前に「間違いやすい日本語」「間違いやすい慣用句」の記事を書きましたが、今回は「間違いやすいことわざ」をいくつかご紹介します。
(1)「枯れ木も山の賑わい」
「枯れ木のようにつまらないものでも、あるだけマシであること」です。
「枯れ木のようにつまらないものでも、集まれば賑やかになること」というのは間違いです。
(2)「情けは人の為ならず」
「情けをかけるのは人のためではなく、回りまわって自分のためになるということ」です。
「情けをかけると、その人のためにならない」という意味ではありません。
(3)「他山の石」
「他人のどんな言動でも、たとえそれが誤っていたり劣っていたりした場合でも、自分の知徳を磨いたり反省の材料とすることができる」というたとえです。
「お手本にすべき他人の良い行動」という意味ではありません。
詩経に「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに由来します。「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味です。
(4)「袖振り合うも他生の縁」
「他人と袖が振り合う程度のことでも、前世からの因縁があるということ」です。
「他人と袖が振り合う程度のことでも、その人と縁があるということなので、その縁を大切にしなければならない」という意味ではありません。
なお、「袖触れ合うも多少の縁」と言うのは間違いです。
(5)「瓢箪から駒が出る」
「冗談半分で言ったことが実現すること」あるいは「思いもよらないことが現実になる」という意味です。「駒」は「将棋の駒」ではなく「馬」のことです。次のような中国の伝説が由来です。
昔、中国の仙人「帳果老」が各地を白馬に乗り放浪していた時のこと、旅の疲れを癒すため休憩しようとして、大きな馬の存在に困り果て、馬を小さな瓢箪の中に入れてしまったという話です。そして、旅を再開する時、また大きな馬を小さな瓢箪から出したということです。
(6)「馬子(まご)にも衣裳」
「どのような人物でも、きちんとした衣装を着せればそれなりに良く見えること」です。
「孫には何を着せてもかわいい」という意味ではありません。
(7)「味噌を付ける」
「失敗して恥をかくこと」「しくじって面目を失うこと」です。
「器などに味噌が付着していると見苦しい」という意味ではありません。
このことわざの由来には、二つの説があります。
①職人は失敗すると火傷(やけど)を負うことがあり、そのたびに味噌を付けていたことから
②かんざし職人は火を使う職業であり、火傷をして味噌を付けているような職人のかんざしは評判が悪いことから
(8)「田舎の学問より京の昼寝」
「田舎にいて勉学するよりも、都にいて昼寝している方がまさっている」ということで、「都では自然と見聞を広めることができる」という意味です。
「東京の大学に入れば、授業中に居眠りしていても、地方の大学で勉強するよりずっと良い」という意味ではありません。
「学問的な環境に恵まれていない田舎で一生懸命勉強しても、到達する水準はたかが知れている。それよりも京都のように文化的な刺激が多い都会にいれば、怠けていても自然に知識が身につくので有利だ」という解説もあります。
ただし、このことわざは京や江戸(および長崎)が先進的な学問・文化の中心地で、田舎ではそのような学問ができなかった江戸時代以前に通用した話です。
インターネットの発達した現代は様子が違っていて、田舎でも十分に先進的なことが学べますし、都会にいると無用な誘惑や刺激が多すぎて、かえって勉学の妨げになるのではないかと思います。
また、現代という「時代」や「社会」を見る場合でも、都会の真ん中にいるよりも、田舎のような離れた所から見るほうが真実を見極めやすいように感じます。