文化や芸術において「西洋文明の源流」とも言うべき繁栄を誇った古代ギリシャですが、現代のギリシャは、「ギリシャ危機」(*)という言葉に象徴されるように国家破綻の危機に陥るほどの惨憺たる有様です。
(*)「ギリシャ危機」とは、2009年に発覚した同国の経済危機のことをいいます。当時のギリシャは公務員が労働者人口の約4分の1を占め、年金受給開始年齢も55歳からという手厚い社会制度が負担になっていました。財政赤字はGDP比で13.6%に達し、一時は「国家の破綻処理」までささやかれました。
2015年に誕生したチプラス政権はEUが支援の見返りとして要求した緊縮財政を拒否したため、「デフォルト(債務不履行)」や「EU離脱の可能性」が一気に高まりました。
最終的にはギリシャ側がEUに譲歩し「金融支援プログラム」が実施されましたが、プログラム終了から約1年後の19年7月、チプラス政権は退陣に追い込まれました。
ところで、日本も国債を大量発行しており、国債と借入金・政府短期証券を合計したいわゆる「国の借金」は2023年3月末時点で1,270兆円を超え(国債は1,080兆円)、GDP比で先進国最悪となっています。
政府の債務は国内総生産(GDP)の2・5倍を超え、戦費のために国債を乱発していた第2次世界大戦直後よりも高い水準です。はたして日本は大丈夫なのでしょうか?
そこで今回は、これについて考えてみたいと思います。
1.「リフレ派」「反リフレ派」の主張と「MMT理論派」の主張
(1)「リフレ派」の主張
リフレ派とは一言で言えば、リフレーション(緩やかなインフレ)を望む人たちのことです。「リフレーション」とはアメリカのアーヴィング・フィッシャー(1867年~1947年)という経済学者が提唱した経済政策で、はじめに目標とする物価上昇率を定めて、それを達成するために金融緩和を行って市場に流通するお金を増やし、緩やかに物価を上昇させる政策です。最初に物価上昇率を定めることを「インフレターゲット」と言います。
市場にお金が増えれば、それだけお金の価値が下がります。お金の価値が下がれば、その分物価は上がります。これはいわゆるインフレです。リフレ派はインフレを望む人たち、ということができるでしょう。
ただし、リフレ派が望んでいるのはあくまでも緩やかなインフレであり、ハイパーインフレのような急激なインフレは望んでいません。
リフレ派はインフレターゲット政策が、長年のデフレと不景気を脱出する政策であると考えています。物価目標率を定めてその通り物価が上昇すれば、遅かれ早かれ皆そのことに気が付きます。
すると多くの人は「この先も物価は上がり続けるだろうから、値上がりする前に欲しいものを買ってしまおう」と考えるので、消費が増え、企業の利益が増え、景気が良くなります。また、インフレに伴いお金の価値は下落するため、預金に回されるお金が減り、株式や不動産に対する投資も活発になるはずだと考えます。
ただし、現在の日本のように、物価だけが高騰して賃金が上がらない(物価上昇に賃金上昇が追い付かない)状況では、多くの人は将来への不安から逆に財布のひもを締めるというのが自然だと私は思います。
日銀が人為的にインフレを起こせば景気が良くなると主張する「リフレ派」の学者や、積極的な財政出動を主張する財政拡張論者たちは「いまは日本経済は以前よりずっと強い。国民の資産も豊かで、財政破綻することなどない」と主張しています。
(2)「反リフレ派」の主張
リフレ派がインフレを望んでいるのならば、半リフレはそれとは真逆のデフレを望んでいるのだ、と思われるかもしれませんが、反リフレ派の中でデフレを望む人はほとんどいません。むしろリフレ派と同じく、緩やかなインフレを望む人たちが大半です。
反リフレ派の主張は、「緩やかなインフレを狙うのは正しいが、リフレ派のやり方ではだめ」というものです。リフレ派は物価上昇率を最初に定めて、金融緩和することを主張していますが、実際にそんな狙ったとおりに物価が上昇する保証はどこにもありません。「金融緩和をしたけれど何の効果も得られなかった」という事態も十分起こりえます。
多くの反リフレ派は金融政策ではなく、構造改革などの潜在成長率を高める政策こそが緩やかなインフレに向かう道だと考えています。構造改革とは簡単に言えば、規制を少なくしてどんな企業でも市場に参入できるようにして、競争させて技術革新を生み出して収益を増やすための工夫です。いわゆる小さな政府を目指すものと言ってもいいでしょう。
経済学者でも意見は分かれており、どちらが正しいのかははっきりしていません。
ただ、少なくとも現在の日銀は、「金融緩和」、「インフレターゲット」とどちらかと言えばリフレ派寄りの態度を取っています。
(3)「MMT理論派」の主張
MMT(Modern Monetary Theory:現代貨幣理論)という考えがあります。MMTとは、「政府が国債発行によって財源を調達しても、自国通貨建てである限り、そしてインフレにならない限り、問題ではない」という主張です。ニューヨーク州立大学教授のステファニー・ケルトン(1969年~ )などによって提唱されました。
MMTは、次のような理論を根拠としています。
①貨幣は素材の価値があるから通用するのではなく、価値があると国が宣言するから通用する。
②内国債は国から見れば債務だが、民間の国債保有者から見れば資産だ。両者は帳消しになる。したがって、「将来時点で、外国に支払うために国が使える資源が減る」という意味での「国債の負担」は発生しない。この点で、内国債と外国債は経済効果が異なる。
③経済が不完全雇用状態にあって遊休資源があるなら、財政赤字によって財政支出を増やすべきだ。
これについては、「MMT(現代金融理論)は健全財政を否定する詭弁でハイパーインフレの危険性大」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。
2.対米開戦前夜の大政翼賛会による宣伝読本『戦費と国債』
実は、戦前の日本もまったく同じように強気の主張をしながら、国民に国債を購入するように勧めて、国の借金を重ねていました。
たとえば、対米開戦前夜の1941年10月、大政翼賛会は全国の隣組に宣伝読本『戦費と国債』(42ページ)を150万部配りました。現存するその冊子をひもとくと、こんな「Q&A」が紹介されています。
(問)国債がこんなに激増して財政が破綻(はたん)する心配はないか。
(答)国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、少しも心配は無いのです。国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民がその貸し手でありますから、国が利子を支払ってもその金が国の外に出て行く訳ではなく国内で広く国民の懐に入っていくのです。(中略)従って相当多額の国債を発行しても、経済の基礎がゆらぐような心配は全然無いのであります。
『日本銀行「失敗の本質」』の著者で、朝日新聞編集委員の原真人氏は、この冊子を読んだ感想をこう説明しています。
この問答を読んで驚くのは、現代の財政拡張論者たちの主張と見まがうほど、よく似ていることです。現代でも、これほど政府の借金が膨張すると、国債の信用問題になるはずなのですが、いまはそれほどでもありません。リフレ派や財政出動論者たちはしばしば『国債は国民資産でもあり、増えても問題ない』と説明します。
安倍政権もそこに乗って、財政悪化を軽く見ているように思います。だからなのか、国民全体の危機意識も弱く、財政悪化に対して、世の中全体が無感覚になりつつあるように思えます。
しかし、戦時国債の結末は歴史が示す通りで、敗戦直後に重い財産税が課されたり、超インフレが起きたりして、国債は紙くず同然になりました。
もし、敗戦にならなければ国債は紙くずにならなかったかといえば、そんなことはないでしょう。戦前も現代も、政府の借金が著しくふくらむ中で、財政の耐久力がとてつもなく弱っている可能性は十分あります。
いまの日本の財政がどのくらいひどいかと言えば、「敗戦時並み」です。国の経済力を示す国内総生産(GDP)に対する政府債務の比率が、それをはっきりと物語っています。
国際的には100%超なら財政悪化と見なされるこの比率が、日本は258%に達しています。ちなみに、1945年の敗戦時の比率は正確な統計は残されていませんが、優に200%を超えていました。
戦後、国民は生活に困窮しました。敗戦による国土荒廃と経済の混乱のせいだけではありません。戦前・戦中に軍事費をまかなうため、政府が借金(国債発行)を重ねた末の、財政破綻の結果でもありました。
日本国債も通貨円も、いまは国際金融市場で「安全資産」とされています。しかし、未来永劫そうだという保証はありません。
このところ債券市場で新発国債の取引が成立せず、値がつかないことが頻発しています。日銀が大量の国債を買い占めてしまい、民間同士の取引が低調になっているためです。日銀が国債を買い支えているから、国債価格の急落、つまり長期金利の急上昇というかたちで市場の警報装置は鳴らなくなっている。ただ、この取引不成立も、一種の“警報”と考えるべきではないかと思います。
近年でも、ベネズエラやギリシャ、ジンバブエ、トルコなど、財政危機や通貨危機に陥った国は少なくありません。そうしたなかで、日本だけが財政破綻を回避できると楽観視して、さらに借金を重ねていくのは、無責任のそしりを免れないでしょう。 (朝日新聞編集委員の原真人氏)
「異次元緩和」を続ける日銀が保有する国債は2023年3月末には、政府が発行している全国債残高(1,080兆円)の53.3%に達しており、時価ベースで576兆円にのぼります。この数字自体まさに「異次元」ですが、日銀は粛々と国債買い入れを続けています。
しかし、歴史は「多額の国債を発行しても、経済の基礎がゆらぐような心配は全然無いのであります」という根拠の薄い惹句は信用しないほうがいいと教えています。
3.岸田政権は「バラマキ政策」をやめて財政再建を最優先すべき
これについては、「新資本主義を掲げてバラマキ全開の岸田首相に、やるべき政策を提言する」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。
また、岸田政権は「物価上昇」を容認して、「賃金上昇」を促そうとしているようですが、大企業が内部留保増加に比べ低い労働分配率の向上をまず行うべきです。
これについては、「人事の2020年問題では、内部留保増加に比べ低い労働分配率の向上が最重要!」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。
4.放漫財政による国債大量発行は、将来的に円安・株安・債券安を招く
前に「今の日本の悪性インフレの元凶は円安=日銀のマイナス金利政策!ハイパーインフレの恐れも!!」「岸田首相はウクライナ支援に前のめり過ぎ!日本の国力と国益を考えた自制をが必要。」「日本銀行のマイナス金利政策や国債買い入れ政策は手詰まり状態で、転換が必要!」「ウクライナ支援を抑制し、日本政府はインフレに苦しむ国民救済を優先すべき!」という記事を書きました。
MMTのトリックは、「インフレを起こさなければ」という制約条件をかけていることです。
「MMT理論派」が根拠とする上記の3点は多くの人が認めている正統的な理論です。しかし、新規国債発行でいくらでも調達しても良いということにならないのは、多額の国債発行はインフレを招く危険があるからです。
国債の市中消化を続ける限り、国債発行額が増加すれば金利が上昇します。そして、国債発行には自然にブレーキがかかってしまいます。これを避けるためには、中央銀行が国債を買い上げる必要があります。すると、貨幣供給量が増加し、物価が上昇して、ついにはインフレになります。
MMTの理論は、「いくら国債を発行してもインフレにならない」と主張しているのではありません。そうではなく、「インフレにならない限り、いくら国債を発行しても良い」と言っているのです。つまり、多額の国債発行がインフレを招くという重要な問題をはぐらかしています。
(1)「国全体では貯蓄があるから大丈夫」は誤り
まず「日本全体では対外債権があり、国全体では貯蓄があるから、日本が破綻することは絶対にない」というのは、単純な誤りです。なぜなら、国全体でお金があっても、政府が倒産するからです。
これは、企業の例を考えてみれば、すぐにわかります。「日本全体で金余りだ」「銀行は貸す先がない」と言われていても、資金繰り倒産する企業は必ずあります。それは、金が余っていてもその企業には貸さないからです。なぜ貸さないかといえば、返ってくる見込みがないからです。
借金を積み上げ、一度も借金を減らしたことのない政府、そして赤字額は年々増えていく。毎年新しく借り入れる額が増えていく政府。
このような政府には、貸しても返ってこないと考えるのが普通で、誰も貸さなくなるでしょう。つまり、政府が借金をしたいと新しく国債を発行しても、それを買う人がいなくなるのです。銀行も投資家も金はあるが、買わないのです。
それは、地方政府と違って、日本政府には日本銀行がついており、日銀が買うから問題ない、ということのようですが、これこそ誤りです。
「日銀が国債を買い続けるから問題ない」という議論は、100%間違っています。なぜなら、日銀が国債を買い続けることは、現実にはできないからです。
(2)日銀が国債を買い続けることが難しい理由
また、「自国通貨建ての国は、理論的に絶対財政破綻しない」という議論は元日銀の著名エコノミストですら書いていますが、それは机上の理屈であり、現実には実現不可能なシナリオです。
それは、日銀が国債を引き受け続けるとインフレになるからではありません。その場合は、インフレまで時間稼ぎができますが、インフレになる前に、即時に財政破綻してしまうからです。
日銀は、すでに発行されている国債を市場で買うことはできますので、理論的には、日本国内に存在するすべての国債を買い尽くすことはできます。しかし、財政破綻回避のために買う必要があるのは、既存の国債ではありません。新発債、つまり、日本政府が借金をするために新たに発行する国債です。そして、これを日銀が直接買うこと(直接引き受け)は法律で禁止(*)されていますので、出来ません。
(*)財政法第5条:
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。
これを回避する方法は2つです。
1つは、民間金融機関に買わせて、それを日銀が市場で買うことです。これは、現在すでに行われています。民間主体から見れば、いわゆる「日銀トレード」で、日銀が確実に買ってくれるから、政府から新規に発行された国債を引き受け、それに利ざやを乗せて、日銀に売りつけるのです。
この結果、日本国債のほぼ半分は日銀が保有することになってしまいました。
問題は、これがいつまで継続できるか、ということです。日銀は、継続性、持続性が危ういとみて、「イールドカーブコントロール」(*)という前代未聞の、中央銀行としては最もやりたくない金融政策手段に踏み切り、国債の買い入れ量を減少させることに成功しました。
(*)日銀が短期政策金利と長期金利の誘導目標を定め、その水準を実現するように国債の買い入れを行う金融緩和策。国債の残存期間(満期までの期間)と金利の関係を示す利回り曲線(イールドカーブ)全体を操作するもので、長短金利操作とも呼ばれます。
逆に言えば、これ以上買うことの困難は現実に始まっており、無限に市場経由で日銀に引き受けさせることはできないのです。それでも、政府が国債を発行し続けたらどうなるでしょうか?民間金融機関は、これを引き受けるのを躊躇し、少なくとも一時的には中止するでしょう。
このとき、政府がどうするかが問題です。政府の道は2つです。1つは、危機をようやく認識し、国債発行を減らすことを決意し、遅まきながら財政再建に取り組む、という道です。しかし、これまでの政府の財政再建の取り組みからして、この道はとらない可能性が高いようです。
そうなると、もう1つの道しかなく、日銀に直接引き受けをさせるように、法律改正をすることになります。理論的に日本では財政破綻は起きないと主張している人々は、この手段があるから、自国通貨建ての国債を発行しているかぎり、財政破綻しないと言っているのです。
(3)直接引き受けの話が出れば「日本は即破綻」
残念ながら、この手段は現実には不可能です。なぜなら「中央銀行に国債を直接引き受けさせる」という法律を成立させれば、いや国会に提出されたら、いや、それを政府が自ら検討していると報じられた時点で、政府財政よりも先に、日本が破綻するからです。
「日銀、国債直接引き受けへ」という報道が出た瞬間、世界中のトレーダーが日本売りを仕掛け、世界中の投資家もそれに追随して投げ売りをします。まず円が大暴落し、その結果、円建ての国債も投げ売りされ、円建ての日本株も投げ売られます。混乱が収まったあとには、株だけは少し買い戻されるでしょうが、当初は大暴落します。
つまり、為替主導の、円安・債券安・株安のトリプル安であり、生易しいトリプル安ではなく、1998年の金融危機ですら比較にならないぐらいの大暴落です。1997年から1998年の1年間で、1ドル=112円から147円まで暴落しましたが、「日銀直接引き受け報道」が出て、政府が放置すれば、そのときのドル円が110円程度であれば、1週間以内に150円を割る大暴落となり、状況によっては200円を突破する可能性もあります。
ただし、これも現実には起きません。なぜなら、日銀国債直接引き受け報道が出れば、直ちに為替取引も債券取引も株式取引もまったく成り立たなくなり、金融市場は全面取引停止に追い込まれるからです。
メディアも政治家も、やっと大騒ぎを始め、日銀の直接引き受け報道を政府は否定することになるからです。しかし、否定しても、いったん火のついた疑念は燃え盛り、取引は再開できないか、再開すればさらなる暴落となります。
よって、これを収めるには、日銀直接引き受けなど絶対にありえないという、政府の強力で具体的な行動が必要となります。実質的で実効的かつ大規模な財政再建策とその強い意志を示さざるをえないでしょう。こうなって初めて、暴落は止まります。
つまり、禁じ手といわれている日銀の直接引き受けは、タブーを犯せば理論的には可能です。しかし現実には、タブーを犯した政府と中央銀行は国際金融市場に打ちのめされるため、結局、禁じ手はやはり禁じ手のままとなります。
「自国通貨建ての政府債務なら、いくらでも借金できる」というのは幻想で、為替取引が国際的に行われているかぎり、それは自国通貨建てであろうとも、金融市場から攻撃を受けます。
そして、為替の暴落を許容しても、結局国債が暴落してしまい、借金はできなくなり、すべてを日銀に依存することになります。同時に、株式も短期的には大暴落となるので、政治的に持ちようがなく、政権は株式市場により転覆されるでしょう。その結果、その政権あるいは次の政権は、財政再建をせざるをえず、日銀引き受けは結局実現することはありません。
日銀直接引き受けがありえないとなれば、「財政破綻はしない」という論者の議論はほぼすべて破綻します。
まず、政府と日銀を一体で考える「連結政府」という議論は、前述したように無意味です。連結政府という考えで借金しようとすれば、即金融市場暴落だから、一体で考えることは“打ち出の小槌”どころか、反対に“地獄への道”です。
その次に、借金という負債と対になる資産も考えろという「バランスシート議論」も無意味です。日本は負債も多いが資産も多いので大丈夫というのは、現実的にはまったく間違いです。
政府が不足しているのは現金です。キャッシュがなければ、国民にも配れないし、公共事業もできないし、国民の医療費の肩代わりもできません。資産があっても現金がなければ、政府の資金調達には使えないので、現金資産あるいはすぐに現金化できる資産しか意味がありません。したがって、特別会計の剰余金は使えますが、それ以外はほとんど使えないのです。
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の厚生年金の積立金の運用資産の株式、債券などを売却すれば、確かに100兆円以上の現金は入ってきます。しかし、たとえその資産が200兆円で売れたとしても、1000兆円を超える負債を相殺するには遠く及びませんし、もちろん、将来の年金支払い原資が不足するから、将来、200兆円の不足額が増えるだけのことです。
さらに、道路や森林などは問題外で、買い手がいません。道路に価値があっても、買う人がいなければ売却はできません。価値があっても価格がつかないというのは、金融市場でなくとも普通のことです。
高速道路だけでなく、すべての道路に課金すれば、というような議論は意味がありません。なぜなら、消費税も政治的に上げられない政府が、すべての道路に課金するなどということを実行するはずはないからです。万が一、それをするとすれば、財政破綻後でしょう。
こう追い詰められれば、「財政破綻ありえない派」の論者たちは、今度は「そもそも借金を返す必要などない。個人や企業と違って、国は返さなくていいんだ」と言うでしょう。それならば、バランスシートで考えること自体に意味がありません。バランスシートで考えろという議論は、そもそも無意味なのです。
前述した金融市場による財政破綻のプロセスで見たように、財政破綻が起こるかどうかは、政府がそのとき必要な現金を調達できるかどうかにかかっているのであって、バランスシートも借金残高も直接は関係ないのです。
しかし、現金化できる資産をすべて売りさばいても、せいぜい1年ちょっとで、2年も持たないでしょう。なぜなら、新しい国債が発行できなければ、借り換えもできません。現在、日本政府は、毎年借り換えも含めて国債を170兆円以上新規発行しており、今後は200兆円を超えてくると思われるので、現金化できる資産をすべて売り払っても1年しか持たず、2年は無理なのです。
(4)借金残高が大きいとどうなるか?
では、借金残高の大きさはまったく関係ないのでしょうか?500兆円でも1200兆円でも関係ないのでしょうか?
借金の大きさには、2つの大きな影響があります。まず第1に、借金残高が大きいと「こいつ返せるのか、返す気あるのか」という疑念を持たれ、新たに貸してもらえなくなります。その意味では、GDP比で250%でも財政破綻しないのだから、300%でも400%でも大丈夫、60%程度で破綻したギリシャなどとは日本は根本的に違う、という議論は間違いです。
つまり、日本がこれまで破綻しなかったのは、政府に金を貸してくれる人がいたからで、今やそれが日銀しかいなくなりつつあるというのが問題であり、250%で破綻しないことは今後破綻しないことを意味しません。何より、日銀に半分を買わせないといけないという現実は、まもなく破綻することを示しています。
第2に、破綻したあとの再生の困難さに大きく影響します。日本にとってはこれが最大の問題です。
ギリシャと違って「自国通貨建てで、国内で借金をしているから大丈夫だ」というのは、厳しい国際金融市場ではない、なれ合いの、そして政府の影響力のある金融機関と中央銀行が保有しているから、破綻がすぐには起こりにくい、という意味では正しいです。
しかし、それは逆に言えば、市場が鈍感であり、鈍感な投資家が保有している(鈍感に振る舞うことを強制されているともいえますが)ことを示しているのであり、破綻危機が近づいても、金利が上昇しない(国債価格が下落しない)という市場の警告機能がマヒしていることを意味します。ですから、日本政府の破綻は突然起こるのです。
そして、破綻後、政府の財政再建が非常に困難になります。国内の資金は使い尽くしています。個人の金融資産は銀行に預けられ、地域金融機関やあるいは半公的な金融機関、ゆうちょ銀行などに預けられている多くの部分は国債になっているから、返ってきません。
国民の金融資産の実質価値は激減してしまうのであり、国債の返済は先送り(リスケ)され、いつかは返済されるとしても長期にわたり、インフレ分は目減りするし、何より、すでに老後を迎えている多くの国民は貯金が今必要なのに使えなくなってしまいます。
開き直って、財政破綻、デフォルトした場合、過去の借金は水に流してもらって再建するのが、政府破綻の場合は多い(実質ベースで半分程度返済される、つまり半分は棒引き)ようです。
(5)国内保有が多いほど、破綻したら大変な事態になる
この場合、海外投資家が保有していれば、破綻の負担は海外に転嫁できますが、国内保有の場合は、すべて国内で負担しなければなりません。つまり、夜逃げすらできません。自分の処理はすべて自分でしなければならないのです。これが、国債が国内保有だから大丈夫、という議論の最大のウソです。
むしろ、国内保有だからこそ、破綻したら本当に終わりであり、再起がほぼ不能になってしまうのです。そして、その額が莫大であれば、1200兆円であれば、1200兆円の負担を国内で負うことになり、2000兆円になってから破綻すれば、そのときの日本国民が2000兆円を負担することになるのです。
ですから、政府の借金の大きさは致命的に重要なのであり、ほぼ国内から借金をしていることは、日本政府の財政破綻リスクにおいて最も致命的なリスクなのです。