京都の六角通りに面した「瓢樹(ひょうき)」という料亭があります。ここは南禅寺・茶懐石の老舗「瓢亭(ひょうてい)」から暖簾分けされた由緒ある料亭で、建物は明治時代から大正時代にかけて活躍した四条派の日本画家今尾景年(いまおけいねん)(1845年~1924年)の旧宅で「登録有形文化財」に指定されています。
この料亭に一度行った時、通された座敷の扁額に「捉月」と書かれていたので、ご主人に由来を尋ねると、「今尾景年先生に揮毫してもらいました。『チャンスを逃さずに捉えよ』という励ましの言葉です」とのことでした。「月」と「ツキ」を掛けたわけです。
このように「チャンスを逃がさずに捉える」ことはなかなか難しいものですが、「機会」「チャンスを捉えること」にまつわる面白いことわざがいくつかありますのでご紹介します。
1.時に遇えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)
よい時機に巡り合う(時運に恵まれる)と、つまらない者でも出世して権勢を振るうようになるということです。
「時至れば蚯蚓も竜となる(ときいたればみみずもりゅうとなる)」も同様の意味です。
2.機は得難くして失い易し(きはえがたくしてうしないやすし)
良い機会、時機というものには、そう簡単に巡り合えるものではないということです。
「機会は得難くして失い易し」とも言います。
3.三年飛ばず鳴かず(さんねんとばずなかず)
将来、大いに活躍しようとしてじっと機会を待っているさま、久しく隠忍して他日に期すること、雄飛の機会を待って長い間雌伏することです。出典は「史記」です。
「三年鳴かず飛ばず(さんねんなかずとばず)」とも言います。
古代中国、斉の威王を諫めるために、淳于髠(じゅんうこん)がたとえ話をして、「王様の庭に大きな鳥がとまって、三年飛ばず鳴かずにいますが、あれは何という鳥か知っていますか?」と問うたところ、王は「この鳥はひとたび飛べば天に突き上がり、ひとたび鳴けば人を驚かすだろう」と答えて、自分の考えを示したという故事です。
4.千載一遇(せんざいいちぐう)
千年に一度しかめぐって来ないほどの素晴らしい状態、またそのようなまたとない機会のことです。
「千載」は「千歳」とも書き、千年、長い年月のことです。「一遇」は一度会うことです。
5.尺蠖の屈するは伸びんがため(せっかくのくっするはのびんがため)
尺取り虫(しゃくとりむし)が体を縮めるのは、次に体を伸ばして前進しようとするためであることから、将来大きく発展しようとする人間は、しばらく忍耐して時機を待つことも必要であるというたとえです。出典は「易経」です。
「尺蠖の屈(かが)むは伸びんがため」「尺取り虫の屈むはその伸びんがためなり」「蚯蚓(みみず)の身を縮むるもその身を伸べんがため」とも言います。
6.得難きは時、会い難きは友(えがたきはとき、あいがたきはとも)
良い機会はなかなか捉えがたく、良い友にはなかなか会えないものだということです。
7.奇貨居くべし(きかおくべし)
珍しい品物だから、今買っておけば後で利益になるだろうという意味、また得がたい機会だから、これを逸してはならないという意味です。「奇貨」は珍しい品物、めったにない機会などの意。出典は「史記」です。
古代中国の秦の国の相となった呂不韋(りょふい)がまだ若くて商売をしていた頃、秦の太子安国君の子の子楚が趙の国の人質となっていましたが、待遇が悪く不自由な生活をしているのを見て、子楚を商品になぞらえて言った言葉です。
子楚のために手を尽くした呂不韋は、後に即位した子楚に引きたてられたという故事です。
8.時は得難くして失い易し(ときはえがたくしてうしないやすし)
好機はなかなかめぐって来ないし、たとえ来たとしても、油断していると、すぐに取り逃がしてしまうことです。出典は「史記」です。
「時は失うべからず」も同様の意味です。
また、時間というものは二度とめぐって来ないものだから、わずかな時間でも大切にしなければならないということです。こちらの意味での出典は「淮南子(えなんじ)」です。
「一寸の光陰軽んずべからず」も同様の意味です。
9.物には時節(ものにはじせつ)
物事を行うには、それにちょうど適した時機があり、それを外しては成功しないということです。
また、時は刻々と過ぎ、来るべき時は必ず来るという意味でもあります。