日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.箪笥(たんす)
「たんす」とは、衣類・小道具などを整理・保管するための箱状の家具です。多くは木製。引き出しや開き戸を設けます。
室町時代の『文明本節用集』に「担子 タンス 箱也」とあり、古くは「担子」と書きました。
中国で「担子」は、天秤棒の両端にかけた荷物の意味で、日本では持ち運び可能な箱を表しました。
たんすの数え方は「一棹(ひとさお)」「二棹(ふたさお)」と「棹」を用いますが、これはたんすの両脇に金具をつけ、棹を通して担いで運べるようにしていたためです。
江戸時代、引き出し式のたんすが作られるようになった頃から、「箪笥」の漢字が当てられるようになりました。
「箪笥」も中国からの語で、古く中国では、円形の竹の器を「箪(たん)」、方形のものを「笥(し)」といい、合わせて「箪笥(たんし)」ともいいました。
中国での「箪笥」は、飯などを入れる小さな器の「櫃」をいいます。
2.高い(たかい)
「高い」とは、空間的に基準点よりかなり上の位置にある、音や声が大きい。音域が上である、序列・価値が上位にあることです。
高いは、文語「たかし(高し)」の口語です。「たか」は、「たけ(丈・長)」と同根です。
古くから、高いは「空間的に上方にある」「身分・地位などが上である」「優れている」「音や声が大きい」「広く世間に知られる」「時間的に遠い」など多くの意味を持つ語ですが、値段に関する「高い」の使用は比較的新しいものです。
3.怠い/懈い(だるい)
「だるい」とは、疲れていて体を動かすのが億劫なことです。かったるい。
だるいは、「だるし」の口語です。
「だるし」は「たるし」を語頭濁音形にした語で、マイナス要素を含む語のため、語頭が濁音化したと考えられます。
方言に「たるい」が広く分布しているのも、元が清音形であったからです。
「だるし」は「たるむ」「たゆむ」と同源で、「みたる(身垂る)」の形容詞化「みたるし」からと思われます。
4.沢山(たくさん)
「沢山」とは、数量の多いこと、十分なこと、それ以上不要なことです。
たくさんは、多い意味の形容動詞語幹「さは(多)」と、数の多いことを表す「やま(山)」を重ねた「さはやま」に「沢山」の字を当て、音読したものといわれます。
ただし、「さはやま(さわやま)」の例が見られるのは近世に入ってからであるのに対し、「たくさん」の例は鎌倉時代の『平家物語』に見られます。
そのため、「さはやま」は「沢山(たくさん)」の訓読みと考えるのが妥当です。
その他、「たかい(高い)」「たける(長ける)」など、「tak」の音から「たく(沢)」が当てられ、「沢山」になったとする説もありますが未詳です。
5.竜/龍(たつ)
「たつ」とは、想像上の動物です。りゅう。
竜(龍)は呉音で「りゅう」、漢音では「りょう」といい、「たつ」は日本での読み方です。
語源については次のような説があります。
①竜を「たつ」というのは、身を立てて天に昇ることから、「たつ(立・起)」また「たちのぼる(立ち昇る)」の意味とする説。
②「たかとぶ(高飛)」または「たかたる(高足)」の反で、「たつ」になったとする説。
③「はつ(発)」の意味から、「たつ」になったとする説。
竜はヘビと体が似ており、日本ではヘビと混同されていたこともあるため、ヘビに対して竜を「身を立てて天に昇るヘビ」と考え、「たつ(立・起)」また「たちのぼる(立ち昇る)」からの説が妥当です。
6.太刀打ち(たちうち)
「太刀打ち」とは、物事を張り合って競争することです。
太刀打ちは、文字通り、太刀(長大な刀剣)で打ち合って競うというのが本来の意味です。
転じて、まともに張り合って競争する意味となりました。
多く、「太刀打ちできない」などと打ち消しの語を伴い、「まともに張り合っても敵わない」の意味で用いられます。
7.太公望(たいこうぼう)
「太公望」とは、釣りをする人、釣り好きな人のことです。
太公望は、周代の政治家であった呂尚(りょしょう)の別名「太公望」に由来します。
出典は、中国の『史記(斉世家)』です。
呂尚は大変な釣り好きで、渭水(いすい)という川で釣りをしていた。
そこへ周の文王が訪れ、「我が太公(周の祖)が望んでいた賢人だ」と言って見いだされた。
このことから呂尚は、「太公望」と呼ばれるようになった。
この故事から、呂尚にちなんで、釣り人や釣り好きな人を「太公望」と呼ぶようになりました。
8.啖呵を切る(たんかをきる)
「啖呵を切る」とは、歯切れのよい口調で勢いよくましくたてたり、相手をやりこめたりすることです。
啖呵を切るの「啖呵」は、もともと「痰火」と書き、体内の火気によって生ずると考えられていた咳と一緒に激しく出る痰や、そのような病気のことをいいます。
「切る」は、その啖呵(痰火)を治療・治すことです。
この啖呵(痰火)が治ると、胸がすっきりするところから、香具師などの隠語で、品物を売るときに歯切れのよい口調でまくしたてることを「啖呵を切る」と言い、相手をやりこめる意味にもなりました。
一説には、仏教語の「弾呵」に由来するともいわれます。
弾呵は、自分の悟りを第一とする考えにとどまっていることを叱るという意味で、その「叱る」から「相手を責める」「まくし立てる」の意味に転じたというものです。
しかし、弾呵が「責める」の意味になったとすれば、「切る」は必要ない言葉となるため、何を表しているか不明です。