「ハエ(蠅)」にまつわる面白い話

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ハエ

「ハエ(蠅)」と言えば、「五月蠅い(うるさい)」とか汚いと思う人が多く、好きな人はあまりいないと思います。とくに汚物や動物の死骸などにたかる金蠅、銀蠅は嫌なものです。

私が子供の頃住んでいた明治20年代に建った古い家では、昼間は障子を開け放していたので、食事時によくハエが飛んで来て食べ物にたかりました。

「蠅叩き(はえたたき)」は必ず家にありましたし、市場の魚屋の店先には「蠅取り紙(はえとりがみ)」(誘引剤を含む粘着性物質を塗った紙)が何本も吊るされていました。

アメリカ大統領選挙の前哨戦として2020年10月7日に行われた副大統領候補の討論会では、共和党のペンス副大統領の頭の上にハエが2分間も止まっていたことから、民主党の大統領候補のバイデン氏が「ロゴ付き蠅叩き」を売り出したところ、3万5千本をあっという間に完売したとして話題になりました。

これは英語の「fly」には「ハエ」と「飛躍」の意味があることから「このキャンペーン・フライのために5ドルの寄付を」と呼びかけたのです。

蠅叩きバイデンハエが止まったペンス副大統領

蠅叩き蠅取り紙

しかし一方で、「やれ打つな蠅が手を擦る足を擦る」という小林一茶の俳句にあるように、ユーモラスな生態もあります。これは小林一茶の弱者に対する愛情溢れる俳句です。

そこで今回は「ハエ」にまつわる面白い話をご紹介したいと思います。

1.文学に取り上げられたハエ

(1)清少納言の「枕草子」

清少納言(966年頃~1025年頃)は「枕草子」の中で「春はあけぼの・・・」に代表される日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」のほかに、「虫は」「木の花は」「うつくしきもの」「わろきもの」などの「ものづくし」の「類聚章段」があります。

この中に「ハエ」についての記述もあります。

蠅こそにくき物のうちに入れつべく、愛嬌なきものはあれ。人々しうかたきなどにすべき物のおほきさにはあらねど、秋などただよろづの物にゐ、顔などに濡れ足してゐるなどよ。

現代語訳は、次の通りです。

ハエこそは憎らしいものの中に分類しなければならぬ。これほど愛嬌もなにもなく、憎たらしいものはない。大袈裟にこの敵め、などと問題にするほどの大物ではないけれど、ありとあらゆるものに止まり、人の顔にまでぺたぺたとぬれ足で止まったりしてまあ・・・。

(2)宋の欧陽脩の「蒼蠅(そうよう)を憎むの賦」

中国北宋の政治家・文人で「唐宋八大家」の一人として有名な欧陽脩(1007年~1072年)に、「蒼蠅を憎むの賦」という面白い詩があります。一部をご紹介します。

頭(こうべ)を尋ね面(おもて)を撲(う)ち、袖に入り裳(もすそ)を穿(うが)つ。或いは眉端に集まり、或いは眼眶(がんきょう)に沿ふ。

目瞑(めい)せんと欲して復(また)警(いまし)め、臂(ひじ)すでに痺れて猶(なお)攘(かか)ぐ。

現代語訳は、次の通りです。

頭や顔に当たり、袖に入り、着物の裾に潜り込み、眉の先に集まったり、まぶたのふちを伝ったりして、眠くて目はつぶりそうになっても、また気になり、ひじはもう痺れていても、やっぱり振り上げてしまう。

この詩で歌われている「蒼蠅」(青蠅)というのは、「賄賂をむさぼったりする役人、小人物の比喩」でもあります。

この「蒼蠅」の比喩は、古代中国の「詩経」に由来するもので、「ハエは王様に讒言をする有害な人物」のことです。

中国の習近平主席が2017年10月の中国共産党大会で「トラをたたき、ハエをつかみ、キツネ狩りして腐敗撲滅の目標を実現した」と述べた「ハエ」も汚職をする小役人という意味でしょう。

ただしその実態は、「汚職腐敗の撲滅」と称して「自分の政敵と汚職幹部」を追い落とし粛清する習近平の戦略です。

(3)ジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」

アイルランドの風刺作家ジョナサン・スウィフト(1667年~1745年)の「ガリバー旅行記」はイギリスとイギリス社会に対する批判・風刺の物語です。当時のイギリスの対アイルランド経済政策によって、イギリスが富を享受する一方で、アイルランドが極度の貧困に喘いでいたためです。

余談ですが、EU離脱問題を巡るイングランドと北アイルランドの対立や、イングランド・ウェールズとスコットランドの対立も歴史を遡れば根深いものがあるということです。

この中に「巨大なハエ」が出て来ます。小人国滞在の後で、全てのものが巨大化している巨人国に漂着したガリバーは、ヒバリほどもあるハエに悩まされることになります。

(4)ウィリアム・ブレイクの詩「蠅」

ウイリアム・ブレイク

日の老いたる者ニュートン

イギリスの詩人・画家・銅版画職人のウィリアム・ブレイク(1757年~1827年)の「蠅」という詩は、ハエに大変同情的な優しい作品です。

小さな蠅よ、おまえの夏の遊びを 私の思想のない手が 叩きつぶした・・・

彼の「預言書『ミルトン』の序詞」にヒューバート・パリーが音楽を付けたものが、聖歌「エルサレム」として、また「事実上のイングランドの国歌」としてイギリスではよく知られているそうです。

(5)小林一茶の俳句

小林一茶

小林一茶(1763年~1828年)の「やれ打つな蠅が手をすり足をする」という俳句はハエの生態をよく表しています。

ハエは足の先でも味を感じることができ、いつも食物を探しています。足の先にゴミなどが付くと、これが満足に出来なくなるため、絶えずきれいにしているのです。

「蠅」という漢字は、この動作を表したもので、前足を擦る姿が縄を綯(な)っているように見えることに由来しています。

ちなみに「蠅」は「夏」の季語です。ほかに「春の蠅」という「春」の季語もあります。

(6)江戸時代の川柳

川柳では、ハエは憎らしさよりも滑稽さが強調されています。

・蠅は逃げたのに静かに手を開き

・蠅の生捕り捨て所に困ってい

・蠅たたきこれさいわいと嫁の尻

(7)吉行淳之介のエッセー「スペインの蠅」

スパニッシュ・フライ(ミドリゲンセイ)

「スペインの蠅」(スパニッシュ・フライ)というのは、「ハエ」の仲間ではなく、「ハンミョウ」の仲間です。この「スパニッシュ・フライ」は「ツチハンミョウ科」で、この仲間のハンミョウはカンタリジンという強い毒を持っています。上の写真は「ミドリゲンセイ(緑芫青)」(または「アオツチハンミョウ(青土斑猫)」)です。

ほとんど自殺マニアのようになっていたという最晩年の芥川龍之介は、机の引き出しの中にこの「スパニッシュ・フライ」を隠していたのを見つかって家人に取り上げられ、「また手に入れるさ」と笑っていたと伝えられています。

2.ハエを含む故事・ことわざ

(1)頭の上の蠅を追え

「頭の上の蠅を追え」とは、「他人のことをとやかく言ったり世話を焼いたりする前に、まずは自分自身のことを始末せよという教え」です。「己(おのれ)の頭の蠅を追え」とも言います。

「頭の上の蠅も追えない」とは、「自分自身のことさえ満足に出来ないことのたとえ」です。自分の頭にたかる蠅さえ追い払えないという意から。「頭の上の蠅も追われぬ」とも言います。

(2)顎(あご)で蠅を追う

「顎で蠅を追う」とは、「痩せ衰えて元気がない様子」のことです。ハエを手で追い払う元気もなく、あごを動かして追い払う意から。「頤(おとがい)で蠅を追う」とも言います。

余談ですが、小林一茶の俳句に「寝姿の蠅追ふもけふが限りかな」というのがあります。これは臨終間際の父の傍らで彼が蠅を追う様子を詠んだものです。

3.ハエのまつわる面白いエピソード

(1)「園遊会」でハエを寄せ付けなかったハエの専門家

昭和天皇の時代に皇居で「園遊会」が開かれることになった時、「東京医科歯科大学」の「衛生昆虫学」の権威加納六郎教授に次のような依頼があったそうです。

昭和天皇の園遊会

「何とか園遊会の食べ物にハエが来ないようにしてほしい。ただし薬剤などを撒いてハエを殺すのは困る」

昭和天皇は雑草を抜くことも良しとしなかったくらいの人なので、薬剤などを撒いてハエを殺すことなどは大変お嫌いだったようです。

そこで加納教授は一計を案じて「普通の食物よりもっとハエが好む物」を草むらに隠しておきました。すなわち、魚のはらわたとか、腐ったものなどを罠(トラップ)に仕掛けて草むらに隠しておいたのです。

その結果、ハエは罠の方に集まり、園遊会の食べ物のほうにはやって来ず、大成功でした。

(2)最後の将軍「徳川慶喜」の晩年の日課は「ハエ叩き」だった!?

明治維新後の徳川慶喜

徳川慶喜は晩年毎日「蠅叩き」を日課にしていたという話も聞いたことがあります。何かに取りつかれたようにハエを追い回す元将軍の姿は情けない感じがするのは私だけでしょうか?

旧幕臣が訪問しても、渋沢栄一など一部の人以外はほとんど会わなかったそうです。ともに静岡に移り住んだ旧家臣たちの困窮にも無関心で、「貴人情けを知らず」と怨嗟の声も少なくなかったそうです。

彼は「余を殺す者は薩長の徒ではなく、幕臣どもの日なた臭い幕臣意識だ」という言葉を残しています。

ついこの間まで「日本の最高責任者」の地位にあった人で、多くの家臣たちに命を落とさせたり、徳川幕府の崩壊によって路頭に迷うことになった旧幕臣に対する責任も重大な人の態度・立ち居振る舞いとは到底思えません。

会えば「自分だけがのうのうと贅沢な暮らしをして、いい目をしている」とかつての部下から厳しい非難や責任を追及されたり、金を無心されたりするのを恐れたのでしょうが・・・

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