日本語の面白い語源・由来(ぬ-①)濡れ手で粟・盗人萩・糠・ヌードル・布・饅・濡れ縁・額ずく・濡れ衣・ぬか喜び

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濡れ手で粟

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.濡れ手で粟(ぬれてであわ)

濡れ手で粟

濡れ手で粟」とは、「苦労せずに多くの利益を得ること」です。

濡れた手で穀物の粟(あわ)を掴むと、粟粒がいっぱいくっついて沢山掴めます。
そのことから、苦労せずに多くの利益を得ることを「濡れ手で粟」というようになりました。

「濡れ手粟」という表現も、一部の辞書では認められています。しかし、粟は自ら濡れた手で掴むものです。
「濡れ手で粟」を「濡れ手に粟」にすると、偶然、濡れている手に粟が沢山ついたという、「棚から牡丹餅」のような意味となってしまうため、本来は誤りです。

なお、「濡れ手で(濡れ手に)」と書き、いくら努力をしても実らないことのたとえとするのは、完全な誤用です。

2.盗人萩(ぬすびとはぎ)

盗人萩

ヌスビトハギ」とは、「夏から秋、枝先に淡紅色の小蝶形の花が咲くマメ科の多年草」です。豆果の表面にかぎ状の毛があり、人の衣服などにくっつきます。

ヌスビトハギ・花ヌスビトハギ・実

ヌスビトハギは、豆果が二節からなり、その形が足音をたてないよう忍び歩いた泥棒の足跡に似ているところから、「ヌスビト(盗人)」の名がついたとする説が定説となっています。
しかし、ヌスビトハギは「泥棒草」と呼ばれ、イノコズチやキンミズヒキなど、ヌスビトハギのように実が衣服や動物の毛につくものは皆、「泥棒草」と呼ばれています。

そこから考えると、泥棒の足跡に見立てて「ヌスビト(盗人)」になったのではなく、実がくっつかないようそっと歩く姿が泥棒の忍び足に似ていることから、「ヌスビト(盗人)」の名がついたと考える方が妥当です。

ヌスビトハギの「ハギ(萩)」は、花がハギに似ているところに由来する名です。

3.糠(ぬか)

糠

」とは、「玄米を精白する際に出る、種子や胚芽が砕けて粉になったもの」です。

ぬかは、「ヌケカハ(脱皮)」の意味と考えられます。

『和名抄』にも「糠 米皮也」とあるように、玄米が皮を覆った米とするならば、精米は皮が脱がされたもので、糠は脱がされた皮にあたります。

漢字「糠」の「康」は、硬い心棒を描いた象形文字「庚」と「米」から成る文字で、穀物の硬い殻を表します。

「康」と「米」から成る「糠」は、米の硬い殻を表しています。

4.ヌードル/noodle

ヌードル

「ヌードル」は、1971年に日清食品が発売した「カップヌードル」ですっかりお馴染みになった言葉ですね。

我々と同じ団塊世代の武田鉄矢さん(1949年~ )は、博多から上京した当初、この「カップヌードル」を見て、「カップに入った小さなヌードの人形を売っている」と勘違いしたと語っていました。

ヌードル」とは、「小麦粉と卵で作った麺類」です。

ヌードルは、英語「noodle」からの外来語です。「noodle」は、ドイツ語「Knode(クノーデ)」に由来し、フランス語「nouille(ヌーイユ)」も同源です。

「Knode」は、「こぶ(瘤)」「かたまり(塊)」を意味する言葉で、これに小さいことを表す語尾がついて「knodel(クノーデル)」となりました。

「knodel」は「小さい塊」の意味から、料理用語でも「団子状のもの」を言うようになり、音変化して「nudel(ヌーデル)」となりました。

この頃は、球形の小麦粉食品を指していましたが、他言語に入って、麺類の意味で用いられることが多くなりました。その後、「nudel」が変化し、英語では「noodle(ヌードル)」と呼ばれるようになりました。

5.布(ぬの)

布

」とは、「織物の総称」です。

布の語源は、動詞「ぬう・ヌフ(縫う)」に、麻や苧で作った糸の「お・ヲ(麻)」が付いた「ぬうお(ヌフヲ)」の略と考えられます。

現在では、布は織物の総称として用いられますが、古くは、絹に対して、麻や葛、からむしなどの植物繊維で織ったものをいいました。

やがて、木綿を含めていうようになり、のちには絹も含めて織物の総称となりました。

漢字の「布」は「巾(ぬの)」+音符「父」で、平らに伸ばして表面にぴたりつく「ぬの」を表しています。

6.饅(ぬた)

ぬた

ぬた」とは、「野菜や魚介類を酢味噌で和えた料理」です。なますの一種。ぬた和え。ぬたなます。

ぬたは「沼田」の意味で、ぬるぬるした感じが沼田に似ていることからついた名です。

どろりとした味噌が沼田を連想させることから、味噌に限定していわれることが多いですが、古くはぬるぬるした和え物全てを「ぬた」と呼んでおり、味噌だから沼田というわけではありません。

味噌以外のものでは、酒かすを用いた「粕ぬた」や、大豆や枝豆を煮て潰したもので和える「豆ぬた」があり、現在でも山形などでは「ずんだ」を「豆ぬた」と呼んでいます。

福岡の郷土料理「ぬたえ」は「ぬたあえ」が訛ったもので、祭りや放生会、正月料理などに作られます。

7.濡れ縁(ぬれえん)

濡れ縁

濡れ縁」とは、「雨戸の外側に設けられた縁側」です。雨縁。

文字通り、濡れ縁には雨を防ぐ雨戸などの外壁がなく、雨ざらしの縁側なのでこの名があります。

ただし、昔は「縁側」を単に「縁」と呼んでいたため、濡れ縁の「縁」は「縁側」の略というわけではありません。

濡れ縁の中でも、座敷や通常の縁側より一段低い位置に設けたものは、一段落とした縁の意味で「落ち縁」と呼ばれます。

濡れ縁は雨に濡れるため、板と板の間を隙間状にして水はけをよくしたり、水切れをよくするために竹を使用することもあります。

現代では、腐食しないよう、アルミを使ったものも多く見られます。

8.額ずく(ぬかずく)

額ずく

ぬかずく」とは、「ひたいを地面につけて拝むこと。地にひたいがにつくほど丁寧にお辞儀すること」です。

ぬかずくは「額(ぬか)」+「突く(つく)」の語構成で、「額突く」と漢字表記します。
「ぬか」は「ひたい」と同義語ですが、礼拝の意味でも使われる語でした。
「つく」は地面に突き当てる意味で、ぬかずく(ぬかづく)は礼拝を強めた表現。もしくは、実際に地面に額をつけた礼拝のことです。

大勢のイスラム教徒がぬかずいて礼拝する姿が下の写真です。

イスラム教徒の礼拝
古くは「ぬかつく」と清音だったとされ、『万葉集』にも「ぬかつく」の例が見られます。
ただし、平安中期には「ぬかをつく」という表現もあり、「ぬかつく」と一語化されるのはそれより遅い時期と考えられます。

濁音化された「ぬかづく(額づく)」の形は、『文明本節用集』や『日葡辞書』などに見られ、室町期以降に濁音化された可能性が高いようです。

9.濡れ衣(ぬれぎぬ)

濡れ衣

濡れ衣」とは、「無実の罪。根も葉もない噂」のことです。「濡れ衣を着せる」や「濡れ衣を着る(着せられる)」と使われます。ぬれごろも。

濡れ衣は、雨水や海水などに濡れた衣服のことで、元々は文字通りの意味でした。

「無実の罪」の意味として、濡れ衣が使われ始めたのは平安時代頃です。
濡れ衣の語源は諸説ありますが、次の順で有力とされ、四番目の説はただの駄洒落と考えられます。

①継母が先妻の娘の美しさを妬み、漁師の濡れた衣を寝ている娘の枕元に置いた。
そのため、漁師との関係を誤解した父が、娘を殺してしまったという昔話説。

②海人(あま)は皆濡れ衣を着ており、水中に潜ることを「かずく(潜く)」、損害や責任を他人に負わせることを「かずける(被ける)」という。
そこから、「かずく(潜く)」と「かずく(被く)」を掛けたとする説。

③濡れた衣服が早く乾けば無罪、乾かなければ有罪とする、神の意思を受ける裁判がかつて存在したと考え、その神事に由来する説。

④「無実」は「実が無い」と書くことから、「みのない」が「蓑無い」となり、雨具として使われる蓑が無いと衣が濡れるため、「無実」を「濡れ衣」と呼ぶようになったとする説。

10.ぬか喜び/糠喜び(ぬかよろこび)

ぬか喜び

ぬか喜び」とは、「いったん喜んだ後、実はあてはずれでがっかりするような、儚い喜び」のことです。

ぬか喜びの「ぬか」は、玄米を精白する時に生じる、種皮や胚芽の粉末の「糠」のことです。

糠はその形状から、近世頃より「細かい」「ちっぽけな」の意味で用いられました。
その意味では、「糠雨(ぬかあめ)」や「糠星(ぬかぼし)」などに使われています。

さらに、糠は「小さい」の意味から派生し、「はかない」「頼りない」などの意味も持つようになり、はかない喜びを「ぬか喜び」と言うようになりました。