日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.六日の菖蒲(むいかのあやめ)
「六日の菖蒲」とは、「時機遅れで役に立たないこと」です。六日のしょうぶ。のちのあやめ。十日の菊。
六日の菖蒲の「六日」は、端午の節句(5月5日)の翌日のことです。
端午の節句は別名「菖蒲の節句」と言い、菖蒲を浸した酒を飲んだり、厄除けに菖蒲を飾ったり、菖蒲湯に入るなどします。
その翌日に菖蒲を準備しても遅いことから、時機を逃して役に立たないことのたとえとして、「六日の菖蒲」と言うようになりました。
ここで言う「菖蒲(あやめ)」は、アヤメ科のアヤメのことではなく、ショウブ科(サトイモ科)のショウブのことです。
「十日の菊」と合わせて、「六日の菖蒲、十日の菊」とも言います。
2.息子(むすこ)
「息子」とは、「親子関係における男の子。子息。せがれ。娘の対」です。
息子の「むす」は、「むすめ」の「むす」と同語源で、「生じる」「発生する」「生まれる」などを意味する「生す・産す(むす)」です。
息子の「こ」は、「め(女)」に対して「男」を示す「こ」です。
「むすこ」と「むすめ」が対になる関係は、「をと」から「おとこ」「おとめ」が生じたことと似ています。
1798年の『古事記伝』に「牟須古と云ふ称、古辞書には見えざれども」とあるように、上代の辞書類に「むすめ」の語は記されていますが、「むすこ」の語は記されていません。
3.娘(むすめ)
「娘」とは、「親子関係における女の子。未婚の若い女性。息子の対」です。
娘の「むす」は、「生じる」「発生する」「生まれる」などを意味する「生す・産す(むす)」です。
この「むす」は、国歌『君が代』の歌詞「苔のむすまで」の「むす」と同じです。
娘の「め」は、「女(め)」の意味です。
1798年の『古事記伝』には、「男は牟須古(むすこ)、女は牟須売(むすめ)」と訓むべし」とあります。
4.婿(むこ)
「婿」とは、「娘の夫。夫。新婚の男性。嫁の対」です。
婿の語源には、娘の夫として家に迎える意味から、「迎子(むかふこ)」とする説。
反対に、「向子(むかこ)」「向ふ子(むかふこ)」など、息子の親の立場から見て、他家に向かう子とする説があります。
「婿」は迎え入れる側が多く用いる言葉なので、「迎子」の説の方が有力といえます。
その他、婿の語源には、実の子のように睦まじいという意味から、「むつまじこ」が略され「むこ」になったとする説もありますが、かなり苦しい説です。
5.向こう脛(むこうずね)
「向こう脛」とは、「脛(すね)の前面」のことです。弁慶の泣き所。
脛は一般的に膝からくるぶしまでの前面部分をいいますが、本来は後方のふくらはぎも含むことから、前面の意味で「向こう」が付けられて「向こう脛」となりました。
「向こう」は相手側や反対側、自分から離れた前方を意味する言葉ですが、向こう脛の「向こう」は用法が異なり、対面する相手に向かって正面・前面の意味です。
同じ用法の言葉には、上の前歯をいう「向こう歯」「向か歯(むかば)」があります。
古く「すね」は「はぎ」と言ったため、向こう脛は「むかはぎ(向か脛)」と呼ばれていました。「向こう脛」の語が見られるのも古く、室町時代からです。
6.無尽蔵(むじんぞう)
「無尽蔵」とは、「いくら取っても無くならないこと。また、そのさま」です。
無尽蔵は、本来、無限の功徳を有することを、尽きることのない財宝を納める蔵にたとえた仏教用語でした。
それとは別に、飢饉の貧民救済にあてたり、しのぎの資金を提供するために金銭を蓄えた寺の金融機関が生まれ、利息を得て寺の伽藍の修復資金にも使われました。
たとえとしていた蔵が現実のものとなり、その金融機関を「無尽蔵」と呼ぶようになりました。
そこから、「無尽蔵」の語は一般にも広まり、いくら取っても無くならないことを表すようになりました。
無尽蔵の金融機関は、構成員が一定の期日に一定額の掛け金を出し、クジや入札で決めた当選者に給付する「無尽講(むじんこう)」や「頼母子講(たのもしこう)」と呼ばれる民間の互助組織に発展しました。
このような講の仕組みは「無尽」とも言い、無尽を営業とする会社「無尽会社」にもなりましたが、昭和26年(1951年)に施行された相互銀行法によって、ほとんどが「相互銀行」へ転換しました。
7.百足(むかで)
「ムカデ」とは、「節足動物唇脚綱のうちゲジ類を除いたものの総称」です。
ムカデの語源は、「百手(ももがて)」「百数多手(ももいかて)」など漢字の「百足」に近い説や、手が向かい合ったように生えていることから「向手(むかいで)」や「対手(むかふて)」が転じたなど諸説あります。
その他、「ム」が「六」、「ガ」が「五十嵐」などの「十」、「デ」が「手」で「六十手(むかで・むがて)」といった説もあります。
しかし、大雑把に数の多さを表す場合、「六」という数字は使われにくいため、「六十手」という漢字が用いられていたとしても当て字と考えられます。
漢字の「百足」は中国語表記で、日本に「ムカデ」という語があり、その当て字として用いたものです。
英語では「centipede」と言い、その語源もラテン語で「百本の足」という意味に由来します。
ムカデの足は実際に何本あるかですが、ひとつの体節に一対の足(本数では2倍になる)をもっているため、体節の数によって異なります。
体節が少ないものは十数節程度で、多いものでは170節以上の体節をもつため、百本にまったく届かないムカデもいれば、百本を大幅に超えるムカデも存在することになります。
「百足」は夏の季語です。