残念な天皇の話(その12)。四条天皇は自分が仕掛けたいたずらで転倒死!?

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四条天皇

日本の皇室(天皇家)は「世界最長の歴史を誇る王室」と言われており、古事記や日本書紀にある神武天皇が実在していたとすると、第126代の今上天皇まで皇室は2600年以上の歴史があることになります。

応神天皇5世の孫とされる第26代継体天皇(450年?~531年)が確実に実在した初代天皇だとしても、「世界最長の歴史を誇る王室」であることに変わりはありません。

このような天皇家の長い歴史の中では、暴虐の大君や暗愚な天皇、好色な天皇もいましたが、今回ご紹介する四条天皇のような間抜けな天皇もいます。

彼は「ほかの人を転倒させようとして自分が仕掛けた悪戯に、自分が引っかかって転倒」して亡くなりました。と言っても10歳の子供でしたから「いたずら盛り」「やんちゃ盛り」だったのかもしれません。

1.四条天皇とは

四条天皇(1231年~1242年、在位:1232年~1242年)は、第86代後堀河天皇(1212年~1234年、在位:1221年~1232年)の第一皇子で、母は中宮・九条竴子(九条道家の娘)です。

1232年に後堀河天皇の譲位に伴って満1歳で即位しています。院政を敷いたのは父の後堀河上皇ですが、2年後に亡くなります。その後は外祖父の九条道家でした。1241年に元服し、九条彦子を女御としましたが、「不慮の事故」により10歳で亡くなりました。

彼はある日、御所の廊下に「滑り石」という石をばら撒いて、近習の人々や女房たちを転ばせて楽しもうと考えました。

いたずら心に胸をワクワクさせていた彼でしたが、なんと自分が仕掛けた滑る床で自ら転び、頭部を強打して脳挫傷を起こし、亡くなりました。

「いたずらの代償」をあまりにも大きな形で払うことになったのです。

私は昔、公職選挙法の規制強化を発案した国会議員が同法違反第一号になったという話を高校の先生から聞いたことがありますが、それと似たような滑稽な話ではあります。

元法務大臣の河井克行氏が公職選挙法違反に問われたのも、皮肉な話で、そこまで法務大臣の質が落ちたのかと情けなくなります。

2.四条天皇の前後の時代背景

四条天皇家系図

四条天皇の突然の死は、「守貞親王の血統の断絶」を意味します。

第80代高倉天皇(1161年~1181年、在位:1168年~1180年)には三人の息子がいました。第81代安徳天皇(1178年~1185年、在位:1180年~1185年)、第82代後鳥羽天皇(1180年~1239年、在位:1183年~1198年)、守貞親王(1179年~1223年)の三人です。

しかし、安徳天皇はすでに平家一門とともに「壇ノ浦の戦い」で亡くなっていますので、残る血統は「承久の乱」(1221年)の首謀者である後鳥羽上皇につながる血統のみです。

守貞親王・後堀河上皇・四条天皇の三人は皆若くして亡くなっていますが、これは後鳥羽上皇による怨霊の仕業ではないかとの噂も広まったようです。

隠岐(おき)に配流された後鳥羽上皇は次のような「置文(おきぶみ)」を残していったと言われています。

「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」

そして、四条天皇の次に第88代天皇になった後嵯峨天皇(1220年~1272年、在位:1242年~1246年)は、「南北朝時代」を招く一因となった天皇です。



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