「ラテン語」は「死語」だが今でも日本で使われているラテン語がある!

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カエサル・ラテン語入り

前に「使われなくなった言葉」としての「死語」の記事を書きましたが、今回は「(一般に)使われなくなった言語」としての「ラテン語」にまつわる思い出話をご紹介します。

私は、大学1年の時、向学心に燃えていたのか、貪欲に多くの科目を履修しました。その中の一つに「ラテン語」があります。

その頃、漠然と「学者」になる夢を持っていて、「第二外国語」のドイツ語以外に、法律書などの専門書によく出てくる「ラテン語」も知っておく必要があるのではないか、と思い履修届を出した訳です。昆虫図鑑や植物図鑑の「学名」もラテン語で書かれていました。

第一日目の授業で、まず驚いたのは受講者数の少なさです。50人くらい入れる普通の広さの教室にたった3~4人しかいないのです。何だか寒々しい感じです。

そして、「文法」の説明が始まりましたが、私の心はもうラテン語から離れていました。今、英語に加えて第二外国語のドイツ語も習い始めた中で、「第三外国語」として「死語」のラテン語を勉強するのは「手張り過ぎ」で無理だと感じたのです。それで、先生には申し訳ないことですが、1回の受講だけで断念しました。

その後、「ラテン語講座」が存続したのか、「廃講」になったのか定かではありません。その助教授には酷な話ですが、なぜ今日、日常的には使われない言語を専攻して学者になったのでしょうか?競争相手の少ない「ニッチ」な学問分野を狙ったのかも知れません。

しかし、講座がなくなれば、その大学での職を失うリスクがあります。別の外国語(ドイツ語・フランス語・中国語・スペイン語など)の教授・助教授・講師は沢山いますので、その補充要員で入る余地はあまりありません。「外国語大学」へ転職されたのかも知れません。

何だか「滅びゆく伝統工芸の最後の職人」のようなペーソスを感じる話です。

ところで、この「ラテン語」は日常の言葉として使用されることはほとんどありませんが、バチカン市国では、今でも「公用語」として使用されています。

トマス・モアの「ユートピア」、エラスムスの「痴愚神礼讃」、デカルトの「方法序説」、ニュートンの「プリンキピア」などは、ラテン語で書かれた書物です。16~17世紀頃までは、ラテン語で自由に著述できる学者がいたということですね。森鴎外の小説「ヰタ・セクスアリス」はラテン語のタイトルです。

欧米諸国では、第二次世界大戦前までは、ラテン語は必修科目だったそうです。日本の高校における古文・漢文のような感じでしょうか?

現代の日本でも使われているラテン語としては、「ウィルス」(virus)、「アド・リブ」(ad lib)、「エト・セトラ」(et cetera)、「エゴ」(ego)、「プリウス」(prius)などがあります。「プリウス」はトヨタの車の名前として有名ですが、「~に先立って、先駆け」という意味です。

話は全く変わりますが、私の好きな女子アナウンサーの一人で、TBSの「あさチャン」のMCを務める夏目三久さんは、東京外国語大学の「ベトナム語専攻」だったそうです。高校時代は英語弁論大会で優勝するなど英語も堪能なようですが、フランス語やドイツ語、中国語、スペイン語などメジャーな外国語でない「ベトナム語」をなぜ専攻したのか、一度聞いてみたいものです。

将来的にベトナムが有望と考えたのでしょうか?それとも、競争相手が少ないマイナーな外国語だから、「通訳」などのニーズも多いと考えたのでしょうか?多分ベトナムでもフランス語か英語で通じるはずですが・・・

私は、こうして、「第三外国語」のラテン語の「落伍者」となった訳ですが、その代わり「落語」に熱中しました。他の多くの人は「中国語愛好会(麻雀)」に熱中していたようですが・・・