<2021/5/22追記>2021/5/21可決・成立した「改正少年法」は法的整合性がない!
この「少年法改正」は中途半端で煮え切らないもので、私は個人的には反対です。
18歳以上には選挙権が付与されたのですから、従来の「20歳が成人」という既成概念に囚われず、「18歳以上は成人として、権利に見合った責任をしっかり求めるべき」です。
すでに公職選挙法の改正によって、2016年から18歳以上に選挙権が付与されており、民法改正によって2022年4月からは「18歳以上が民法上の成人」となります。
公認会計士や医師免許などの資格取得も18歳から可能となり、裁判員裁判の裁判員となることもあります。
「罪を犯した時だけ『特定少年』として特別扱いを受けるという改正少年法考え方は、法的整合性が取れず、権利と責任の観点からも問題が多い」と思います。
<2021/2/19追記>18・19歳を「特定少年」と位置付け、20歳以上と同様に厳罰化へ
政府は2月19日、改正民放が施行される2022年4月1日から成年として扱われる18・19歳について、「特定少年」と位置付け、20歳以上と同様の刑事裁判にかける対象犯罪を拡大して厳罰化する「少年法改正案」を閣議決定しました。
ただ、これはいかにも微温的で姑息なやり方だと思います。少年法の対象を17歳以下(私は将来的には義務教育年限の15歳以下に絞るべきだと思いますが)にすることを明記すべきです。
近年は「いじめ」による自殺の報道が、後を絶ちません。今回は「いじめ」について考えて見たいと思います。
「いじめ」や「仲間外れ」は、何も今に始まったことではなく昔からあり、また「学校」に限らず、「会社」「軍隊」「牢獄・刑務所」「村」でもあります(ありました)。
軍隊でのいじめは「新兵(初年兵)いじめ(リンチ)」が代表的で、牢獄では、「牢名主による恐喝や折檻」、村での「仲間外れ」は「村八分」です。「老人ホーム」でも、「挨拶をしない」と言って、グループから「仲間外れ」にする「いじめ」があるという話も聞いたことがあります。
人間は「感情の動物」なので、集団を作ると、「好き嫌い」や「考え方の違い」などから、「派閥」や「グループ」が出来て、「いじめ」が必ず起きます。
これは「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という石川五右衛門の辞世のように、泥棒などの「犯罪」が世の中からなくならないのと同じことです。
1.「いじめ」とは
文部科学省の定義では、「児童の一定の人間関係にある人物から、精神的・物理的な攻撃を受けたことで苦痛を感じていること」であり、「自尊心を損なわせ、弱体化させることを目的とした、執念深い、冷酷な、あるいは悪意のある企てによる、長期にわたって繰り返される不快な行為」です。
2.「いじめ」がなくならない原因
「いじめ」を完全にゼロにすることは、最初に述べたように無理だと思います。
ただ、「学校」において、「いじめ」がいまだに減らないのは、次のような原因が考えられます。
(1)「いじめた側(加害者グループ)」に対する「訓戒や処罰」が甘いことがあります。昔は、「いじめ」か「その他の犯罪」が理由かわかりませんが、「不良行為」があった生徒は、「少年院」にどんどん送られていたように思います。
「いじめ」問題が発生して、「アンケート」などで実態把握はしても、加害者(グループ)に対する処分をどうしたのかの報道はないように思います。今は、「検察官送致」はもちろん「少年院送致」も少なすぎるのではないでしょうか?
「脅迫」「暴行」「傷害」「恐喝」「窃盗教唆」のように、「刑事事件」に当たるようなケースは、当然「検察官送致」になるのだと思いますが、「いじめによる自殺」の場合、「いじめの実態」についてはあまり公になっていないように思います。
(2)「教育委員会」や「学校長」が、「いじめ」の事実を「自らの保身」のために「隠蔽する体質」があることです。また、調査をしても「いじめと自殺との因果関係は確認できなかった」という結論が出ることが多いのも問題です。
よく会社でも、「セクハラ」や「パワハラ」がないかを、「コンプライアンス委員会」などが調査したりしますが、「セクハラ・パワハラの相談が1件もない」とか、「アンケートの結果、セクハラやパワハラなどのコンプライアンス違反はなかった」という結論が出た場合は、その結論が本当に正しいのかを疑ってみる必要があります。
こういう事態がゼロというのは、あり得ないことではないものの、むしろ「異常値」ではないか、「相談や告発がしにくい雰囲気がある」「告発すると、犯人(告発者)捜しが始まり報復される恐れがある」とか何らかの事情で「表面化していないケース」があるのではないかと考えて、もう一度よく調べる必要があると思います。
(3)「加害者」の人権や将来に配慮し過ぎて、「被害者」の人権や将来を軽視していることです。「少年法」によって守られているのを奇貨として、加害者の「いじめグループ」は、今の社会や大人たちを舐めてかかっているのではないでしょうか?
加害者の将来を心配するよりも、被害者の将来をもっと心配してあげるべきです。そのためには、「いじめ」に対する厳罰化が望まれます。
3.「いじめ」に対する対策
大相撲の貴ノ岩は、日馬富士による暴行事件で「被害者」になった後、付け人への暴行事件で「加害者」となりました。彼は高校時代は「いじめ」をよくやっていたそうで、当時のあだ名は「ジャイアン」だったと聞いたことがあります。
ある有名な柔道家も、「子供時代にいじめっ子であった」ことを告白しています。しかし、彼がオリンピックで金メダルを取って世界的に成功しても、彼にいじめられた人の心の傷は元に戻らないのではないでしょうか?
「いじめ」に対する対策は、上に述べた「原因」を着実に潰して行くことしかありません。
文部科学省・教育委員会・学校長、ならびに警察庁・法務省・少年院などの緊密な連携が望まれます。
4.成人年齢の引き下げ
少年法の改正、たとえば「対象年齢」の引き下げなども検討する必要があると思います。「選挙権」に平仄(ひょうそく)を合わせて18歳への引き下げが検討されているようですが、当然そうすべきです。
「善悪の弁別」なら、「15歳」であれば十分です。「可塑性」(更生する可能性)という点でも、15歳未満なら教育による改善の余地は高いかも知れませんが、15歳以上では可能性が低いと私は思います。
江戸時代までは15歳で「元服」し、「大人」になるとされていました。それ以上の年齢の者には、「少年法」の保護を外してもよいのではないでしょうか?
現在の民法は1896年(明治29年)に作られましたが、第4条で成年を20歳と定めました。これは、当時の欧米諸国が成人年齢を21歳~25歳としているのと国内の慣習(15歳)との衡平を図ったというのが実態のようです。
「教育」ではなく、「刑罰」を与えることで「更生」させ、「虞犯(ぐはん)少年」の将来の再犯への抑止力が出来ると思います。今の「20歳」というのは明らかに「過保護」です。