日本語の面白い語源・由来(あ-⑦)商い・齷齪・合鴨・生憎・合口・赤字・当たり前・後釜

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商い

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.商い(あきない)

商い

商い」とは、売買すること、商売、売り上げのことです。

商いの古形は「あきなひ」で、動詞は「あきなふ」です。

商人を「あきひと」と言ったことから、「あきなふ」の語構成は「あき」と「なふ」であることがわかるります。

「なふ」は「おこなふ(行う)」や「おぎなふ(補う)」などの「なふ」と同じく、動詞をつくる接尾語です。

商いの語源は、農民の間で収穫物や織物などを交換する商業が、秋に行われたことから「秋なふ(秋なう)」から動詞「あきなふ」が生まれ、「あきない」になったとする説が定説となっています。
しかし、物を買い求めたり、何か別のものを代償としてに入れる意味の「購う・贖う(あがう・あがなう)」と同源とも考えられ、商いの語源は「秋」が正しいとは言い切れず、正確な語源は未詳です。

2.齷齪(あくせく)

あくせく

あくせく」とは、細かいことを気にして落ち着かないさま、目先のことにとらわれて気持ちがせかせかするさまのことです。

あくせくは、漢語「齷齪(あくさく)」の音変化した言葉です。

「あくさく」から「あくせく」の音変化は、「急く(せく)」からの類推と思われます。

漢語「齷齪」の本来の意味は、歯と歯の間が狭いことですが、そこから心の狭いさまを意味するようになり、さらに転じて、細かいことを気にして落ち着かないさまや、目先のことにとらわれ、せかせかするさまを表すようになりました。

3.合鴨(あいがも)

合鴨

合鴨」とは、カモ目カモ科の鳥で、野性のマガモとアオクビアヒルとの雑種です。肉を食用とするほか、狩猟のおとりに用いたり、田の雑草取りにも活用(合鴨農法、アイガモ除草法)されています。

合鴨は、鴨類のいない夏季にアヒルでは満足できず、より野性の味を求めてマガモとアヒルを掛け合わせて作られた雑種です。

間鴨」とも表記するように、合鴨はアヒルとマガモの間の鳥であることからこの名で、「合」は「合いの手」「合間」などと同じ「合」と考えられます。

マガモは冬の渡り鳥で、そのマガモのいない時期に代用にしたアヒルを、「合間の鴨」の意で古くは「合鴨」(または「間鴨」)と呼んでいたとの説もあります。

また、合鴨の異名には「ナキアヒル」のほか、「アヒルガモ」や「カモアヒル」があり、「アヒルガモ」から「アヒガモ」「アイガモ」と転じた可能性もあります

アイガモの旧カナは「アヒガモ」であるため、「アヒルガモ」が転じたとする説は考えられますが、「合」の旧かなも「アヒ」なので、旧カナだけで判断することはできません。

4.生憎(あいにく)

生憎の雨

あいにく」とは、期待や目的にそわず、都合の悪いさまのことです。

生憎の「生」は当て字で、「」は「憎らしい」の意味です。本来の語形は「あやにく」で、近世以後に「あいにく」となりました

「あや」は「ああ」や「あら」などと同じ感動詞。「にく」は形容詞「憎し(にくし)」の語幹です。つまり、生憎は「ああ憎らしい」という意味でした

それが、憎らしい感情を抱かせるような事態を表すようになり、「あいにくの雨だ」など不都合が生じて残念なさまをい言うようになりました。

また、「お生憎様(おあいにくさま)」など不都合によって相手の期待に添えないことを思いやったり、相手を慰める意味でも用いられるようになりました。

5.合口/匕首(あいくち)

匕首

合口」とは、つばのない短刀のことです。「九寸五分(くすんごぶ)」「懐刀」「ドス」「匕首(ひしゅ)」とも言います。

この刀には鍔(つば)がなく、柄と鞘の口がぴったり合うように作られていることから、「合う口」の意味で「合口」と呼ばれるようになりました。

あいくちの漢字表記には、「合口」の他に「匕首」もあります。
これは、頭が匙に似た中国の短剣の「匕首(ひしゅ)」の借字で、「合口」とは別物であるため、この漢字に深い意味はありません。

6.赤字(あかじ)

赤字

赤字」とは、支出が収入を上回ること、欠損のことです。

赤字は、簿記で不足額・欠損額を記入する際、赤色で書き入れることから、欠損を言うようになりました。「赤字」を略して、「赤」とも言います。

この語が使われ始めた時代は定かではありませんが、広く使われるようになったのは、大正から昭和初期にかけてです。

7.当たり前(あたりまえ)

当たり前

当たり前」とは、当然なこと、そうあるべきことです。

当たり前の語源には、二通りの説があります。

ひとつは、「当然」の当て字「当前」が広まり、訓読され「あたりまえ」になったとする説です。

もうひとつは、分配される分を意味する「分け前」、取り分を意味する「取り前」などと同じく、漁や狩りなどの共同作業では一人当たりに分配される取り分を「当たり前」と言い、それを受け取るのは当然の権利であることから、「当然」の意味を持つようになったとする説です。

8.後釜(あとがま)

後釜

後釜」とは、前任者が退いた後、その地位に就く人(また、その地位)のことです。後任者。後妻。後添い。

後釜は、かまどの残り火が消えないうちに、次の釜をかけることをいった語です。
そこから、前任者が退いた後、すぐ代わる人のことを言うようになりました。

特に、退く前から次を考えている意味が強く、悪いイメージで用いられることが多いようです。

「後釜に座る」という表現は、「地位」を表す言葉に「イス」や「座」があるためで、当たり前の話ですが、火の点いたかまどの釜に座ったら火傷をします。

なお「あとがまえ(後構え)」の略で「後釜」は当て字とする説もあります。