日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.三度笠(さんどがさ)
「三度笠」とは、顔を覆うほど深く作られた菅笠(すげがさ)のことです。
三度笠は、三度飛脚が被っていたことから付いた名です。
「三度飛脚」とは、江戸時代に江戸・大坂・京都などを毎月定期的に三度往復した飛脚のことです。
三度笠には、三度飛脚が被ったことから「飛脚笠」、深く被ることから「大深(おおぶか)」といった別名もあります。
団塊世代の私が子供の頃は、「股旅物(またたびもの)」全盛期で、テレビ番組「てなもんや三度笠」や橋幸夫の流行歌「潮来笠」、田畑義夫の「大利根月夜」などがあり、後年の中村敦夫主演の「木枯し紋次郎」も人気がありました。
2.薩摩揚げ(さつまあげ)
「薩摩揚げ」とは、魚肉のすり身を味付けして油で揚げた魚肉練り製品です。刻んだ野菜を加えたものもあります。
薩摩揚げの「薩摩」は、現在の鹿児島県西部にあたる薩摩地方のことです。
薩摩地方の名産であることから、主に関東地方で「薩摩揚げ」と呼ばれるようになりました。
鹿児島では「薩摩揚げ」を「つけあげ」と言い、関西では「天ぷら」と言います。
その他、地方によって「はんぺん」や「揚げはん(ぺん)」などとも呼ばれます。
余談ですが、私は鹿児島で「薩摩揚げ」を食べた時、あまりにも「甘すぎる」のに驚きました。大阪の人間としては、こんな甘い味付けは経験したことがなく、辟易しました。
3.真田紐(さなだひも)
「真田紐」とは、太い木綿糸で平たく厚く織った紐のことです。真田打ち。
真田紐は、真田昌幸(幸村の父)が刀の柄(つか)に、この紐を巻いたことからというのが通説となっています。
この他、真田紐の語源には、幅の狭い織紐を「さのはた(狭織)」と呼んでいたことから、「さのはた」が転じて「さなだ」になり、「真田」の字が当てられたという説や、チベット周辺の言語で「紐」を意味する「サナール」が転じたとする説もあります。
4.申(さる)
「申」とは、干支(十二支)の9番目です。年・日・時刻などにあてます。方角の名で「西南西(西から南へ30度の方角)」。旧暦7月の異称。前は未、次は酉。
「申年」とは、西暦年を12で割った際、余りが出ない年のことです。
漢字の「申」は、稲妻を描いたもので、「電」の原字です。
それが、「臼(両手)」と「|印(まっすぐ)」の形となり、手でまっすぐ伸ばすことで、「伸(のばす)」の原字となりました。
『漢書 律暦志』では「申堅」とし、草木が伸びきり、果実が成熟して堅くなっていく状態を表すと解釈しています。
この「申」を「サル」としたのは、無学の庶民に十二支を浸透させるため、動物の名前を当てたものですが、順番や選ばれた理由は定かではありません。
5.菜盛花(さいもりばな)
「菜盛花」とは、アカメガシワの別名です。
菜盛花の「菜」は、食物(おかず)のことです。
昔、カシワの葉の代用として、アカメガシワの葉に食物を載せたところから、菜を盛る植物の意味で「菜盛花」と呼ばれるようになりました。
6.賽銭(さいせん)
「賽銭」とは、寺社に参拝し、神仏に奉納する金銭のことです。散銭。
「賽」は「神恩に報いる」という意味ですが、中国には「賽銭」の漢語がないため、和製漢語と考えられます。
賽銭は「散銭」とも書かれ、神前に撒き散らす米(供える米)を「散米」ということから、「散米」に由来するともいわれます。
古くは、賽銭に幣帛や米が供えられていたが、貨幣が流通するようになると銭貨が奉納されるようになりました。
そのことから「散米」が「散銭」となり、「神恩に報いる」の意味で「賽銭」になったことは十分に考えられます。
7.骰子/賽子(さいころ)
「サイコロ」とは、すごろくや博打などに用いる小さな道具です。一般的に立方体の各面に1から6までの目が記してあり、反対側の面との合計が7となります。
サイコロの「サイ」は、漢字「簺」の字音で、すごろくを打つことやダイスを意味します。
古くは「サイ(采)」と呼んでいましたが、丸いものや小さいもの、転がるものなどに添えられる接尾語「コロ」が付き、「サイコロ」と呼ぶようになりました。
「賽子」や「賽」の漢字に「サイコロ」の意味はなく、同音になることからの日本での用字です。
中国で「サイコロ」は、「シャイツ(骰子・色子)」といいます。
8.三隣亡(さんりんぼう)
「三隣亡」とは、暦注の一つで、この日に建築すると後日火災に見舞われ、近隣三軒まで滅ぼすといって忌む日です。
三隣亡は、もともと「三輪宝」と書きました。
三輪宝とは、「天」「地」「人」の三点(三角形)の中央に宝が位置することを意味します。
江戸時代の暦注解説書には、「三輪宝」の注記に「屋立てよし」「蔵立てよし」と付されており、「凶日」ではなく「吉日」の意味で用いられていたことがわかります。
「三輪宝」がどこかで誤解されて「凶日」として扱われるようになり、「凶日」が「三輪宝」では都合が悪いということで「三隣亡」に変えられたといわれます。
この誤解は、一説に「よし(良し)」の「よ」を「あ」と書き間違えて「あし(悪し)」になり、悪い意味に変わったともいわれますが定かではありません。
表記が「三隣亡」になってからは、この日に建築すれば、隣三軒まで火災が及ぶという俗信が生じ、棟上などの建築事は避けられるようになりました。
1、4、7、10月は亥の日。2、5、8、11月は寅の日。3、6、9、12月は午の日が三隣亡にあたります。