1.「野人暦日なし」(やじんれきじつなし)
サラリーマンを完全リタイアした翌日から何日間かは、長年の習慣で朝早く目が覚めました。あわてて飛び起きようとして、ハタと気がつく。
(そうだ、俺にはもはや行くべき勤め先がなくなっていたんだっけ・・・)
そこで私は安心し、同時に落胆して、再び心地よい朝の眠り(二度寝)に入る。こうして私には日曜も、休日も、平日もない「毎日が日曜日」「サンデー毎日」になってしまった・・・
というのが「野人暦日なし」です。
一般には「田舎に住み、自然を楽しむ人は、月日が経つのも知らずに過ごしてしまう」という意味で使われています。
2.「野人暦日なし」の由来
南宋の詩人陸游の「鳥啼」と題する詩の次の部分に由来しています。
「野人暦日なし 鳥啼(な)きて四時を知る」
この場合の「野人」は、田舎に住んでいて世事に関係しない者という意味ですが、もっと広く「在野の士」などに使われる宮仕えの身でない人、つまり勤めを持たない人と解釈した方が今日的です。
「暦日」とは、「こよみで定められた一日」、また「一日一日の月日の経過」のことです。
「四時(しじ/しいじ)」とは、「一年の四つの季節、春夏秋冬の総称。四季」、また「一カ月中の四つの時、晦(かい)・朔(さく)・弦・望」のことです。さらに「一日中の4回の座禅の時」の意味もあります。黄昏(こうこん)(午後8時)・後夜(ごや)(午前4時)・早晨(そうじん)(午前8時)・哺時(ほじ)(午後4時)を指します。
3.「陸游」とは
陸游(りくゆう)(1125年~1210年)は、南宋の詩人です。南宋の代表的詩人で「南宋四大家」の一人です。多作で現存する詩が9200もあります。
彼は北方の女真族王朝・金に対して熱烈な抗戦論を唱えた憂国詩人であるとともに、自然や田園生活を細やかな愛情をもってうたった田園詩人でもありました。
29歳の時、「科挙」の第一段階の「解試」に首席で合格しましたが、運悪く宰相の孫を抜いたため、中央試験である省試において横やりが入って不合格にされる妨害を受けました。そのため、エリートとしての出世の道を閉ざされてしまいます。
この宰相の死後、34歳で官界に入りましたが、中央の微官と地方官を転々として終わりました。しかも、要路の人を批判しては幾度も免職にあい、官職にあったのは通算しても20年ほどしかありませんでした。
73歳で官界を引退して冒頭の詩を作りました。