藤原忯子とは?花山天皇の女御で、寵愛を受けて懐妊するも17歳で急逝し、天皇出家の引き金となった!

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藤原よし子

2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。

2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年の「鎌倉殿の13人」、2023年の「どうする家康」と力作・話題作が続くNHK大河ドラマですが、2024年の「光る君へ」も楽しみですね。

なお「源氏物語」と紫式部については「紫式部はなぜ源氏物語を書いたのか?藤原道長との不倫の真相は?」「紫式部とは?NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公の生涯と人物像に迫る。」という記事に、また光源氏のモデルとされる8人については、「光源氏のモデル・源 融とは?イケメンで光源氏のモデルの最有力候補。」など8回に分けて記事に書いていますので、ぜひご覧ください。

前に次のような記事を書きました。

藤原頼忠とは?天皇と外戚関係がないのが弱味。娘の遵子は素腹の后と揶揄された!

藤原穆子とは?藤原道長の才能を見抜き、夫の反対を押し切って娘の倫子と道長の結婚を認めた!

源雅信とは?娘の倫子が道長の正室となるが、最初は出世が望み薄と猛反対した!

源俊賢とは?藤原道長に接近し摂関政治を支えた能吏で、一条朝の四納言の一人。

藤原行成とは?一条天皇と道長に頼られた実務能力抜群の公卿で、「三蹟の一人」の能書家!

藤原斉信とは?道長が出世し始めると変わり身の早さを見せ、腹心としての地位を築いた!

藤原文範とは?まひろ(紫式部)の母方の曽祖父で、大雲寺を創建した公卿。

藤原実資とは?小野宮流の祖で、道長の「この世をば」の歌を後世に広めた秀才官僚!

藤原顕光とは?無能者扱いされたが、死後は怨霊「悪霊左府」として藤原道長一族から恐れられた!

平惟仲とは?地方出身ながら勉学で磨いた才覚を武器に中央政界を渡り歩き、従二位・中納言にまで昇り詰めた!

源明子とは?藤原道長の妾妻で、嫡妻の源倫子に対して鬱屈した気持ちがあった!

藤原義懐とは?花山天皇の叔父として出世するも、一夜で権力を失い出家した!

藤原為光とは?花山天皇の女御となった忯子の父で、娘の早すぎる死を悼んで法住寺を建立!

源重信とは?恋愛は不得手だが、愛敬があり人懐っこい性格。平等院は元は彼の別荘だった!

藤原忯子とは?花山天皇の女御で、寵愛を受けて懐妊するも17歳で急逝し、天皇出家の引き金となった!

藤原遵子とは?円融天皇の皇后だが、子がないため「素腹の后」と呼ばれた!

藤原道兼とは?容貌醜く、剛腹で片意地・偏執的な性格で、花山天皇を欺き出家・退位させた!

藤原公任とは?「三舟の才」の誉れを得た多才博識を誇るが、道長全盛期には道長に迎合。

円融天皇とは?藤原氏の内紛に翻弄され、26歳で退位した中継ぎの天皇だが「院政」を意識していた!?

ところで、藤原忯子は紫式部とどのような関わりがあり、どんな人物だったのかも気になりますよね。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、井上咲楽(いのうえ さくら)さんが演じます。

そこで今回は、藤原忯子の生涯と人物像に迫ってみたいと思います。

1.藤原忯子とは

藤原 忯子(ふじわら の しし/よしこ)(969年~985年)は、藤原為光の娘で、母は藤原敦敏の娘です。

花山天皇の女御(にょうご)となり、「弘徽殿(こきでんの)女御」と呼ばれました。

2.藤原忯子の生涯

永観2年(984年)に16歳で入内花山天皇から深い寵愛を受け懐妊しましたが、寛和元年(985年)7月18日に17歳で急逝しました。贈従四位上。

天皇はその死を嘆き悲しむあまり、藤原兼家・道兼らの謀略にかかって出家・退位しました。

花山天皇・月岡芳年

3.藤原忯子の人物像

忯子と書いて「よしこ」または「しし」と読みますが、忯という漢字には「慈しみ・愛する」「敬い・謹む」「頼みにする」などの意味があります。

きっと愛情深く折り目正しい女性に成長するよう、両親が願って名付けたものと思われます。

美しく成長した藤原忯子は永観2年(984年)、花山天皇に見初められて女御(天皇の妻で、皇后・中宮に次ぐ地位)となりました。

内裏に迎えられた藤原忯子は、後宮七殿五舎の最高格にあたる弘徽殿(こきでん)に住んだため、弘徽殿の女御と呼ばれるようになりました。よほど可愛らしく魅力的な女性だったため大切にされたのでしょう。

やがて花山天皇の皇子を身籠った藤原忯子。当時の貴族たちにとって、娘を皇室に嫁がせて皇子を産んでもらうのは出世の足がかりですから、父・為光は天にも昇る心地だったことでしょう。

しかしその幸せは長く続かず、寛和元年(985年)7月18日に急死。お腹の皇子と共に世を去ってしまったのでした。享年17。

花山天皇は彼女の死を深く嘆き悲しみ、やがて寛和2年(986年)6月23日の出家に至ったと『栄花物語』や『大鏡』は伝えています。

なお、その他の登場人物については「NHK大河ドラマ「光る君へ」の主な登場人物・キャストと相関関係をわかりやすく紹介」に書いていますのでぜひご覧ください。