小学校のブロック塀の弊害。防犯対策と防災対策の観点からも、早急な撤去を望む

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1.小学校のブロック塀倒壊による犠牲者

今年(2018年)6月18日の「大阪北部地震」で、高槻市の寿栄小学校の女子児童が、登校中に小学校のブロック塀倒壊により亡くなりました。

2.昔の学校は塀がなく出入り自由だった

私が小学生の時は、南側の正門のほかに、北にある校庭の東側は畦道に直接つながっており、西側も舗装されていない道に直接面していましたので、学校の北側や東西方向の家から通学して来る児童は、正門ではなく出入り自由の東西の「通用口」から入りました。南側にある正門の両側も、生垣はあったかも知れませんが、目立つような塀はなかったように思います。

「行くに径(こみち)に由(よ)らず」という言葉をご存知でしょうか?これは「論語ー雍也」に出てくる言葉です。旧制一高の生徒が正門から入らず、近道で登校する生徒が後を絶たないので、校長が訓戒した時にも使用した言葉だと聞いたことがあります。前途有望な青少年に対して、小道や裏道を通らず、正々堂々と大道を歩めとの教えだったのでしょう。物事を為すに当たって、近道を求めたり、小細工を弄したりせず、正々堂々としたやり方を取れということです。

私は、高校に通っていた時、正門の手前に校内に通じる門のない細道があり、いつもそこから入っていました。その方が教室にも近いので、わざわざ正門まで遠回りする必要を全く感じなかったからです。しかし罰が当たったのでしょうか?

3.小学校にブロック塀が設置されるようになった経緯

少し脱線しましたが、本論に入りましょう。小学校にブロック塀が設置されるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか?全部を調べることは不可能ですが、今回の事故が起こった高槻市の寿栄小学校のブロック塀は、1977年(昭和52年)の卒業アルバムの写真にも出ているそうです。ということは40年以上前からということですね。

(1)防犯対策として設置

その頃、小学生の児童を狙った誘拐などの事件が多発し、そういった不審者・変質者から児童を守るために「目隠し」の意味で、高いブロック塀をめぐらすようになったのかも知れません。

一般住宅でも、昭和40年代からブロック塀で家の周りを囲むことが多くなったように思います。「防犯対策」という意味と、「生垣」に比べて安上がりで管理も不要ということで普及したのでしょう。

(2)防犯対策として有効・適切かは疑問

しかし、犯罪者からの「目隠し」や「防犯対策」という意味では、中を隠すブロック塀よりも、中を見せる生垣の方が、「多くの通行人など一般人の目」が行き届くという利点があると思います。そして、無機質で刑務所のような高いブロック塀よりも花木の生垣の方が潤いがあります。

(3)建築基準法施行令が守られないまま違法状態が放置されたことも問題

更に問題は、1971年に改正された建築基準法施行令で、「ブロック塀の高さは3m以下」となり、1981年に「2.2m以下」に厳格化されたにもかかわらず。「40年以上違法状態だった」ということです。元々、建築基準法で「高さ1.2mを超える塀に関しては、大風や地震で倒れないように「控え壁」の設置が義務付けられていましたが、高さ3.5mの寿永小学校のブロック塀にはありませんでした。

いくら、安全性を確保するための法律を作っても、実際の建築物について、それが適法に設置されているかを検証しなければ「絵に描いた餅」です。さらに安全性を高めるために法律を改正しても、新規設置はもとより、既存建築物についても実地検証するのでなければ、安全性は高まったとは言えません。

違法建築をチェックし監督するのは国では国土交通省で、地方自治体では都道府県と市町村になるかと思いますが、民間住宅を含めた全てについて実地検証するのは不可能としても、公共の建物、特に学校については、今後も最優先で重点的に検証出来る体制を構築する必要があると思います。

この小学校でも、3年前に防災の専門家から危険性を指摘されていたのに、高槻市教育員会の職員が、簡単な目視と棒で叩く検査をしただけで、「問題なし」と判断していたそうです。しかも、その職員は、建築士の資格を持っておらず、そもそも当該ブロック塀が建築基準法違反の状態であることに全く気付いていなかったということです。

4.今回の事故は「人災」の側面も大きい

これは、「天災」というより、「人災」の面が非常に大きいと私は思います。「役所の無責任体質」と簡単に片づけられる問題ではありません。

2012年12月に、山梨県の中央自動車道の笹子トンネルで天井板のコンクリート板落下事故がありましたが、ちゃんとした保守点検をしていなければ、同様の事故がまた起きる可能性が極めて高いです。「杞憂」という言葉は、古代中国の杞の人が天が崩れ落ちて来はしないかと心配したという故事に由来し、「取り越し苦労」のことを指しますが、トンネルの天井板落下は、杞憂ではなく現実です。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」と言いますが、その後このトンネル事故の対応策がどのようになされ、見直し点検の「ロードマップ」がどうなっているのか、報道が無いのでわかりませんが、このようなことこそ、「追跡調査」のような形でマスメディアも報道してほしいし、野党の皆さんも、「安倍降ろし」や「普天間問題」などに狂奔する党利党略ではなく、もっと広く国民の安全を真剣に考える前向きな行動を取って頂きたいと思います。

結論としては、小学校のブロック塀は弊害が多く、防犯対策と防災対策の観点からも、早急な撤去を望みたいと思います。