1.子ほめ
古典落語に「子ほめ」という噺があります。
タダ酒が飲めるという噂を聞いた「八五郎」が、「ご隠居」を訪ねて来て、いきなり「ただの酒を呑ませてくれ」と言ってご隠居をびっくりさせます。これは「灘の酒」の聞き間違いだったのです。
そこで、ご隠居は「損をしたくなかったら、言葉遣いを直せ。」と忠告します。道で知人に会ったら相手に年齢を尋ね、相手が答えたら「それより若く見える」とおだてたら、酒の一杯ぐらい奢ってもらえるのではないか。たとえば50歳近くなら「どう見ても厄そこそこ」、つまり40歳過ぎにしか見えないと言う。
しかし、そう都合よく年配者が通りかからない。たまたま仲間の竹に赤ん坊が生まれたので、祝いに行けば酒を奢ってもらえると考えた八五郎は、再びご隠居の所へ行き、赤ん坊のほめ方を尋ねる。
するとご隠居は、「顔をよく見て人相をほめ、親を喜ばせるとよい」と忠告します。たとえば、「このお子様は、おじい様に似てご長命の相でいらっしゃる。栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳しく、蛇(じゃ)は寸にしてその気を表すと申します。私も早くこんなお子様にあやかりたい」とでも言えばよい。
さっそく竹の家に行きますが、いざほめようとすると言葉がうろ覚えで思い出せない。
「おじいさまに長命丸を飲ませましたな。洗濯は一晩では乾かず、ジャワスマトラは南方だ」
最後の手段で、年齢を尋ねると、竹は「(数え年で)一つ」と言うので、「一つにしちゃあ大変お若い。どう見てもタダだ」
2.牛ほめ(家ほめ)
古典落語に「牛ほめ」の話があります。
頓珍漢な言動ばかりの「与太郎」に頭を抱えた父親が、たまたま最近兄の「佐兵衛」が家を新築したので「家のほめ方」を教えてやろうとします。
「結構なご普請でございます。普請は総体檜(ひのき)造りで、天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)。左右の壁は砂摺りで、畳は備後の五分縁でございますね。お床も結構。お軸も結構。庭は総体御影造りでございます。」
台所の柱の節穴を見つけたら「この穴の上に秋葉様のお札をお張りになったら、穴が隠れて火の用心になります。」
伯父さんが飼っている牛を見つけたら「この牛は、天角地眼一黒直頭耳小歯違でございます。」と言うんだ。
与太郎は、父親から練習を指示されます。そんなことでお金になるならと、練習しようとしますが、あやふやで「フニャ、結構な・・・ゴ・・・ご普請でございますね。普請は総体ヘノキ造りで、天井は薩摩芋にうずら豆。佐兵衛のカカァはおひきずり、畳は貧乏のボロボロで・・・」とガタガタです。
3.お世辞は必ず効果がある
上の二題の落語のご隠居や父親のように立て板に水の「お世辞」は「巧言令色少なし仁」というか、心の底からそう思っていないことが見え透いたお世辞です。
ただ、そうかと言って、八五郎や与太郎のように、「一知半解」の生半可・生かじりのお世辞を言ったでは、何もかもぶち壊しになります。
しかし、真心を込めて相手をほめれば、たとえ口下手でも必ず通じるものです。私が中学生の時にある先生から、「お世辞は下手でも必ず7割の効果がある」と聞いたことがあります。
もともと「お世辞」という言葉は、英語では「flattery」で「心からではない相手へのほめ言葉で、相手への愛想・へつらいを目的として使う言葉」と言う意味なので、上の話は「ほめ言葉は下手でも必ず7割の効果がある」と言い直すべきかもしれません。