1.随処に主となれ
禅宗の言葉に「随処(ずいしょ)に主(しゅ)となれば 立処(りっしょ)皆真(しん)なり」という言葉があります。
これは臨済宗の開祖である中国の「臨済義玄禅師(りんざいぎげんぜんじ)」(?~867年)の言行録である「臨済録」に出て来る言葉です。
「どんな会社にいても、どんな仕事であっても、自分が主人公となって積極的に行うならば、そこでの生き様は全て真実である」という意味です。
いつどこにあっても、どんな場合でも、何物にも束縛されず、主体性を持って真実の自己として行動し力の限り生きていけば、いかなる外界の渦にも巻き込まれたり翻弄されたりしないで、人生の真理・生きる意味が見つかり、自在の働きが出来るということです。
2.人間到る処青山あり
最近、70歳近いせいか、しみじみと残り少ない人生について思うことがあります。
「人間(じんかん)到る処青山あり」という言葉もあります。この言葉は幕末の僧侶「月性(げっしょう)」(1817年~1858年)の次の詩にある言葉です。
男児志を立てて郷関(きょうかん)を出(い)ず
学若(も)し成る無くんば復(また)還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり
この言葉は、「世の中は広く、死んで骨を埋める場所くらいどこにでもあるのだから、大望を成し遂げるためならどこにでも行って、大いに活躍するべきである」という意味です。
大望や野心を抱いた若者の国を憂える血気盛んな心意気がひしひしと伝わってきます。
それもそのはずで、月性という人は、若くして京・大坂、江戸に遊学し、名士と交流を深めています。吉田松陰が黒船への乗り込みに失敗し、萩の野山獄にいたころから彼と付き合いがあったそうです。
月性が32歳の時に開いた私塾「清狂草堂(せいきょうそうどう)」は、「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称され、多くの門人を輩出しました。久坂玄瑞も門下生です。
攘夷論を唱えて海防の必要性を説き、常に外寇を憂えて人心を鼓舞したため「海防僧」と呼ばれていたそうです。
3.人生字を識るは憂患の始め
「人生字を識(し)るは憂患(ゆうかん)の始め 姓名麤(ほぼ)記せば以(もっ)て休(や)むべし」というのは、「人間は字を覚え、学問を積み、なまじ道理がわかるようになると人生の深さと複雑さが身にしみて、考え込んだり思い悩んだりする種が多くなる。むしろ無学で何も知らないほうが気楽である」という意味です。
これは中国北宋の政治家・詩人・書家の蘇軾(そしょく)(1037年~1101年)が著した「石蒼舒酔墨堂(せきそうじょすいぼくどう)」に出て来る言葉です。彼は「東坡居士」とも称したので蘇東坡とも呼ばれ、「唐宋八大家」の一人です。
人生に関しては、他にも「人生意気に感ず」といった意気軒高な言葉もありますが、人生の短さ・はかなさを表す「人生は朝露の如し」「一炊の夢」「邯鄲の夢」のようなものが多いようです。
豊臣秀吉の辞世「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」
人間誰しも、生きている限り、悟りの境地にずっととどまっていられるものではありません。煩悩は果てしなく続きます。ゴルフでも、上達のヒントが突然ひらめくことがあります。やっと「開眼」して「ゴルフが簡単なものに思えるようになった」と喜んでいても、またスランプに陥って「閉眼」してしまいます。
「上を見たらきりがない、下を見てもきりがない」のが世の中です。「泣いても笑っても一度きりの人生」なので、「後悔ばかりして泣いて暮らす人生ではなく、笑って前向きに生きる人生」を選びたいものです。阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損損」の意味は、私なりに「傍観者ではなく、主体的に自分らしく生きること」だと解釈しています。
「棺を蓋いて事定まる」という言葉があります。死ぬまで悩みながらも自分なりに「随処に主となれ」を心がけ、悔いのない人生を送りたいと思います。