「日日是好日」(日々是好日)という言葉は、一行書の掛け軸にもよくありますし、エッセーなどでもよく出てきます。高校卒業の時のクラスの寄せ書きに、これを書いた級友もいました。
「ひびこれこうじつ」と読む人が多いようですが、禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされています。「ひびこれこうにち」、「ひびこれよきひ」とする例もあります。
1.「日日是好日」(日々是好日)とは
日日是好日(にちにちこれこうにち、にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。もともとは、唐末の禅僧雲門文偃の言葉とされ、『雲門広録』巻中をが出典とされていますが、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られます。
挙。雲門垂語云。十五日已前不問汝、十五日已後道将一句来。自代云。日日是好日。
現代語訳は次の通りです。
雲門文偃は、かつて『ここまでの15日間のことはお前に問わないが、これからの15日間をどうするか一言で言ってみよ』と問い、それに自ら答えて『毎日が良い日だ』と述べたというが、これはどういうことか。
日々是好日、雲門日日是好日、雲門日々是好日、雲門好日、雲門十五日と表記されることもあります。
2.「日日是好日」の解釈
「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味です。
そこから、「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」という解釈や、さらに進んで、「そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切だ」、あるいは、「あるがままを良しとして受け入れるべきだ」「毎日を有難く生きていくべきだ」などの解釈がなされています。
「大安吉日」などと一般に言われるように、今でも「六曜」を気にする人がいますが、仏教ではもともとこのような考え方は取っていません。
涅槃経に「如来の法のなかに吉日・良辰をえらぶことなし」(仏の教えに日の善悪を選ぶことはない)とあります。
親鸞も「かなしきかなや道俗(どうぞく)の 良時吉日(りょうじきちじつ)えらばしめ」(悲しいことよ。僧侶も在家の者も、日の善し悪しを論じている)と述べています。
3.映画「日日是好日」
映画「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月13日公開の日本の映画作品です。「季節のように生きる」というキャッチコピーが印象的です。
監督・脚本は「さよなら渓谷」「まほろ駅前多田便利軒」などの大森立嗣。主役の典子役を黒木華、典子が通う茶道教室の先生役を樹木希林、典子と一緒に茶道教室へ通う従姉役を多部未華子が演じました。
エッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を、黒木華主演、樹木希林、多部未華子の共演で映画化したものです。
あらすじは次のようなものです。
「本当にやりたいこと」を見つけられず大学生活を送っていた20歳の典子は、タダモノではないと噂の「武田のおばさん」が茶道教室の先生であることを聞かされる。母からお茶を習うことを勧められた典子は気のない返事をしていたが、お茶を習うことに乗り気になったいとこの美智子に誘われるがまま、流されるように茶道教室に通い出す。
見たことも聞いたこともない「決まりごと」だらけのお茶の世界に触れた典子は、それから20数年にわたり武田先生の下に通うこととなり、就職、失恋、大切な人の死などを経験し、お茶や人生における大事なことに気がついていく。