「青天を衝け」の第一話に罪人として登場した高島秋帆はどんな人物だったのか?

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高島秋帆・砲術家

2021年2月14日に始まったNHK大河ドラマ「青天を衝け」第一話で、砲術家・高島秋帆(演:玉木宏)が罪人として捕らえられ「囚人籠」(唐丸籠)に入れられて代官たちに護送されて行くのを幼い渋沢栄一(1840年~1931年)が目撃する場面がありました。

囚人籠高島秋帆・玉木宏

牢獄を覗きに行った渋沢栄一に語った「このままではこの国は終わる、自分の胸に聞き動くしかない」という言葉から、「憂国の士」であることは想像できましたが、いったいどんな人物だったのでしょうか?

1.高島秋帆とは

高島秋帆(たかしましゅうはん)(1798年~1866年)は、長崎生まれの幕末の兵学者・砲術家で、「日本近代砲術の祖」と呼ばれています。父は「長崎町年寄」でした。

はじめ荻野流砲術を学びましたが、後に出島のオランダ人から蘭学・兵学・砲術を学び、「高島流砲術」という西洋式砲術を創始しました。

近代的西洋流砲術の先駆者で進取の精神を持ち、鉄砲を外国から購入して、その鋳造に尽力しました。

「アヘン戦争」(1840年~1842年)で清がイギリスに敗れたことに刺激され、欧米列強による侵略への危機感から、幕府に「洋式砲術採用」を上申しました。

江川太郎左衛門(1801年~1855年)の支持を得て江戸に出、1841年に江戸郊外の「武蔵国徳丸ケ原での砲術調練」を行い、名声を得ました。

しかし1842年に鳥居耀蔵の讒言によって、下獄しました。これが次に述べる「高島秋帆疑獄事件」です。

1853年の「ペリー来航」を機に許されて、1856年に幕府の「講武所砲術師範」となり、幕府の軍制改革に尽力しました。そして彼は日本の軍事近代化に大きく貢献しました。

2.「高島秋帆疑獄事件」と鳥居耀蔵

(1)「高島秋帆疑獄事件」とは

「高島秋帆疑獄事件」とは、1842年に鳥居耀蔵(とりいようぞう)が、高島秋帆に「密貿易や謀反の罪」を着せたとされる事件です。

高島秋帆は「長崎会所の長年にわたる杜撰な運営の責任者」として、長崎奉行に逮捕・投獄されました。

この事件は、「幕府から重用されつつ、『脇荷貿易』によって十万石の大名に匹敵する資金力を持つ高島秋帆を鳥居耀蔵が妬み、『密貿易をしている』と讒訴したため」というのがこの事件の通説です。

しかし、秋帆の逮捕・長崎会所の粛清は、会所経理の乱脈が銅座の精銅生産を阻害することを恐れた老中水野忠邦によって行われたとする説もあります。

(2)鳥居耀蔵とは

鳥居耀蔵(1796年~1873年)は、江戸時代の幕臣・旗本で、実父は大学頭を務めた儒学者の林述斎(1768年~1841年)です。任官して「甲斐守」と称しました。

25歳の時に鳥居成純の婿養子となり、11代将軍徳川家斉の側近として仕えました。やがて家斉が隠居して徳川家慶が12代将軍となり、老中の水野忠邦が「天保の改革」を始めると、目付や南町奉行として市中取締りを行って敏腕を振るい、「水野三羽烏」と呼ばれましたが、取締りの厳しさから「妖怪(耀甲斐)」と呼ばれて世人に怖れられました。

1837年の「大塩平八郎の乱」を処理したり、1839年には「蛮社の獄」で洋学を弾圧し、高島秋帆の西洋式砲術採用を批判したりしました。

鳥居耀蔵は、内外の危機への回避策を幕府専権で「守旧派」の立場から推進しようとし、高島秋帆らの「開明派」を弾圧しました。

1843年、鳥居耀蔵は水野忠邦を裏切って反対派に寝返ったため、「天保の改革」は頓挫し、水野忠邦は失脚しました。

しかし1844年に老中に再任された水野忠邦は、自分を裏切り改革を挫折させた鳥居を許さず、「職務怠慢と不正」を理由に解任し、禁固の処罰を下して讃岐国丸亀藩主預けとしました。

なお、彼は23年間讃岐国に幽閉されていましたが、明治維新後に放免となっています。

3.高島秋帆とよく似た名前の高階春帆は高槻の偉人

本論から外れますが、高島秋帆は全国的に有名ですが、よく似た名前の高階春帆(たかしなしゅんぱん)の方はまだまだ全国的には知名度が低いかもしれません。

幕末期の高槻藩士に有名な漢詩人の「藤井竹外」がいますが、高階春帆もその弟子で有名な漢詩人です。

私の故郷である高槻の偉人なので、ぜひ全国の皆さんにも知ってほしいと思います。


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