「聖書」と「資本論」は「必読書」。ただし旧統一教会のようなインチキ宗教は要注意。

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モーゼ

<2023/5/11追記>旧統一教会は正体を隠しサークル活動を装って若者を勧誘したカルト集団

旧統一教会・勝共連合が自民党政治家や右翼団体に接近できた巧妙な戦術とは?」という記事にも書きましたが、旧統一教会は正体を隠して「聖書に興味はありませんか」とサークル活動を装って勧誘を繰り返し、学生たちを「原理研究会」に引きずり込みました。

信者は、統一教会の活動を続けなければ自分は地獄に堕ち、親も死んで地獄に堕ち、先祖もみんな地獄に堕ちて苦しんで二度と這い上がることはできない、と教え込まれているのです。

自分は磔になったイエスの心をもって捨て石となり、「氏族メシア」として親も含めた氏族全員を救わなければならないと信じ込まされています。ですから、親に会いたくないとか親を否定するのではなく、親を救うために、親から隠れて活動を継続します。親も子に会えずに苦しみますが、子も苦しみながら姿を隠すというなんとも非人道的で不条理な話です。

旧統一教会には、かつて植民地支配で韓国を苦しめた日本は悪を代表する「エバ国家」で、韓国は正義を代表する「アダム国家」であり、日本は韓国に貢ぐことが使命だ、というとんでもない教えがあります。

これは、GHQによる日本人洗脳プログラム「WGIP」によって「自虐史観」を刷り込まれた多くの日本人の思考回路を悪用したものです。

その結果、日本の信者は、完全に旧統一教会の金ヅル」状態になっています。

欧米人の考え方を知る上で、「聖書」は必読書とも言えますが、このようなインチキ宗教に騙されないようにしなければならないと私は思います。

<2021/9/15追記>マルクスの末娘の激動の半生を描いた映画「ミス・マルクス」が話題に

19世紀を代表する哲学者、経済学者カール・マルクスの末娘エリノア・マルクスの半生を描いた映画『ミス・マルクス』が9月上旬より公開され、話題となっています。

彼女は女性や子どもたち、労働者の権利向上のため生涯を捧げ、43歳の若さでこの世を去った女性活動家です。

映画『ミス・マルクス』予告編/9月上旬公開

またコロナ禍の影響で貧富の格差が広がっていることもあり、「資本論」に再び注目が集まっているそうです。

1.「聖書と資本論は必読書」との教え

私が大学一年の時、論理学の教授から、「聖書と資本論は必読書です。これから西洋の書物を読む時に、よく出て来るので、夏休みにぜひ読んでおくこと」という話を聞きました。これは、その教授が大学生の時に、指導教官から言われた話だそうです。その当時は終戦後間もない頃で、戦前・戦中は非合法とされた共産党が合法化され、マルクス主義思想が盛んに宣伝されていた時代だと思います。読売新聞社長の渡邉恒雄氏やセゾングループ総帥の堤清二氏のように、後に財界人になった人の中にも、大学在学中に共産党に入党した人が何人かいますし、マルクス経済学も人気がありました。

2.資本論を読んでみた

「資本論が必読書」という話は、私が大学一年の頃(1968年ころ)には、時代遅れのような気がしましたが、聖書については、現在でも確かに西洋文明の底流にあるように感じました。

しかし、教授の教え通り、資本論3巻と、旧約聖書と新約聖書を買って、夏休みに読んでみました。資本論は、恥ずかしながら内容がほとんど理解できませんでした。マルクスが執筆した当時のイギリスの工場労働者の悲惨な状況の記述などは印象に残っていますが、これは利潤のみを追求する資本家階級と劣悪な環境のもとで搾取される労働者階級との対立の構図をわかりやすくするための記述だったのかも知れません。

ちなみに資本論第1部が刊行されたのは1867年、明治維新の1年前です。明治時代の政治学者加藤弘之は1870年に出版した「真政大意」の中で、いち早く「共産主義、社会主義」を「コミュニスメ、ソシアリスメ」という言葉で紹介し、「治安上、最も害のある制度である」と説いています。

3.聖書(旧約聖書と新約聖書)も読んでみた

「旧約聖書」は、ユダヤ教の聖典であるタナハをもとに書かれたキリスト教の正典です。創世記(天地創造と部族長の物語)は、「楽園のアダムとイヴ」「カインとアベルの兄弟の話」「ノアの箱舟」「バベルの塔」など馴染み深い話が沢山あります。「出エジプト記」ではイスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指して40年間シナイ半島を放浪したり、モーゼが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し、追跡するエジプト軍から逃れるために、海を二つに割ってその間を通って行く話などは有名で、興味深いものでした。

「新約聖書」は、イエス・キリストが登場する話です。「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」が有名ですね。

「旧約聖書」は、ユダヤ教の教典であるとともにとキリスト教の教典でもあります。一方「新約聖書」は、キリスト教だけの教典です。

「旧約聖書」は預言者「モーゼの十戒」を神との契約としています。「新約聖書」は預言者ではないイエス・キリスト、彼は神の子としてこの世に遣わされたとされ、イエス・キリストの教えを信じる人だけが神との「新たな契約」を結べるとしています。この「新たな契約」が「新約」ということです。

4.読み通すことに意義があり、理解は二の次

どちらの本も大部であり、特に資本論は難解な部分が多くて、十分理解したとは言えません。内容も、今ではほとんど忘れてしまいました。オリンピックの「参加することに意義があり、勝負は二の次」ではありませんが、「読み通すことに意義があり、理解は二の次」と勝手に自分で決めて、何とか読了はしました。

今の時代に「資本論」がそれほど西洋の人々を理解する上で重要だとは思いません。しかし「聖書」の方は、心底信じているかどうかは別にして、今でも広く欧米の人々を理解する上では重要なものだと思います。

5.日本人は無宗教の人が多いが欧米や中近東諸国では宗教の存在が今でも大きい

最近、アメリカの中間選挙で、「福音派」の80%がトランプ大統領を支持しており、福音派指導者が積極的に共和党を支持する選挙運動を展開しているというニュースがありました。

「福音派」というのは、「聖書の記述を忠実に守り、伝道を重視し、積極的に行動すること」を旨とし、妊娠中絶反対などの保守的な価値観や「親イスラエル」で知られるプロテスタント派の一つで、アメリカの宗教別人口の4分の1を占めています。改めて「聖書」が欧米人に大きな影響力を持っていることを実感しました。

日本人が先祖代々「浄土真宗」とか「日蓮宗」「曹洞宗」などの「仏教徒」が多いとは言っても、個々の人を見れば、心底仏教を信心している人は少ないと思います。我々の両親や祖父母の時代はともかく、団塊世代の私などは、「念仏による極楽往生」など全く信じられませんし、今の仏教は「葬式仏教」と割り切っている不信心者です。若い人の場合は、その割合はもっと多いことでしょう。

「宗教」「宗派」の対立は厄介なもので、日本でも「織田信長対比叡山延暦寺」とか「織田信長対石山本願寺」「東西本願寺の対立」のような例もあります。イスラエルとパレスチナは今も敵対状態です。中近東は「民族」間の対立に加えて「宗派」間の対立も加わって、絶えず内紛が起きているように見えます。

最後は、又とりとめもない話になってしまいましたが、資本論や聖書を読破したり長い小説を読破したりすることは、高い山を一つ一つ征服して行く登山と同様に、それぞれの人生に達成感というか何らかの果実をもたらすものだと信じています。