養生訓の著者として有名な貝原益軒(1630年~1714年)および養生訓の内容についてわかりやすくご紹介します。
1.貝原益軒とは
貝原益軒は、江戸時代前期から中期に活躍した本草学者・儒学者・教育者で、筑前国福岡藩士です。
福岡藩の祐筆の五男として生まれ、彼も福岡藩2代藩主に仕えますが不興を買い、7年間の浪人生活を余儀なくされます。3代藩主の時代になると許され、藩医として帰藩します。
その後、藩費で京に数年間遊学し、本草学や朱子学を学びます。この時期に儒学者・木下順庵や神道家・山崎闇斎、医師・黒川道祐らと親交を結びます。
帰藩後は、藩内で朱子学を講義したり、君命により「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編纂しましたが、晩年は執筆活動に専念し膨大な著作を残しています。
彼は「民生日用の学」をモットーとしており、多くの人々にとって有益なものとなるよう、著書はわかりやすい文体で書かれています。
主な著書は、本草書「大和本草」、健康指南書「養生訓」、子女の教育書「和俗童子訓」、朱子学への疑問をまとめた「大擬録」などです。
ほかに、現代で言えば京都観光ガイドブックとも言うべき「京城勝覧(けいじょうしょうらん)」という書物も書いており、人気があったようです。そこで彼は、「京都観光は、人出が少ない朝のうちがお勧めである」と書いています。
彼は39歳の時、知人の医師の姪で、当時17歳の初子と結婚しています。「22歳の年の差婚」だったのですね。
妻は和歌が巧みで、後に「東軒」と号し、彼に伴って漫遊して紀行文や「女大学」等の著作に内助の功を発揮する仲の良い夫婦でしたが、実子はなく、兄の息子を養子にしています。妻は62歳で亡くなりますが、彼は妻の後を追うようにその8カ月後に84歳で亡くなっています。
2.養生訓とは
(1)養生訓の概要
養生訓は、貝原益軒の大衆向け健康指南書で1713年、彼が83歳の時に著したものです。
精神・肉体の衛生を保つために、生活する上で心得ておくべきことを具体的に平易に説いています。「心と体の養生」「心身一如」の予防医学ということですね。
要旨は、内欲(食欲、性欲)を抑え、外邪(寒熱)を防ぐことにあり、主体的な健康維持への努力を強調しています。
「総論、飲食、飲酒、飲茶、煙草、慎色欲、五官、二便、洗浴、慎病、択医、用薬、養老、育幼、鍼、灸」の各項目について、当時として極めて長寿だった彼の経験と事実に即した考えをもとに具体的に詳しく述べられています。
(2)「養老」の抜粋
私は今年70歳になりましたので、「養老」に特に興味があります。講談社学術文庫「養生訓」を参考にして、以下にその内容をご紹介します。
①真心をもって親を養う
②子供のように老人を養う
③雑事を避ける
老人は余命も長くないと思う。心配事も若い時のものとは違う。心を静かにし、雑事を少なくし、人との交際も少なくすることが老人には適当である。
④心を楽しく
老後は、若い時の十倍もの速さで月日が流れるように感じる。無駄な日を過ごすことがあってはならない。心を静かに従容として残された日々を楽しみ、怒ることなく、欲を少なくして健康に気を配る。老後の一日は千金に値すると子はいつも心掛けねばならない。
⑤晩年の節度を保つ
老いて子に養われるようになると、若いころから一緒にいる人に対して怒りやすくなる人も多い。欲が深くなり、子を責め、人を咎めて節度がなくなり、心を乱す人は少なくない。自制して怒りと欲をこらえ、人を責めたりせず、残された日々を楽しみたい。子としては、これを念頭に置いて父母を怒らせることのないよう、日ごろから気を配らないといけない。父母を怒らせるのは大きな不孝。自分の不孝を親に咎められて、耄碌したなどと人に言うなど、最も親不孝なことである。
⑥老人の保養
老人の保養は、何よりも体力や気力を減らさないようにすることである。呼吸を静かにし、話もゆっくりし、言葉も少なくし、起居・歩行も静かにするのがよい。怒らず、人の昔の過失を咎めてはいけない。また、自分の過ちも後悔しない方がよい。人の無礼や無理な要求などに怒ったり、恨んだりしてはいけない。これらはみんな老人の道であり、徳行、慎みでもある。
⑦気を惜しむ
老いると気力が少なくなる。気力を減らすことを避けなければならない。第一に怒ってはならない。憂い、悲しみ、泣き、嘆いてはいけない。葬儀に関わらせてはいけない。死者の家族を訪ねさせてはいけない。また、物思いにふけらせてはいけない。最もいけないのは多くを話すことである。早く喋ってはいけない。高い声で話したり、高笑いしたり、声高く歌ったりしてはいけない。遠いところまで歩くのはいけない。早足で道を歩いてはいけない。重いものを持ち上げてはいけない。これはみんな気力を減らすことになる。
⑧酒食を吟味する
老人は体力・気力ともに弱い。子はこの点をよく配慮しておかないといけない。食事は栄養に気を付け、酒や食物はよく吟味して味のよいものを勧めないといけない。老人は胃腸が弱いので、粗雑で刺激の強いものに弱い。
⑨寒暑の外邪に用心
衰弱した老人は胃腸が弱い。夏は最も注意しないといけない。暑いため生の冷たいものを食べると下痢をしやすい。高熱を伴う下痢はとても危険である。ひとたび病気になると、身体を非常に消耗させてしまう。残暑の時は特に注意しないといけない。また、冬の寒さや風邪などにも気を付けないといけない。
⑩老人と五味
老人は、特に生で冷えたもの、堅いもの、脂っこいもの、消化しにくいもの、こげて乾いたもの、古いもの、くさいものなどは食べてはいけない。五種類の味(甘・酸・鹹・苦・辛)のかたよりのあるものは、味はよくても多く食べてはいけない。夜食は特に注意したほうがよい。
⑪老人と寂寞
年老いてから寂しいのはよくない。子は時々そばにいて、古いことや現在の出来事を静かに話して寂しがらせない。父母とあまり話さなかったり敬遠したりするのは、極めて不孝なことであり、愚かなことである。
⑫温暖の日の散歩
温暖な天気の日は、庭園や田畑に出たり高いところに上がったりして、気分を開放的にさせるといい。時々花木を愛し、鑑賞させて、心を快適にさせるのもいい。けれど庭や畑、花木に心を奪われて、心を労するようなことがあってはならない。
⑬無理をしない
老人は気が弱い。全てのことに用心するといい。すでに取り掛かっている事でも、自分には無理だと思えば、中断してやめないといけない。
⑭七十を過ぎる頃
年齢が70歳を越えれば、1年を無事に過ごすことだけでも、とても難しい。この頃になると年単位ではなく、日ごとに体力・気力が変わってくる。その変化は若い時の数年よりも激しく変わる。このように衰えて行く身であるから、よく養生しないと天寿を全うできない。この頃の年齢になると、一年が過ぎ去るのが、若い頃の 1,2カ月が過ぎ去るよりも早く感じられる。これからあとの年齢が少ないと思うなら、本当に少ないと考えないといけない。子は、年老いた親には心をもって孝行し、むなしく過ごさせてはいけない。
⑮日々を楽しむ
老いてからは、一日を十日ぐらいに思って毎日を楽しまないといけない。一日も惜しんではいけない。自分の思いが通じなくても、それは自分が凡人だから仕方ないと思い、子弟やその他の人の間違いを許し、咎めたり怒ったり恨んだりしてはいけない。自分が不幸で裕福でなくても、世の中とはこういうものだと割り切り、憂い悩んだりしてはいけない。常に毎日を楽しまないと、もったいないことである。家が貧しく不幸にして飢えて死ぬことがあったとしても、死ぬまで楽しむのがいい。貧乏だからといって、人に文句を言い、不誠実な人間になり命ばかり惜しんではならない。
⑯心労を避ける
老人になったならば、徐々に仕事や人との関わり合いを少なくするのがいい。多くのことに関わってはいけない。多くのことに関わると心労で楽しみもなくなってしまう。
そのあとも、「朱子の食養生、老人と外出時の用心、老人と小食、老人の食事、老人と食餌療法、間食を避ける、老人と楽しみ、心身を養う、世俗から去る、静養第一、あぐらをかくこと」などと続きますがキリがありませんのでこの程度で止めておきます。
(2)「総論」の抜粋
①人間は百歳を上寿とする
人間の寿命は100歳をもって上限とする。上寿は100歳、中寿は80歳、下寿は60歳である。60歳以上の人は長寿である。50歳で亡くなっても、それは若死にとは言わない。長命する人は少ない。それは養生を心がけていないからである。
②人生五十年
人とは50歳になるまでは、本当の生き方を理解できないものである。50歳までに死ぬことは若死にである。長生きしないと、学問や知識は上達しないし発達もしない。長生きとは運命で決まるものではなく、人が長く生きたいと思う心が大事であり、欲の深い人や自暴自棄な人は長生きできないものである。
いずれにしても、内容は常識的で納得できる部分が多いのですが、彼が江戸時代の前期から中期の人で、当時の平均寿命(推定)が30~40歳代で長生きしてもせいぜい50歳くらいだったことを考えると、驚異的な84歳の長寿を達成した人の言葉として重みがあります。
しかし貝原益軒も、現代のように70歳代の老人の息子や娘が100歳近い老父母を介護することが珍しくない世の中になろうとは想像していなかったのではないでしょうか?
私のような団塊世代から今の「アクティブシニア」を見ると、実感としては「今の実年齢の9掛け」が「貝原益軒の当時の年齢と合う」のではないかと感じます。つまり今の70歳は当時の63歳くらいの感じです。80歳で当時の72歳、90歳で当時の81歳くらいの感じではないでしょうか?
ただ、現在70歳の私にも、月日の経つのがものすごく早く感じるようになったことなど「養老」に書かれていることに当てはまる部分もあります。全て鵜呑みにはせずに、自戒して養生に励みたいと思います。
3.貝原益軒の辞世と名言
(1)辞世
越し方は 一夜(ひとよ)ばかりの心地して 八十(やそじ)あまりの夢をみしかな
(2)名言
①朝早く起きるは、家の栄えるしるしなり。遅く起きるは、家の衰える基なり。
②節制には七養あり。これを守るべし。一には言すくなくして内気を養う。二には色欲を戒めて精気を養う。三には滋味を薄くして血気を養う。四には津液(唾液)を飲んで臓気を養う。五には怒りをおさえて肝気を養う。六には飲食を節して胃気を養う。七には思慮を少なくして心気を養う。これ寿親老書(明時代の医学書)に出たり。
③養生の要は、自ら欺くことを戒めて、よく忍ぶにあり。
④君子が財をみだりに用いずして惜しむは、人に益あることに財布を用いんがためなり。
⑤人々は日々に飲食せざることなし。常に慎みて欲を越えざれば、過ごしやすくして病を生ぜず。古人、災いは口より出でて、病は口より入ると言えり。口の出し入れ常に慎むべし。
⑥人の礼法あるは水の堤防あるがごとし。水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず。
⑦朋友の間、悪しきことならば面前に言うべし。陰にてそしるべからず。後ろめたく聞こゆ。前面にその過ちを責め、陰にてその善を褒むべし。
⑧天下のあらゆる民は、我と同じく天地の子なれば、みな我が兄弟なれば、もっと愛すべきこと言うにおよばず。
⑨志を立てることは大いに高くすべし。小にして低ければ、小成に安んじて成就しがたし。天下第一等の人とならんと平生志すべし。
⑩疑いを人に問うは知を求むる道なり。自ら心に道理を思うは知を開くもとなり。
⑪知って行わざるは、知らざるに同じ。