され「牛蒡」になりました。

西洋では、ごぼうの若葉をサラダに使うことはありますが、根を食材とするのは日本と韓国くらいといわれます。

太平洋戦争中、苦労して採ってきたごぼうをアメリカ人捕虜に食べさせたところ、捕虜は木の根を食べさせられたと勘違いしたという話もあります。

「牛蒡」だけでは季語になりませんが、牛蒡の状態・牛蒡への動作を表す言葉を加えることによって季節の異なる季語になります。

・開牛蒡・叩牛蒡・算木牛蒡:新年の季語。

・牛蒡蒔く:仲春の季語。

・牛蒡の花:初夏の季語。

・山牛蒡の花・犬牛蒡:仲夏の季語。

・若牛蒡:晩夏の季語。

・牛蒡引く・牛蒡掘る:秋の季語。

2.鮗(このしろ)

鮗

コノシロ」とは、ニシン目ニシン科の魚です。成長とともに呼び名が変わる「出世魚」で、幼魚はシンコやジャコ、10センチ程度のものはコハダやツナシ(ツナセ)と呼びます。

コノシロは、焼くと人間を焼いたような臭いがすることから様々な伝説があり、多くはそれらを語源とする説です。
その伝説は、親が娘の嫁入りをやめさせるため先方には「娘は死んだ」と偽り、この魚を焼いて棺に入れたというものです。
また、子供が生贄にされないようこの魚を焼いたというもので、話自体は少しずつ異なりますが、子供の身代わりという意味で「このしろ(子の代)」が語源いう点では共通しています。
しかし、これらの伝説は後世に作られた話に過ぎず、上代特殊仮名遣いも異なるため、コノシロの語源としては認められていません。

「コノシロ」は「この城を食う」「この城を焼く」などに通じるとして、武士は避けていたといわれますが、「この城」が語源ということでもありません。

多くのものは命名される際、外観の特徴から名付けられています。
コノシロの外観で特徴的なのは糸状に伸びた背びれなので、「子の後ろ」もしくは「此の後ろ」を語源とする説が良いようです。

漢字の「鮗」は、コノシロの旬の時期が11〜2月なので、「冬が旬になる魚」を表しています。

ただし、これは成魚の話で、コハダは8〜9月、シンコは6〜7月が旬といわれます。

「鮗」は秋の季語です。

3.小松菜(こまつな)

小松菜

小松菜」とは、アブラナ科の一年生または二年生の野菜です。おひたしや汁の実、雑煮などにされます。鶯菜。冬菜。

小松菜の名は、江戸時代、武蔵国葛飾郡小松川村(現在の東京都江戸川区小松川付近)で多く栽培されたことにちなむとされます。

徳川綱吉(吉宗の説もあり)に献上された際、この地名から「小松菜」と名付けられたともいわれますが、名付け親に関しては定かではありません。

小松菜の別名「鶯菜」は、3~4月に出荷されるため「ウグイスの鳴く頃の菜」の意味です。

この季節の小松菜や水菜は、まだ若くて小さいことから、小さい菜の意味でもいいます。

小松菜のもうひとつの別名「冬菜」は、文字通り「冬の菜」の意味ですが、白菜など冬の食材として使われるものの多くは「冬菜」と呼ばれます。

「小松菜」「冬菜」は冬の季語で、次のような俳句があります。

・さしこもる 葎の友か ふゆなうり(松尾芭蕉

・桶踏んで 冬菜を洗ふ 女かな(正岡子規

・縫ひ疲れ 冬菜の色に 慰む日(杉田久女

4.子/児/仔(こ)

子

」とは、人間や動物の親から生まれたもののことです。動物の場合は「仔」とも書きます。まだ一人前になっていない人間。年少者。こども。

子の語源には、「こまやか(細小)」の意味とする説。
胎内で凝りて子となることから「こる(凝る)」の意味とする説。
「小」の意味など諸説あります。

上記の中で、「小」の意味とする説が妥当とされます。

5.米(こめ)

米

」とは、稲の種子からもみ殻を取り除いたものです。日本人の主食となる穀物。

米の語源は、「こめる(籠める)」の連用形が名詞化したとする説が有力となってますす。
古く、米は「ヨネ」の使用例が多く、「コメ」の語は使用例が少ないです。

「コメ」の語が多く用いられたのは、改まった儀式の場であったことから、米には神聖なものや生命力のようなものが宿っており、「籠められたもの」の意味で「コメ」になったという解釈もあります。

平安中期以降、「ヨネ」は古語として扱われ、「コメ」が多用されるようになりました。

米の語源で「こめる(籠める)」に次いで有力とされている説は、酒の醸造を意味する朝鮮語「コメン(コム)」の変形とする説です。

酒の醸造法は朝鮮から伝来したといわれ、「醸す」も「カム」「コム」と繋がりがあります。
ベトナム語の「コム」やタミル語の「クンマイ」なども、米の語源と考えられており、アジアをひとつの国と考えれば、当然の繋がりとも考えられますが、発音の似た言葉で確実に語源が異なる言葉も多くあるため、偶然の一致とも考えられます。

その他、「小実(コミ)」や「小目(コメ)」が転じたとする説もありますが、上代特殊仮名遣いにおいて「米」の「コ」と「小」の「コ」では仮名遣い異なるため、有力とされていません。

6.極楽(ごくらく)

極楽

極楽」とは、阿弥陀仏の浄土、安楽で何の心配もない場所・境遇・状態、天国のことです。「地獄」の対義語。「極楽浄土」の略。

極楽は、サンスクリット語「Sukhavati」の漢訳で、原義は「幸ある所」です。

この語の漢訳には「極楽」のほか、「安楽」「安養」「妙楽」など数種類あります。

日本や中国では阿弥陀仏信仰が盛んであったため、浄土教の「念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願力によって浄土に往生する(他力本願)」という説法の流布に伴ない、漢訳の「極楽」は定着していきました。

やがて、風呂に浸かった時など気持ちよい時や、幸せを感じた時のたとえとしても、「極楽」は用いられるようになりました。

極楽は、この世界の西方10満億の仏土を経た彼方にあり、この上なく安楽な世界といわれます。

7.虎視眈々(こしたんたん)

虎視眈々

虎視眈々」とは、何かを狙ってじっと機会をうかがっているさまのことです。

虎視眈々の出典は、五経の一『易経』の「虎視眈眈、其ノ欲遂遂タレバ咎无シ」です。
虎視」は虎が獲物を狙い見ること。「眈々(眈眈)」は鋭い目つきで獲物を狙うさまを意味します。

つまり、虎が鋭い目つきで獲物を狙っているさまにたとえ、相手に隙があればと有利な機会が来るのを窺うさまを「虎視眈々」と言うようになりました。

虎視眈々の「眈」(目偏)と似た漢字に「耽」(耳偏)があるので、「虎視耽々(虎視耽耽)」の誤表記に注意が必要です。
「耽」は何かに夢中になるさま、何かにふける(耽る)さまを表します。