「東方朔」は中国の「お笑いの神様」。面白いエピソードをご紹介します!

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東方朔

皆さんは「東方朔」という人物の名前をお聞きになったことがあるでしょうか?

たぶんご存知の方は少ないと思いますが、大変面白い人物なのでご紹介したいと思います。

1.「東方朔」とは

「東方朔(とうほうさく)」(B.C.154年?~B.C.93年?)は、前漢の「武帝(ぶてい)」(B.C.156年~B.C.87年)に仕えた一風変わった名臣です。彼は斉の出身で、古文書や経学を好み、雑書・史伝を広く読んでいました。

武帝は即位した後、賢良文学の士を公募しました。これに応募した東方朔は、3000枚の竹簡に書かれた上書を提出しました。上書の内容は「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」という自らの推薦状でした。

何とも恐れを知らない大胆不敵な自己アピールですが、武帝は2カ月かけて読み終え、彼を郎官に任命しました。武帝は彼を大変気に入ったのです。

彼は「大変な物識り」で、およそ何を聞かれても知らないことはなく、武帝の「良い話し相手」でした。

しかし、御前で出された料理の食べ残しの肉は、全て懐に入れて持ち帰ろうとして服を汚すのが常で、賜った着物は肩に担いで退出するといった調子でした。そして下賜された金品を浪費して、長安の若い美女を次々と娶(めと)り、1年も経つと捨てて顧みないという暮しをしていました。これは道教の修身法の一つである「采陰補陽」だったようです。

そのような行動を見て世間の人は、彼を狂人扱いしていましたが、当人は至って平気なもので、「宮廷でぶらぶらしている隠者だよ」(「下界に住む仙人」「朝隠の思想」)と嘯(うそぶ)いていました。

史記を著した司馬遷(B.C.145年?~B.C.86年?)は、東方朔を讃え、朝廷の中にいて世を避けたと自認するこの賢人に共感を抱いていたようです。

2.「お笑いの神様」としての「東方朔」

東方朔

「お笑いの神様」と言えば、私のような団塊世代であれば「喜劇王」の異名を持つチャールズ・チャップリン(1889年~1977年)をまず思い浮かべると思います。

Charlie Chaplin – Modern Times (lyrics)

若い世代であれば、今年3月にコロナで亡くなったコメディアンの志村けんさん(1950年~2020年)を第一に挙げるでしょう。

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あるいは「爆笑王」と呼ばれた落語家桂枝雀(1939年~1999年)を挙げるかもしれません。

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中国で「お笑いの神様」と呼ばれる東方朔は、日本で言えば豊臣秀吉の「御伽衆(おとぎしゅう)」で「落語家の始祖」とも言われ、ユーモラスな頓智で人を笑わせる数々のエピソードを残した(初代)曽呂利新左衛門(生没年不詳)のような存在だったのでしょう。

滑稽な行動や奇行で、中国では「相声(そうせい)」(中国の伝統的な話芸の一つで、話術や芸で客を笑わせる芸能。中国式「漫才」)などの「お笑いの神様」として尊敬されているそうです。

彼は機知とユーモアで武帝から寵愛され、太中大夫給事中に進みましたが、後に酒に酔って殿上で小便をしたことから庶人に降格されています。

その後、中郎に復しましたが、富国強兵策を上奏しても用いられず、所詮はお笑い芸人のような「道化役」「面白い話し相手」としてしか認められませんでした。それを自嘲した「答客難」「非有先生之論」などの詩文を残しています。

なお、「西王母(せいおうぼ)の桃を盗んで食べて長寿を得た」という伝説があります。ちなみに「西王母」とは、中国の古代神話上の女神で、西方の崑崙(こんろん)山に住み「不老不死」の薬を持つ神仙と言われます。武帝が不老不死の仙桃を授かったとされています。

そのほか、「トリックスター」として、孫悟空の天宮を騒がすといった物語のもとになる伝説もあります。

3.能楽「東方朔」

東方朔能楽図絵

これは、金春禅鳳(1454年~1532年?)作の謡曲です。

「さてもわれ西王母が桃実を度度服せしその故に、寿命既に九千歳に及べり」

七月七日に漢の武帝が承華殿で七夕の星祭をしていると老人が現れ、最近御殿に青鳥が飛び回るのは西王母が参上する瑞兆だと語り、自分は高齢九千歳の東方朔だが、神仙国の佳人西王母を伴って参内しましょうと言って消える。やがて再び東方朔が西王母とともに現れ、長寿の桃実を帝に奉じ、舞を舞い、夕陽が西に傾いた頃に帰って行きます。

この桃は三千年に一度実がなるそうです。そういえば西遊記で孫悟空がこの西王母の桃園の桃を食べ尽くして大騒ぎになった場面がありましたね。